近軸光学の群論的構造
近軸光学は、ガウス光学と呼ばれることもあるようだけど、ガウスの名前を冠するのが適切かどうか調べてないので、以下では、近軸光学と呼ぶ。
近軸光学は、19世紀から知られてたようだけど、どういうわけか、symplectic群が出てくる。19世紀には、まだsymplectic群の概念も名前も一般的に広まっておらず、また軸対称な系では、二次元シンプレクティック群しか出てこないので、本質は覆い隠されてもいる。
最近、必要になって、ちょっとだけ光学を勉強したのだけど、このsymplectic群が、何に由来して出てきてるのか、腑に落ちなかった。勿論、19世紀から知られてる事柄なので、深く考えず、幾何光学に近軸近似を入れて議論を追っていけば条件は出る。これは単なる初等幾何の話で、それ以上説明することもないように思えるが、symplectic条件の出現は、唐突な感じがした。別に、深く気にしなくても、実用上困ることは何もないけど、納得は全てに優先する。
1980年代頃から、近軸光学を相空間上で展開する議論が見られるようになってて、この相空間の正準変換と理解してもいい。けど、相空間の由来は明らかでなく、腑に落ちないことを、別の言葉で言い換えただけで、分からなさに大して変化はない。例えば、元の波動光学には、共形対称性があるが、近軸近似の結果、軸周りの回転以外、対称性は全部消えてしまったと言っていいのか分からない。symplectic群の作用も、純粋に数学的な操作と言うよりは、(レンズのような光学系という形で)"光に作用する"と解釈することから、波動光学レベルでの意味付けも存在するべきように思う。
状況を整理すると、光の偏極は無視するとして、以下のように4つの理論がある。
近軸近似 波動光学 --------------------------------> 近軸(波動)光学≒フーリエ光学 ↑| ↑| || || "量子化"? || 高周波極限etc. "量子化" || 高周波極限etc. || || |↓ |↓ "幾何光学" -------------------------------> 近軸光学 近軸近似
"光学"と書いてるけど、幾何音響とかでも同じことだし、将来、重力波が工学的に利用可能になったら、やっぱり同じ理論が適用されるかもしれない。ビームの線形伝搬の理論みたいなものは、大体、同じ形式を持つと思われる。超音波ビームなんかだと、非線形性が重要になるケースがあるらしく、非線形な方程式に近軸近似を入れることもあるらしい。
"Fourier optics"という名前は、別にフーリエが直接何かやったわけではなく、1968年出版の本"Introduction to Fourier optics"以降、一般的になったっぽい。波動光学に近軸近似を入れた時の議論が中心っぽいけど、本を読んだことなければ、勉強したこともなく、フーリエ光学が指してるテーマを、私自身は正確に把握してないので、ここでは、フーリエ光学という名前は使わない。
あと、通常の幾何光学は、自由空間中でも、共形対称性が、どこに存在するのか、よく分からないという問題がある。(線形)波動方程式の主表象とかbicharacteristicsが定義される場所を考えれば、幾何光学の展開される相空間は、4次元時空の余接空間という気もする。この相空間で、共形代数の作用を見るのは難しくないけど、幾何光学は、そういう風に作られてない。
波動光学→幾何光学の導出過程で、色々近似が入ってるので、共形対称性は、その途中でなくなってしまったのかとも思ったりする。けど、古典系と量子系の対称性は、微妙に修正が必要なこともある(中心拡大が必要だったり、対称性が破れたり)が、大体は、同じ対称性を持ってるはずで、共形対称性がないのに、"量子化"して、波動光学が出るというのは奇妙な話に思える。
観点を変えて、共形対称性を持つ粒子系とは何者か考えると、候補として、相対論的massless particleが思いつく。けど、相対論的massless particleの解析力学の定式化は、幾分明らかでなく、通常の幾何光学を、そこから導く方法も、私には分からない。この問題は、今は考えないことにする。
幾何光学を相空間で定式化した時、近軸近似の下で、ハミルトニアンがどうなるかは、例えば、1987年の以下の論文に書かれてて、特に、自由空間(あるいは屈折率が一定の媒質中)では、古典力学の自由粒子と同じものになる。
The Hamiltonian formulation of optics
https://doi.org/10.1119/1.14999
近軸光学が、古典力学の自由粒子になってるなら、近軸波動光学の基礎方程式は、シュレディンガー方程式であると期待したくなる。そうすると、上の段の近軸近似は、波動方程式から、"シュレディンガー方程式"を出すものじゃないといけない。
