表現論と信号処理

SU(1,1)あるいは、SL(2,R)の既約ユニタリ表現には、limit of discrete seriesと呼ばれるクラスのものが、2つある(一方は、他方の反傾表現になっている)。limit of discrete seriesは、直訳すると、"離散系列の極限"だけど、極限離散系列とかいう言葉は、耳慣れない気がするので、そのまま、limit of discrete seriesと書くことにする(検索すると、極限離散系列表現でも、何件か引っかかる)。

1947年に、Bargmannが、SL(2,R)の既約ユニタリ表現を分類した時、とある可約な連続主系列表現を直和分解することで、2つのlimit discrete seriesを構成したらしい。一旦、構成されてしまうと、特に複雑なものでもないので、何気なく、見過ごしてしまいそうだけど、Bargmannの構成は、古典的なPaley-Wienerの定理を、表現論的に捉えたものだとも解釈できる(多分、Bargmannは、別に、そんな風には理解してなかったんじゃないかと思うけど)。

Paley-Wienerの定理は、Hardy spaceのFourier変換による像が、[0,∞)上のL^2関数に等しいと書かれることもあるけど、L^2(R)を、(-∞,0]上のL^2関数と[0,∞)上のL^2関数の空間に直和分解できると見ることもできる。この2つの直和成分上に、2つのlimit of discrete seriesを実現できる。

実信号をFourier変換して、正の周波数成分のみを逆Fourier変換したものを、解析信号と呼ぶ(Gabor,1946)。これは、L^2(0,∞)を逆Fourier変換で戻しているので、解析信号は、Hardy spaceの元になる。当然、負の周波数成分のみを逆Fourier変換することも可能で、実数上の二乗可積分関数空間が、解析信号のなすHardy spaceと"反解析信号"のなす空間と、2つの空間に直和分解する。

また、実信号に対して、この信号を実部とする解析信号の虚部を与える変換は、ヒルベルト変換と呼ばれている。Hilbertは、Riemann-Hilbert問題の特殊ケースを解くために、この変換を導入したと、Wikipediaに書いてある。ヒルベルト変換は、物理では、Kramers-Kronigの関係式で現れる。


これらの定理や概念が発表された時期をまとめると、以下のようになる。

1926~27 Kramers-Kronigの関係式
1934 Paley-Wiener theorem
1946 解析信号(Gabor)
1947 SL(2,R)の既約ユニタリ表現の分類,特にlimit of discrete seriesの構成(Bargmann)

似たようなことが、異なる文脈で、何度も発見されて重要視されているので、多分、重要なんだろう

[0,∞)上のL^2関数空間は、Laguerre関数(Laguerre多項式に、exp(-x/2)をかけた関数)を、正規直交基底に持つことは、よく知られた事実である。Laguerre関数のFourier変換は、Wiener rational functionと呼ばれることがある。これを、更に、"Cayley変換"して、S^1上の関数と見ると、"exp(i n θ)"(nは非負整数)が得られる。指数関数/Wiener rational function/Laguerre functionという3種類の基底に対して、それぞれ、limit of discrete seriesの実現を与えることが出来る。円周上の関数としては、n<0に対しても、exp(i n θ)を考えたほうが自然であるけど、この部分に、丁度、もうひとつのlimit of discrete seriesを実現できる。そして、(-∞,0]上のL^2関数から、同様の操作を経ることで、得ることもできる

もう少し詳しい式は、以下に書いた

su(1,1)のlimit of discrete series
https://vertexoperator.github.io/2019/02/15/limit_of_discrete_series.html

su(1,1)のlimit of discrete seriesは、最高あるいは最低ウェイト表現で、この点については、su(1,1)のdiscrete seriesでも同様であるけども、二乗可積分表現でないため、連続ウェーブレット変換を定義することはできない(admissible vectorを持たない)。SL(2,R)の群作用は簡単に書けるけど、それが重要な理由は、よく分からない


ヒルベルト変換の工学的な応用としては、包絡線を書くのに使われる。物理や工学系のテキストで、殆ど周期的に時間変動する量を、瞬時値の一周期(あるいは適当な長さ)の時間平均として定義する、みたいなことが、よくある。この定義は、現実に観測される信号は、完全に周期的でないので、実用上は困る。ヒルベルト変換して、得られた解析信号の絶対値を定義とすれば、計算できる量となる。

偏角は位相を与えるわけだけど、例えば、音声信号(有声音)のピッチマーキング(周期点を発見すること)は、難しい問題で、完全な方法というのは、今も存在しない。ということで、音声信号にヒルベルト変換を施して、位相情報を取ると、どうなるか見てみた。

音声データは、

日本声優統計学
http://voice-statistics.github.io/

のtsuchiya_normal_100.wavを使用。冒頭の0.3〜0.35秒の区間("アーリー"の"あ"の音の一部)を抽出して、ヒルベルト変換を施し(scipyに含まれている)て、偏角を得、偏角cosineを(見やすいように)定数倍して、音声信号と重ねた

f:id:m-a-o:20190401212516p:plain
ヒルベルト変換

青いのが、元音声の振幅で、赤いのが、ヒルベルト変換して得た位相(のcosine取って定数倍したもの)。まぁ、ピッチマーキングに使うことはできなそうだけど、ピークピッキングには使えそうな感じかもしれない