双曲型方程式から放物型方程式になるという点では、非相対論近似のようでもあるけど、"massless"な理論から"massive"な理論を出す形になるから、非相対論的極限とは違う。この操作を誰が最初に明示的に書いたのか、よく分からないけど、1960年代には既に知られてたらしい(ソ連では、Leontovich–Fockの1940年代後半の仕事に関連付けて知られてたっぽい)
とりあえず、1969年の文献として、以下のようなものがある。
Degenerate Optical Cavities. II: Effect of Misalignments
https://doi.org/10.1364/AO.8.001909
この論文では、この近軸近似による微分方程式が、Fresnel近似とconsistentであると簡潔に書いてある。Fresnel近似は、名前からして、19世紀には知られてたと思うけど、微分方程式のレベルで、どうなってるか、長い間、明確には意識されて来なかった事柄なのだろうと思う。
1980年前後に複数の人が、4次元シンプレクティック群の作用を見つけている。19世紀の古典的な近軸光学では、2次元symplectic群しか出てないと思うので、これは進歩だと思う。
Optical beam and pulse propagation in inhomogeneous media. Application to multimode parabolic-index waveguides
https://doi.org/10.1007/BF00619920
Metaplectic group and Fourier optics
https://doi.org/10.1103/PhysRevA.23.2533
などの論文は、シュレディンガー方程式との類似から、4次元シンプレクティック群に至っている。
幾何光学的な議論のみから4次元シンプレクティック群を導出する議論は
Wigner distribution function and its application to first-order optics
https://doi.org/10.1364/JOSA.69.001710
Lie algebraic theory of geometrical optics and optical aberrations
https://doi.org/10.1364/JOSA.72.000372
などに見られる。
(今の場合は、2次元空間内の自由粒子の)シュレディンガー方程式が出たので、2次元のガリレイ代数が対称性として存在する。
1972年に、光学とは無関係に、複数の人(Niederer、C.R.Hagen)によって、(時間依存)シュレディンガー方程式の対称性が決定され、現在は、シュレディンガー群/代数と呼ばれている。シュレディンガー群/代数については、以下にも書いた。
常微分方程式のLie symmetryと宇宙の作者の気持ち
https://m-a-o.hatenablog.com/entry/2022/02/17/215722
シュレディンガー代数は、勿論、ガリレイ代数を部分代数に含むが、それより真に大きい。しかし、全ての(無限小)線形正準変換を含んではいない。シンプレクティック群とHeisenberg群の半直積は、Jacobi群と命名されていて、一次元の場合は、Jacobi群とシュレディンガー群は、同じものになるけど、高次元では、Jacobi群の方が真に大きい。
ついでに、波動方程式の(ノルム有限な)解の基底を取って、共形代数の作用を具体的に書いたものが以下にある。殆ど式しかないので、リンク先で参照した論文を読む方がいい。
so(n+1,2)の極小表現の実現
https://vertexoperator.github.io/2021/05/05/hermite_BDI_minrep.html
1983年の以下の論文は、"Metaplectic group and Fourier optics"では簡単に書かれてる導出を詳しく調べて、波動方程式のポアンカレ対称性と近軸近似におけるガリレイ対称性の対応関係を書いている。
Paraxial-wave optics and relativistic front description. I. The scalar theory
https://doi.org/10.1103/PhysRevA.28.2921
Paraxial-wave optics and relativistic front description. II. The vector theory
https://doi.org/10.1103/PhysRevA.28.2933
仕組みとしては、シュレディンガー方程式の質量を座標の一つと見なして、Fourier変換すれば、以下の形の微分方程式
が得られる。とかすれば、普通の波動方程式になる。あと少し計算すれば、近軸近似におけるガリレイ対称性は、波動方程式のポアンカレ対称性に由来することが分かる。分かってしまえば、簡単な算数ではあるけど、普通の近軸近似の導出は、これとは違う風に説明してて、対称性との関係が分かりにくい場合がある。
ちなみに、この論文には、3+1次元ポアンカレ代数の部分代数として、2+1次元(中心拡大項ありの)ガリレイ代数を含むという話の起源が、以下のような素粒子物理の論文にあると書いてある。
Model of Self-Induced Strong Interactions
https://doi.org/10.1103/PhysRev.165.1535
Galilean subdynamics and the dual resonance model
https://doi.org/10.1103/PhysRevD.9.471
また、1985年に、光学とは無関係の分野で、Newton-Cartan理論が、5次元重力理論から得られるという論文が出ている。
Bargmann structures and Newton-Cartan theory
https://doi.org/10.1103/PhysRevD.31.1841
Newton-Cartan理論は、非相対論的な重力理論で、Riemann幾何学より一般的な枠組みであるCartan幾何学に基づいて定式化されている。通常の重力理論、つまり一般相対論の非相対論的極限になると思うけど、確認はしてない。多分、これも、"近軸近似"と同種の話だろうと思うけど、どういう風に解釈すれば、同じと見なせるのか、私は理解してない。ちゃんと読んではいないけど、この論文の式(4.3)とか見ると、上に書いた近軸近似と似たような座標の取り方をしてはいる。
若干の疑問として、非相対論的電磁気学(Galilean electromagnetism)では、2種類の非相対論的極限が存在する(基本的には、斉次ガリレイ群の有限次元表現で分類されるのだと思う)。非相対論的重力理論は、一種類しかないのか気になるけど、光学とは関係ないので、別の機会に考えることとする。
ポアンカレ代数は、波動方程式の対称性の一部に過ぎないし、ガリレイ代数も"シュレディンガー方程式"の対称性の一部に過ぎない。1973年の以下の論文では、3+1次元ポアンカレ代数と2+1次元ガリレイ代数の関係を、共形代数と(空間次元2の)シュレディンガー代数に拡張している。
About the non-relativistic structure of the conformal algebra
https://doi.org/10.1007/BF01646438
https://inis.iaea.org/search/4072083
より一般に、(空間次元dの)シュレディンガー代数は、共形代数の部分代数になってる。そして、予想される通り、近軸波動方程式の対称性は、全て、元の波動方程式の対称性に由来する。方程式と関連して、説明されてる文献として、
The Schrödinger-Virasoro Lie group and algebra : from geometry to representation theory
https://arxiv.org/abs/math-ph/0601050
の2節などを見ると分かりやすいかもしれない。
ついでに、比較的最近の以下の文献には、シュレディンガー群は、共形群の極小軌道のstabilizer subgroupとして出ると書いてある。
Schrödinger Manifolds
https://arxiv.org/abs/1201.0683
波動方程式をシュレディンガー方程式に変換するのは、ぱっと見よりも数学的に自然な操作なのかもしれない。
ともあれ、光学とは関係ないところまで見れば、シュレディンガー群/代数と共形群/代数の関係は明らかにされていた。
シンプレクティック群は、何故出てくるのか?というのは、本当のところ、よく分からないけど、これは新しい事柄ではない。(isotropicな)調和振動子の対称性も、Niedererが1973年に計算していて、シュレディンガー代数と同型の代数になることが知られている。
The maximal kinematical invariance group of the harmonic oscillator
https://www.e-periodica.ch/cntmng?pid=hpa-001:1973:46::960
調和振動子の波動関数の空間に、Jacobi代数が作用していることは、比較的簡単に分かるし、割と、あちこちに書いてある(Jacobi代数という名前を使ってるかはともかく)。知る限り、今の所、それ以上の説明はないと思う。
そもそも、(中心拡大項付きの)ガリレイ代数は、Galilean boostと空間並進、質量演算子で、Heisenberg代数と同型な代数を作るから、ガリレイ代数の作用があるところには、いつでも、Jacobi代数が作用しているのかもしれない。
しかし、例えば、元の波動方程式にも、対称性より大きな代数が作用していて、近軸光学におけるsymplectic代数の作用も、そこから来たりしないのか?という疑問は、現時点では、よく分からない。