一般に、
(2x)^{\alpha/2} e^{-x} L_n^{(\alpha)}(2x)
の形の関数は、so(3,2)の極小表現のある実現(massless Klein-Gordon方程式の正エネルギー解を運動量空間で書いた時の基底)でも出てくる

so(3,2)の極小表現と波動方程式(書きかけ)
https://vertexoperator.github.io/2019/03/17/AdS4.html

多分、負エネルギー解の方も、同じような形の基底で書けるのだろう。数学的には、上の話の一般化というわけでもないのだけど、物理的には、関係が深そうな話ではある

単語の分散表現を使った教師なし単語翻訳

論文)Word Translation Without Parallel Data
https://arxiv.org/abs/1710.04087

実装)facebookresearch/MUSE
https://github.com/facebookresearch/MUSE


単語に実ベクトルを対応させるword embeddingsは、単語の分散表現の工学的な実現のように思われている。多分、本来は、distributed representation/分散表現は、脳内で外界の事象を符号化する方法として、局所表現と対をなす形で考えられた(NLP分野に限定されない)概念で、一方、word embeddingsは、単語をベクトル空間の点で表す工学的な手法を限定して指すと思うのだけど、日本語では、word embeddingsを指して、単に分散表現と呼ばれることが、しばしばあるっぽい。以下では、細かいことは気にせず、word embeddingsのことを、分散表現と呼ぶことにする。

2013年に公表されたword2vecでは、加法構成性が成立していて、意味や概念を獲得していると解釈できることで、話題になった(king-man+woman≒queenなどの結果が成立する)。尤も、類似度を内積で測る場合、x-yと類似度が高くなるには、xと類似度が高くて、yと類似度が低ければよいので、別段、大したことではないのかもしれないけれど。その後も、word2vecの改良版が、沢山出ていて、GloveやfacebookのfastTextは有名っぽい(word2vec論文のfirst authorだったMikolovは、fastText論文でも、last authorになっている)

cf)Word Embeddingモデル再訪
http://www.orsj.or.jp/archive2/or62-11/or62_11_717.pdf


加法構成性が成立する分散表現が、異なる言語間で、どれくらい似ているかは、早い段階から調べられていて、機械翻訳への応用が想定されていたらしい(word2vecの開発者Mikolovは、2013年に、arXiv:1309.416のような論文を出している)

加法構成性のある分散表現で成立する、単語間の線形関係式は、言語に依存せず成立して欲しい。加法構成性を保つという条件は、写像fに関する方程式f(x+y)=f(x)+f(y)の形で書け、これが、任意の点x,yで成り立つというのは、コーシーの関数方程式の高次元版になっている。数学的なことに突っ込んでもしょうがないけど、病的な解を除けば、線形写像のみが、この方程式の解となる。

cf)Cauchy's functional equation for Rn
https://math.stackexchange.com/questions/186350/cauchys-functional-equation-for-mathbb-rn

また、分散表現では、単語の類似度を内積で測るので、よい分散表現間のマッピングでは、内積が保存されていてほしい。従って、十分によい分散表現の間では、内積を保つ線形変換=直交変換の中に、単語翻訳を近似する写像があると期待される(分散表現で、単語ベクトルの長さは、特に規格化されていないので、個別の単語ベクトルを定数倍しても、類似度は変わらないけど、次元数が単語数より小さい時は、特定の方向をスケールする自由度は、あんまり残らなそうに、直感的には思う)


まぁ、もう実装があるので、とりあえず、冒頭のMUSEを使ってみる。fastTextの開発グループによるものっぽいので、データは、fastTextで作成したものを想定しているらしい。自分でデータを用意してもいいけど、以下に、多くの言語に対するデータが公開されている
Wiki word vectors
https://fasttext.cc/docs/en/pretrained-vectors.html

Word vectors for 157 languages
https://fasttext.cc/docs/en/crawl-vectors.html


一応、気付いたことなど。

・Faissは、Windowsには対応してない(README.mdには、recommendedって書いてあるので、MUSEを動かすには必須ではない?)

・そこそこ、メモリが必要かもしれない。計算中のメモリを減らすには、--max_vocabを200000より小さい値に設定すると有効(計算も速く終わる。但し、fastTextバイナリファイルを使うと、全部読み込むんでしまうのでダメっぽい)。教師なしの場合は、max_vocabが75000以下の場合、--dis_most_frequentをそれより小さくしてやらないといけないっぽい(多分)

・教師あり/教師なし共に、最後のtrainer.exportで辞書を出力するっぽいけど、一旦、全データを読み込むっぽいので、メモリ8GBで足りない場合もあるよう。wiki.en.vecは単語数が250万以上あるせいかもしれない。但し、必要なのは、ベクトル空間の間の直交写像Wで、dumped/debug/(ランダム文字列)/best_mapping.pthに出力される(デフォルトでは、300x300の行列なので、大したデータ量ではない)から、trainer.exportはコメントアウトしてもOK(後から、自分で、個々の単語ベクトルに直交写像Wを適用した結果を計算すればいい。normalize_embeddingsを指定した場合は、それに相当する計算も自分でやる必要があるが、デフォルトではOFF)

・src/evaluation/evaluator.pyの"self.word_translation(to_log)"で、Ground-truth bilingual dictionariesを見にいくっぽい。README.mdに、沢山のペアについて、リンクを貼ってくれているけど、リストにない場合は、どうしようもない。教師なし学習の場合、この処理は不要ぽいので、コメントアウトすればいい(例えば、日本語単語ベクトルを、中国語単語ベクトル空間に埋め込みたいという時は、データが用意されてない)

・README.mdの例にあるen vs esのケースを、CPUのみで計算した場合、max_vocabを50000にして、教師なしで半日弱で終わった。教師ありは、もっと早い。速度的には、まぁ悪くない


【テスト1】実際に、README.mdにある、英語->スペイン語を計算してみる。以下のようなコマンドで計算した

python supervised.py --cuda False --src_lang en --tgt_lang es --src_emb data/wiki.en.vec --tgt_emb data/wiki.es.vec --n_refinement 5 --dico_train default 

python unsupervised.py --cuda False --src_lang en --tgt_lang es --src_emb data/wiki.en.vec --tgt_emb data/wiki.es.vec --n_refinement 5

README.mdを見ると、11万強の類似単語対が書かれたデータ(en-es.txt)へのリンクが貼ってあるので、教師なしで学習したWで変換した単語ベクトルを使って、英単語とスペイン語単語の類似度を測る。

生のwiki.en.vecやwiki.es.vecは、単語数が多すぎて、gensimで読むと、遅い(メモリも使う)ので、検証用に使った辞書は、適当に、4万〜6万単語で、足切りした(別に、gensimで読む必要はないけど)。単語ベクトルが得られた場合は、そこそこの類似度になっていた。計測結果は、以下の通りで、教師データの有無で差が殆どない

教師なしの場合:類似度の中央値0.652,平均値0.628
教師ありの場合:類似度の中央値0.652,平均値0.628

計測に使ったコードは、以下のようなもの(以下は、教師なしの場合の類似度の中央値と平均値を測定する例)

import gensim 
import torch
import numpy as np

src_model = gensim.models.KeyedVectors.load_word2vec_format("data/wiki.en.40k.vec")
tgt_model = gensim.models.KeyedVectors.load_word2vec_format("data/wiki.es.60k.vec")
W = torch.load("en_es_unsupervised_mapping.pth")
similarities = []
##-- https://dl.fbaipublicfiles.com/arrival/dictionaries/en-es.txt
for n,line in enumerate(open("data/crosslingual/dictionaries/en-es.txt")):
  src,tgt = line.strip().split()
  try:
     v0 = src_model[src]
     v = np.dot(W, v0)
     w = tgt_model[tgt]
     sim = np.dot(v,w)/np.sqrt(np.dot(v,v)*np.dot(w,w))
     similarities.append( sim )
  except:
     pass


similarities.sort()
print(similarities[len(similarities)//2] , sum(similarities)/len(similarities))


平均値と中央値が、ほぼ同一なので、少し違う手段で、直交行列を比較する。同一の単語ベクトルを、それぞれの直交写像で変換した結果が、最も"離れる"のは、いつかというのを見ればいいだろうと思われる。ここでの"離れる"の意味は、Euclid距離ではなく、コサイン類似度を意味する。従って、(Wx , W'x)/(x,x)が最小になるようなベクトルxを発見すればいい。=(Wx,W'x)/(x,x) = (W'^{T}Wx,x)/(x,x)であるから、W'^{T}W固有値を見ればよさそうに思える。実際には、固有値は、殆ど複素数になるけど、単語ベクトルは、実ベクトルだと考えられているので、固有ベクトルが、欲しいxになるというわけではない。が、理想的には、固有値は全部+1なので、そこから離れている固有値が多いと、問題がある(ワーストケースでは、-1が固有値として出てくる)

実際に

W = torch.load("en_es_unsupervised_mapping.pth")
W2 = torch.load("en_es_supervised_mapping.pth")
print( np.linalg.eig(np.dot(W2.T,W))[0] )

とかやると、固有値-1が、ひとつ存在するけど、大部分の固有値は、1に近いので、それほど悪くない。流石に、例として記載されてるだけあって、悪くない結果のように見える



【テスト2】異なるコーパスで学習した、同一言語間のマッピングを見る。具体的には、Common Crawlで学習したデータと、Wikipediaから学習したデータを使った

教師ありの実験をするために、en-es.0-5000.txtに含まれる英単語から、en-en.0-5000.txtを作った(対応する単語は、同一単語を指定)

結果、教師ありの場合、類似度中央値:0.728 , 類似度平均値:0.702を得た。

CommonCrawlで学習したベクトルを変換して、Wikipediaで学習したデータで最も類似度の高い単語が同一になる割合は、93%だった。コーパスに依存しない情報を、それなりに抽出出来ているらしい。

教師なしでやると、何故か、類似度中央値:0.086,類似度平均値:0.087で、計算に失敗しているらしかった。理由は不明


【テスト3】CommonCrawlコーパスから学習した、英語→スペイン語マッピングを見てみる
python supervised.py --cuda False --src_lang en --tgt_lang es --src_emb data/cc.en.300.vec --tgt_emb data/cc.es.300.vec --n_refinement 5 --max_vocab 100000

python unsupervised.py --cuda False --src_lang en --tgt_lang es --src_emb data/cc.en.300.vec --tgt_emb data/cc.es.300.vec --n_refinement 5

教師あり学習の場合、類似度中央値:0.591,類似度平均値:0.574
教師なし学習の場合、類似度中央値:0.562,類似度平均値:0.549

Wikipediaコーパスの時より、少し下がっているものの、それほど悪くはない数値


【テスト4】テスト1と同様の計測を、英語→日本語でやってみた。

データは、Wikipediaから作ったらしいwiki.en.vecとwiki.ja.vecを使用した場合、
教師ありの場合:類似度の平均値:0.429 , 中央値:0.430
教師なしの場合:類似度の平均値:0.252, 中央値:0.240

単語対データen-ja.txtとen-es.txtは同じものではないので、単純に比較するわけにはいかないけれども、英語→スペイン語に比べると、やや低い値になっている。それ以外に、理由がよくわからないこととして、教師なしと教師ありの場合の差が大きくなっている

教師なしの方は、数値以上に悪い。単語対データの英単語を、日本語単語ベクトル空間にマッピングして、最も類似度の高い単語ベスト3に、対になる単語が含まれている割合を、教師ありと教師なしで比較したところ、教師ありの方は、12%だったが、教師なしの方は、一つもなかった。これは、何も学習できていないといって差し支えない結果である。引っかかる単語の大部分が、japanese_national_route_sign_のような単語ですらないゴミ。教師ありの方も、アルファベットで構成される単語と近くなる傾向が見られ、英語のpearlやclassに近い単語として、日本語側でも、pearlやclassが出てくる(ある意味、間違ってはいないが...)