最後に、"幾何光学"を考える。通常の幾何光学は、自由空間で定式化しても、共形対称性を持ってない(ように見える)。それで相対論的massless particleの解析力学を作ればいいというのは、自然な発想と思う。相対論的massless particleの解析力学をどうすればいいのか、適切な文献もないし、自分で計算もしてないので、正解は分からない。
massless particleの相空間の作り方は、例えば、以下のような論文に書いてある方法がある。
Relativistic Symmetries and Hamiltonian Formalism - MDPI
https://doi.org/10.3390/sym12111810
共形代数の生成子を、Minkowski空間の位置座標と(四元)運動量で適切に書いてやれば、共形代数の生成子が極小軌道を定義するようにできる(はず)。これが、massless particleの相対論の相空間。四元運動量を運動量演算子にして、量子化してやれば、通常の共形代数の作用を復元する(べき)。余随伴軌道を自由粒子の相空間とするという考え方は、大雑把に言えば、自由粒子一個の状態空間を、対称性の群の既約ユニタリ表現空間と見るという発想の古典版であるとみなすことができる(興味あるケースの多くで、余随伴軌道とユニタリ表現の対応は明らかではないけれど)。以前からあると思うけど、誰が最初に述べたのかは調べてない。
共形代数の作用がわかってれば、massless particlの場合と、波動光学の場合で、近軸近似の操作は全く同じ形で書けるようになるはず。これによって、自由空間で4つの光学理論がconsistentになるように思う。数学的には自然な気がするけど、これが正しいのか分からないし、自由空間以外で、同様の定式化があるのかも不明。
光学の納得いかないところを、よく考えると、やっぱ、よく分からんという結論になった。
以上は、自由空間(あるいは、屈折率が一様な媒質中)の話で、レンズなどの光学デバイスは、自由空間を伝播する波動方程式の解を別の解に線形変換する装置のようにモデル化される。
屈折率分布がある場合でも、相空間で記述すれば、一般の幾何光学、近軸光学のどっちも、数学的には、古典力学系と同じ形式で議論できる。ちょっと面白い話として、Maxwell魚眼レンズという屈折率が一様でないレンズ(多分、現在まで制作されたものはない)が知られてて、球面上の測地流と"等価な"可積分系になるそうだ。
Maxwellのオリジナルの論文は、以下で読める。タイトルが"solutions of problems"と素っ気ない。
The scientific papers of James Clerk Maxwell p74〜p79
https://archive.org/details/scientificpapers01maxw/page/74/mode/2up
可積分系になることは、以下のような論文で書かれてる。
Kepler problem and Maxwell fish‐eye
https://doi.org/10.1119/1.11200
Hidden symmetry and potential group of the Maxwell fish‐eye
https://doi.org/10.1063/1.528979
ちゃんと読んでないけど、前者は、幾何光学レベルでの議論のみで、後者は、波動光学レベルの話も書いてある。これらの論文より早く、ソ連では、1971年に以下のような論文が書かれている。
Internal Symmetry of the Maxwell "Fish-eye" Problem and the Fock Group for the Hydrogen Atom
http://www.jetp.ras.ru/cgi-bin/dn/e_033_06_1083.pdf
多くの論文で、Kepler系との関係が強調されてるけど、Kepler系のハミルトニアンと、球面上の測地流やMaxwell魚眼レンズ系のハミルトニアンを結びつける(通常の意味での)正準変換があるわけではない。量子Kepler系と、球面上のラプラシアンのスペクトルを比較しても、2つの系が、単純に"等価"とは言えないことが分かる。
Kepler系と測地流の関係は、もう少し、ややこしい。最近の解説として、以下の文献は分かりやすいと思う。
The classical Kepler problem and geodesic motion on spaces of constant curvature
https://arxiv.org/abs/1411.5355
Maxwell魚眼レンズも、(線形)光学デバイスと見ることもできて、ABCD行列は、以下の論文などで計算されてるっぽい(計算をトレースはしてないので合ってるかは知らない)
Physical Optics Analysis Of Gradient Index Optics
https://doi.org/10.1117/12.962999