アルファベットのみの単語を除去してマッピングしても、うまくいかなかったので、単語ベクトルの作り方が悪いのかもしれない。wiki.ja.vecには、japanese_national_route_signだの「アメリカ合衆国国勢調査局に拠れば」だの、単語でないものも含まれているし

cc.en.vec->cc.ja.vecだと
教師ありの場合:類似度の平均値:0.494 , 類似度の中央値:0.510
教師なしの場合:類似度の平均値:0.108 , 類似度の中央値:0.105
で、教師なしでは、うまくいかない。

教師ありの方は、そこそこ。類似単語トップ3に、対になる単語が入っている割合は、64%。トップ3に入ってないものの中には、june->8月、april->5月みたいな形で惜しい物、history->歴史(en-ja.txtには、履歴、由緒、沿革などがある)やhigh->高い(en-ja.txtには、ハイ)のように正解であるものも含まれる。

他に、aspirin->錠剤やfructose->糖分みたいなspecificityが高すぎて特定できてないものなどもあるけど、人間でも、アスピリンを「何か薬だよね」とか、フルクトースを、「なんか糖だよね」とかくらいしか理解してない人がいそうなことを思うと、許容範囲内の結果になってる。言語の違いにも関わらず、良好な結果を与えている

日本語に関しては、wiki.ja.vecには、問題があり、cc.ja.vecの方が、いいっぽい



【テスト5】Gloveで学習した単語ベクトルを使って、英語→英語を試してみる

GloVe: Global Vectors for Word Representation
https://nlp.stanford.edu/projects/glove/
に、異なるコーパスから学習したらしいデータが、いくつか公開されている。Wikipediaから作成されたらしいglove.6B.300d.txtと、Common Crawlから作ったらしいglove.42B.300d.txtを使って、今までと同様の計算をやる。これらのファイルは、fastTextと微妙にフォーマットが違っていて、ヘッダに、単語数と単語ベクトルの次元を追加する必要がある

教師ありの場合:類似度の中央値:0.61, 平均値:0.60, 最も類似度の高い単語が同一である割合:86.2%
教師なしの場合:類似度の中央値:0.62, 平均値:0.60, 最も類似度の高い単語が同一である割合:86.3%

Gloveで作ったデータでも、それなりの結果を得られた。この結果を、テスト2と比較すると、fastTextの方が、よい結果を与えるようにも見える。


異なるコーパスで学習した作った分散表現間でも、類似度が0.6〜0.7にしかならないのは、もうちょっと何とかなってほしい


【おまけ】
ついでに、ヴォイニッチ手稿に、この方法を適用すると、どうなるか試したけど、全ての単語が、","や"a","the","I"などの出現頻度が高い単語との類似度が高くなるように、直交写像Wが学習されてしまい、全然ダメだった(ヴォイニッチ手稿の分散表現は、fasttextで作った)。類似度は、殆どの場合、0.9以上あるので、Wの学習そのものが失敗してるわけではなく、むしろ、最適化を見つけてはいると言える。

この結果だけだと、ヴォイニッチ手稿の単語ベクトルの分布が、偏ってるのか、単語数が少ない(約1000単語)せいで、こうなってるのか分からないけど、聖書一冊(新約+旧約、約5400単語)でやっても、うまくいかなかったので、単語数が少ない時は、もう少し工夫がいるっぽい。そもそも、300次元はでかすぎるのかもしれないという可能性もあるけど、本一冊程度から学習できる程度では、単語ベクトルの点群がなす分布形状全体を網羅しないという方がありそうではある。


ヴォイニッチ手稿を選んだ理由は、思い入れがあるわけではなく、他の未解読文字でもよかったけど
・電子化されたテキストがあること
分かち書きされた言語で書かれてること
という条件で扱いやすそうだったので、ヴォイニッチ手稿を使った。

ヴォイニッチ手稿の画像データは、以下で閲覧できる。
The Voynich Manuscript
https://archive.org/details/TheVoynichManuscript

ちょっと見れば分かる通り、素人目には判読しがたい。画像から(普通、手作業で?)テキストデータに変換することを、transcriptionと読ぶらしい。transcriptionには、行った人によって、複数のバージョンが存在し、統一的な見解というのは、ないようである。

以下の2つのページに、異なるtranscriptionが存在し、似てはいるものの、同一ではない。musyoku/voynich-transcriptionは、大体、20万文字ちょっとになるよう。
musyoku/voynich-transcription
https://github.com/musyoku/voynich-transcription

Voynich Manuscript-transcription
http://www.voynich.com/pages/index.htm

他に、以下のページでも、複数のtranscriptionが入手できる
Reeds/Landini's interlinear file in EVA, version 1.6e6
http://www.ic.unicamp.br/~stolfi/voynich/98-12-28-interln16e6/

未知の文字のOCRは、不可能でないにしても、そこで、間違いが混在する可能性が高いので、先人がテキストに起こしてくれていることが望ましい。あと、個々の文字の判読は難しいけど、なんか、分かち書きされてることは分かる。日本語や中国語のように、分かち書きされてない言語だと、分かち書きするとこから始めないといけない。無教師で分かち書きも、現在の技術で出来ないこともないかもしれないけど

使用した聖書のデータは、Project Gutenbergから引っ張ってきた英語版。

The King James Version of the Bible
http://www.gutenberg.org/ebooks/10

非外科的な豊胸手法

ある時、女性ホルモン(エストロゲン)の分泌量の推移を眺めていたら、ピークが10代ではなく20代にあることに気付いた。が、胸部サイズの成長は、むしろ10代に起こるだろうと思われるので、そう考えると、何らかの成長ホルモンの方が、支配的な影響を及ぼしているのかもしれない。当然、成長ホルモンは、男性でも分泌されるから、女性ホルモンも一定量は必要なのだろうけど、20代女性でも、成長ホルモンを補ってやれば、胸部の成長が起きるかもしれない、と予想した。

成長ホルモンと聞いて、思いつくのは、hGH(ヒト成長ホルモン)であるけども、他の成長因子が重要である可能性もある。少し文献を調べると、IGF-1と胸部サイズの相関が最も高いらしいことが分かったので、被験者(当時、20代半ば。標準的な体型)を探して、テストしてもらった(方法を説明して、定期的にお金を渡した。美味しいものを食べるのに使われたりしてないことは確認した)

その時に、説明した内容がこれ↓

非外科的な豊胸手法
https://gist.github.com/vertexoperator/e4839407ae85d45f26189b378cc5edeb

協力してもらった被験者の方は、Aカップ未満から、概ね、一年に一サイズくらい成長したらしい。当初は、一年くらいの予定だったのだけど、結局、5年強も実験を継続した。年齢的なことと、お金が尽きたので、実験は終了。エストロゲン分泌量は、40歳くらいでも、10代半ばくらいの水準はあるようなので、30代でも効果はあるかもしれない。

残念ながら、被験者は、一人しか確保できなかったので、全然実証には、なってない。5年で、500万円くらい消費したので、複数の被験者を集めたりすることは、金銭的に厳しい。

IGF-1で検索すると、スプレーとか、そういうのが、沢山出てくるけど、99.999%効果はない。IGF-1が含まれているかどうかも怪しいし、含まれていても、液体に溶かした状態で置いておけば、急速に分解していく

外科的な手法と比較すると、

豊胸手術として一般的に想像されるのは、インプラントを皮下に注入する方法であるけども、外科的手法なので、暫くは、相当痛いらしい。こっちは、注射の痛みのみ
豊胸手術の方が、安価かつ短期間に、大きな効果を得られる。こっちは、時間と金がかかる
・注射痕が残る可能性がある

という感じだろうか。Wikipediaには、「日本の厚生労働省は、その他いずれの乳房インプラントも薬事承認しておらず、安全性に関して保障していない」と書いてある。安全性が保証されない点は、同じようなものだろうか。こっちは、本当に効果があるかも怪しいので、不利だけど



これについては、個人的には、満足のいく結果になったので、これ以上は、追求しない。あとは、お金が回復したら、やろうかと思ってる人体実験の話。こちらは、自分自身で実験するつもりなので、気が楽

以前に、食物由来のmiRNAが体内に取り込まれている可能性が話題になった。
Exogenous plant MIR168a specifically targets mammalian LDLRAP1: evidence of cross-kingdom regulation by microRNA
http://www.nature.com/cr/journal/v22/n1/full/cr2011158a.html

これについては
Mining of public sequencing databases supports a non-dietary origin for putative foreign miRNAs: underestimated effects of contamination in NGS
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/24729469
などで否定的な見解が示されていて、また、その他のケースでも、miRNAは消化されてしまい、吸収されるまでに到達しないという結果がいくつか報告されている


では、腸内で細菌にsiRNAを産生させればどうかと考える。通常、殆どの菌や細菌は、経口投与しても消化されてしまい、腸まで生き延びることはできないものの、ある種の乳酸菌は、生きて腸まで届くと宣伝されている。乳酸菌は、様々な菌の総称なので、全ての乳酸菌が消化に耐えるわけではなないらしいが、消化に耐える乳酸菌を遺伝子組み換えによって、siRNAを産生させるようにすれば、腸内でどんどんsiRNAを生産し、それが吸収され、効果を発揮するかもしれない。実際には、siRNAが血中に取り込まれるとしても、それが細胞に取り込まれるかどうかは別問題であるけれども。


乳酸菌は至るところにいるので入手に問題はないけれど、問題は、一般家庭で遺伝子組み換えを行うことは、そんなに容易いことではないという点。DIYBIOという、非研究機関外の人々による生物実験を行うmovement界隈には、"glow-in-the-dark-yogurt"という、GFP遺伝子を導入された乳酸菌で作ったヨーグルトの伝説がある。これが、本当に行われた実験なのかよく分からないし、プロトコルなども公開されていないようなので、あんまり役立つ情報ではない。原理的には、siRNA発現部位と抗生物質耐性遺伝子を持ったリニアなDNAを導入して、相同組み換えを起こすのが、一番楽だとは思うのだけど、それでも課題はある

※)腸溶性カプセルに、細菌を詰めて飲めば、生きて腸まで届くのでは、という気もする。実際、ビフィズス菌のカプセルというものはあるらしい(が、信用できる商品なのかどうかまでは確認していない)。ローテクで済むのであれば、カプセルなしで済ませたいという気もするが、一方で、大腸菌などに、siRNA発現プラスミドを導入する方が、実験としては容易かもという気持ちもある(分子生物学実験をやったことのある人のほとんどは、大腸菌を扱った経験があるだろうし、それだけ色々と知見もあるということであるし)

乳酸菌以外の選択肢としては、納豆菌も候補になりうる。


最近、検索して、類似のことを考えていた研究者が居たのを発見した。
RNAi創薬を目指したRNAデリバリー技術の開発
https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-20015032/
によれば、"現状ではshRNAのみを産生する乳酸菌株を作製し、マウスにおいてこの乳酸菌を投与することで特異的なRNAi効果が起こることを見いだした。今後CPP-RBPとshRNAの共発現系を内包する乳酸菌を作ることにより、このRNAi効果がより顕著になることを期待している。"とある。CPP-RBPというのは、siRNAの細胞内導入効率を高めるべく設計されたタンパク質らしいが、それがなくても、RNAi効果が確認できた(どれくらいの効果があったのかは論文読まないと分からないが)ということで、よいニュースではある。研究者たちは、癌治療の手法として、この方法を考えたらしいけど、私見だと、癌治療にRNAiを使うのはgood ideaとは思えない。その後、研究を断念したのか、どうなったのかは不明


どっちかというと、HIV治療とかの方が見込みがありそうな感じではある。
RNA interference approaches for treatment of HIV-1 infection
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC4445287/
HIV治療に使う(HIVを体内から根絶する)には、上のCPP-RBPのように、細胞内導入効率を高める工夫が必要かもしれないし、それを乗り越えても、"mutation escape"という課題があり、単一のsiRNAで根治というわけにはいかないと思うけど。ただ、HIV治療に使えるなら、原理的には、他のRNAウィルス(インフルエンザウィルス、ノロウィルス、エボラウィルスetc.)でも何かしら使えるかもしれない。

私自身は、特に困ってないので、病気の治療に興味はないから、適当に、自分の遺伝子発現を抑制できるか見たい。ターゲット遺伝子は何でもいいけれど、できれば発現を抑制して有益な効果をもたらす遺伝子がいい。現在、候補として、ミオスタチンを考えている。これは、ミオスタチン関連筋肥大で知られる遺伝子で、筋肉の成長を抑制する働きがあり、生まれつき欠損していたりする場合、筋肉が異常に成長するらしい。というわけで、可能性としては、「トレーニングしないでも食べるだけで、筋肉が成長していくヨーグルト」というものが作れるかもしれない。

研究室と違って、基本的な試薬も実験機器もないので、色々方法を考えないといけないし、差し当たって、お金がない

光の位相演算子

誰か、闇の位相演算子も定義してほしいと思ったけど、ダークソリトンとかあるし、頑張れば何とかならないのだろうか

本題。量子力学に於ける不確定性原理は、可換でない演算子の組があれば成立するものの、

(1)時間とエネルギーの不確定性関係に於いて、時間演算子は存在しないという批判
(2)光子数と位相の不確定性関係に於いて、位相演算子の定義に問題がある件
(3)相対論的量子力学に於いて、光子の位置演算子の定義ができないという問題

など、基本的であっても、演算子の定義自体が問題とされるケースも多い。

(1)の時間とエネルギーの不確定性関係は、1927年のHeisenbergの論文にも書かれているけど、Pauliによって批判されたらしい。Hamiltonianと正準交換関係を満たす時間演算子があれば、Hamiltonianが無限小時間並進演算子なのと同様、時間演算子は、"無限小エネルギーシフト"演算子となるけど、エネルギーは勝手にシフトすると、固有状態が存在しなかったりするので、不都合となる。時間演算子を使わず、時間とエネルギーの不確定性関係を導く議論も多々ある。ただ、位置と運動量の不確定性関係の場合、位置演算子と運動量演算子の同時固有状態が存在しないのと比べて、時間とエネルギーについては、そもそも同時固有状態という考え方が適用できない。形式的に同じような式が出ても、物理的意味が同じと言えるのか、よく分からない

(3)の問題の発端は、1949年のNewtonとWignerの以下の論文にある。
Localized States for Elementary Systems
https://journals.aps.org/rmp/abstract/10.1103/RevModPhys.21.400

この論文では、単一の相対論的自由粒子の位置演算子をどう定義するのかという問題に、部分的な解答を与えている。相対論的自由粒子なので、考える状態空間は、ポアンカレ代数の既約ユニタリ表現となる。massiveな場合は、ポアンカレ代数の生成元の(非可換)有理式で書かれる演算子が存在し、位置演算子となるとしている(現在では、Newton-Wigner演算子と呼ばれる)。masslessの場合は、これは、うまくいかないらしい

普通の量子力学では、状態空間を[L^2(\mathbb{R}^3)]に選んでるとか、あるいは、同じようなことだけど、CCR代数の表現空間に選んでいるという理由で、位置演算子の定義は、問題なくなっている。これはこれで、相空間T^{*}\mathbb{R}^3(上の関数環)を量子化したから〜といった正当化が与えられているけど、Newton-Wignerの問題設定とパラレルに考えると、非相対論的な自由粒子の状態空間は、ガリレイ代数の既約ユニタリ表現空間となる。この場合は、無限小Galilean boostの位置演算子の1/mが位置演算子を与えると思える(mは粒子の質量)。古典的には、これは、重心座標を表す保存量なので、一粒子系では、粒子の座標と思って、差し支えない。ガリレイ代数の場合でも、massless particleを考えられるけど、m=0では、位置演算子が作れないので、相対論的な場合と、問題は同根じゃないかと思う。

【補足】ガリレイ代数の場合でも、massless particleを考えられることの反映として、電磁気学の非相対論的極限などが存在する。研究の嚆矢は1960年代にあるようだけど、1973年以来、これは、Galilean electromagnetismという名前で知られている。面白いことに、非相対論的極限には、magnetic limitとelectric limitの二種類がある。以下の論文によれば、二種類ある理由は、斉次ガリレイ群(ガリレイ群から、並進を除いたもので、Lorentz群の非相対論版)のベクトル表現は、二つある(彼らの記号では、D(1,1,0),D(1,1,1))からと書いている。
Galilei invariant theories. I. Constructions of indecomposable finite-dimensional representations of the homogeneous Galilei group: directly and via contractions
https://arxiv.org/abs/math-ph/0604002
斉次ガリレイ群の4次元表現として、誰でも知ってるものは、Galilean boostによってx_i \mapsto x_i + v_i x_0(i=1,2,3)と変換するものがある(v_iは、パラメータで、x_0は時間変数に相当する)。これの行列表示を転置したものも、Lorentz群のベクトル表現の非相対論的極限で、得られるということらしい



(2)の問題は、波数や周波数が単一のモードであるような、量子光学的なモデルで考察される。状態空間は、光子の生成・消滅演算子を真空に繰り返し作用させて張られる空間で、数学的には、調和振動子の系と変わらない。粒子数演算子は問題なく定義できるけど、位相演算子の方は、謎がある。この問題に最初にアプローチしたのは、Diracだとされている。
The Quantum Theory of the Emission and Absorption of Radiation
https://royalsocietypublishing.org/doi/abs/10.1098/rspa.1927.0039

古典的には、実信号が、解析信号V(t)の実部となっている場合(例えば、電磁波を受信して得られた、生の電気信号があるというような場合、解析信号の計算は、原理的にはヒルベルト変換を使えば出来る) 、以下の極分解がある
V(t) = \sqrt{I(t)} \exp(i \phi(t))
I(t)が強度で、\phi(t)は位相。

量子論に於いては、消滅演算子のpolar decompositionが
\hat{a} = e^{-i \Phi} \sqrt{N} = \sqrt{N+1} e^{-i \Phi}
で定義される。Diracの論文の式(10)には、生成・消滅演算子のpolar decompositionが書かれている。Nは粒子数演算子で、単一モードで考えているので、光子数と全エネルギーは比例するから、強度演算子と呼ばれることもある。E=e^{-i \Phi}の部分は、現在、Susskind-Glogower演算子という名前で呼ばれているものと同じ。

Susskind–Glogower operator
https://en.wikipedia.org/wiki/Susskind%E2%80%93Glogower_operator

Susskind-Glogower演算子は、調和振動子の生成・消滅演算子の(非可換)多項式の形では書けないけど、状態空間の正規直交基底を、|0>,|1>,...とすれば
 \sqrt{n} |n-1\rangle = a|n> = E \sqrt{N} |n \rangle = \sqrt{n} E|n \rangle
であるから、
 E = |0\rangle\langle 1| + |1\rangle\langle2| + \cdots
とすればいい。こうすると、E\sqrt{N} = \sqrt{N+1}Eが消滅演算子と等しいことは容易に分かる。従って、消滅演算子の極分解自体は、ちゃんと存在する。測定可能量はエルミートであることが必要だけど、(E+E^{\dagger})/2,(E-E^{\dagger})/2iと分解すれば、エルミート演算子を得ることはできる。

単一モードで考えているので、量子化した電場は、規格化因子を除けば、
\hat{\mathbf{E}}(\mathbf{r},t) = i \omega \mathbf{e}(\hat{a} e^{i(\mathbf{k}\cdot\mathbf{r} - \omega t)} - \hat{a}^{\dagger}e^{-i(\mathbf{k}\cdot\mathbf{r} - \omega t)})
という形で書け(\mathbf{e},\omega,\mathbf{k}は偏光ベクトル、周波数、波数。偏光ベクトルは実であるとする)、コヒーレント状態に対する、量子化した電場の期待値は
\langle \alpha| \hat{\mathbf{E}}(\mathbf{r},t) | \alpha \rangle = -2 \omega \mathrm{Im}(\alpha e^{i(\mathbf{k}\cdot\mathbf{r} - \omega t)}) \mathbf{e} = -2 \omega |\alpha| \sin(\mathbf{k}\cdot\mathbf{r}-\omega t + \theta) \mathbf{e}
となる。\alpha = |\alpha| e^{i \theta}で、\thetaが欲しい位相になる。これは、絶対位相で、座標原点の取り方に依存した量だから、直接観測できる量ではないだろうし、理想的な位相演算子が存在しても、それ自体は、観測できない量になると思われる

コヒーレント状態に対する位相演算子の期待値は、\alpha/|\alpha|になるのが理想だけど、Susskind-Glogower演算子の期待値を計算すると、厳密に、このような量にはならない
\langle \alpha | E | \alpha \rangle = \alpha e^{-|\alpha|^2} \sum_{n=0}^{\infty}\frac{1}{\sqrt{n+1}} \frac{|\alpha|^{2n}}{n!}
である。まぁ、絶対値は1でないけど、位相成分は一致してるし、古典的な光学で利用される光では、光子数は非常に大きく(例えば、平均出力1mW、波長500nmのレーザー光は、毎秒10^15個オーダーの光子を放出している)、
e^{-x} \sum_{n=0}^{\infty}\frac{1}{\sqrt{n+1}} \frac{x^n}{n!} \approx \frac{1}{\sqrt{x}}
が、大きいxでは成立していそうなので、許容できるかもしれない(数値実験した範囲では、これは正しいようだけど、証明は知らない)

古典的な場合と異なり、EとNは可換でないから、同時固有状態は存在せず、位相と強度には、何らかの不確定性関係があることになる。簡単な計算で、[E,N]=Eであることが分かる。この交換関係は、円周上の北門・大貫代数と呼ばれるものと同じ。この関係式自体は、形式的には、sl(2)のChevalley基底([h,e]=2eや[h,f]=-2f)だったり、ax+b群のLie環の関係式だったりでも見ることができるけど、(仮想的な)"位相演算子"\Phiに対して、e^{-i \Phi}に相当する演算子を作りたいという発想なので、Eは、(適当な表現空間上で)ユニタリーであってほしい。これは、sl(2)やax+b群のとは、話が違う

形式的な計算では、
|\theta \rangle = \sum_{n=0}^{\infty} e^{i n \theta} |n \rangle
という状態に対して、
E|\theta \rangle = e^{i \theta} |\theta \rangle
が成立する。ただ、E|0\rangle = 0でもあるので、ユニタリーではない

ユニタリー性を破るのは、真空|0>の場合のみで、真空はα=0のコヒーレント状態であるから、素朴に考えると、位相はα/|α|=0/0で、不定となる。古典的にも、強度が0であれば、位相を定義することはできない。数学的には、極座標で、原点の表示が一意に決まらないことに対応する。プログラミングなら、なんか例外を投げたいとこではある。位相が不定になる唯一の状態を、固有値0の固有状態に持つのは、利点にも見えるけど、ユニタリー性を破る原因でもあるので、欠陥だと考える人もいる


Susskind-Glogower演算子は、粒子数シフト演算子になっている。これは、エネルギーや運動量が、時間や位置の無限小並進演算子なのと類似している。もし、光子数に下限がなければ、粒子数シフト演算子は、完璧な位相演算子を定義する。正規直交基底が、|0>,|±1>,|±2>,...ととれる場合、粒子数演算子の素直な類似は
N |n \rangle = n|n \rangle
であり、またSusskind-Glogower演算子の類似として
V |n+1 \rangle = |n \rangle
と取れる。NとVは、hermitian operatorとunitary operatorであり、形式的に
|\theta \rangle = \sum_{n=-\infty}^{\infty} e^{i n \theta} |n \rangle
とすると、これは、Vの"固有状態"となる(自身との内積が発散するから、数学的には、固有状態ではないけど)
 V | \theta \rangle = e ~{i \theta} | \theta \rangle
そして、今度は、V^{\dagger}の固有状態でもある。また、NとVは、交換関係
[V,N]=V
を満たすので、円周上の北門・大貫代数の"ユニタリ表現"を与えている(Vがユニタリ演算子で、Nがエルミート演算子の時、ユニタリ表現と呼ぶのが適切。既に見た通り、単一の調和振動子の状態空間にも、北門・大貫代数の表現が定義できたが、"ユニタリ表現"にはなっていなかった)

円周上の北門・大貫代数のユニタリ表現から、2次元Euclid代数のユニタリ表現を作ることが出来る。(複素)2次元Euclid代数は、生成元D,X,Yと交換関係
[D,X]=Y,[D,Y]=-X,[X,Y]=0
で定義され、エルミート共役を取る操作(Lie環に内在的に定義されるCartan involutionは、ユニタリ表現上で、歪エルミート共役を取る操作になるので、そのマイナスのこと)で
D^{*}=-D , X^{*}=X , Y^{*}=Y
のように変換されるとすると、
 D = i N , X =\frac{1}{2}(V + V^{\dagger}) , Y= \frac{1}{2i}(V - V^{\dagger})
によって、2次元Euclid代数のユニタリ表現が定まる。Vはエルミート演算子でないけど、XとYは、エルミート演算子になっている。

Vの実部Xと虚部Yは、Vのユニタリー性から可換でないといけない。調和振動子の空間で、生成消滅演算子も実部と虚部に分けることができ、初等的な量子力学では、位置演算子と運動量演算子に対応するので、可換ではない。量子光学では、位置と運動量ではなく、直交位相振幅とか呼ばれることが多い

円周の座標を\phiとして、|n>が円周上の関数e^{-i n \phi}であれば、
 D \mapsto -\frac{d}{d \phi} , X \mapsto \cos \phi , Y \mapsto \sin \phi
としても同値な表現を得る。北門・大貫代数の定義式[V,N]=Vは、
[e^{i\phi} , i \frac{d}{d\phi}] = e^{i\phi}
と同じものと解釈できる。このような系は、円周上の量子力学と等価で、"位相演算子"Vが、円周上の位置演算子の役割を果たし、粒子数演算子は、円周上の運動量演算子に相当する。そういうわけで、円周上の北門・大貫代数は、CCR代数の変種であって、Susskind-Glogower演算子は、非常に惜しいことが分かる



光子の位相演算子としては、Pegg-Barnett位相演算子というのも、よく見かける。論文は、1989年に出ている

Phase properties of the quantized single-mode electromagnetic field
https://journals.aps.org/pra/abstract/10.1103/PhysRevA.39.1665

Pegg-Barnettの方法では、有限準位系に対して、(ユニタリーな)有限位相演算子を定義して、極限を取って、無限準位に移行するけど、数学的に正当化できるかは疑わしい



絶対位相は、位相演算子が定義できても、どうせ観測できないはずの量だから、位相差演算子が存在すればいいという考え方もありうる。

偏光状態の記述でよく使われる物理量に、Stokesパラメータがあり、測定装置なども販売されてるらしい。Stokesパラメータには、量子版のStokes演算子が存在して、偏光状態の記述に限らず、一般の2モード状態で定義できる。コヒーレント状態に対するStokes演算子の期待値を見ると、位相差に関する量を含んでいる。

(単一光子状態などでも使える)直交位相振幅の測定法として、バランス型ホモダイン測定という手法があるらしいけど、バランス型ホモダイン測定に於ける測定量は、2モードに於けるStokes演算子(の一つ)と見なせるようである。入射する光の一方が、コヒーレント状態にある光であれば、計算によって、直交位相振幅を測定できることが分かる(※)

※)参考文献:古澤明『量子光学の基礎』16〜17ページ。Stokes演算子とは書いてないけど、この本の中で、"バランス型ホモダイン測定の出力"だと書かれている式(1.64)は、Stokes演算子の一つになっている


Stokes演算子の期待値が位相差に関する情報を含んでいても、Stokes演算子自体は、位相差演算子ではない(丁度、単一モードでは、消滅演算子の固有状態がコヒーレント状態であるけど、消滅演算子は位相演算子そのものではないのと同様)から、2モードで位相差演算子を定義できるかというのは、自明な問題でもない。1993年に

Phase-difference operator
https://journals.aps.org/pra/abstract/10.1103/PhysRevA.48.4702

という論文が出ている。基本的には、位相差演算子が満たしてほしい条件(2.5a)(2.5b)を提示し、この2つの条件を満たしつつ、ユニタリー性を備える演算子(今までと同様位相のexponentialを与える演算子なので、エルミートではなく、ユニタリーであることを要求する)は存在しないので、どうしようという話。条件(2.5a)は、位相差演算子は、総粒子数演算子と可換という条件で、条件(2.5b)は、位相差演算子と相対粒子数演算子(の1/2)が、円周上の北門・大貫代数をなすという条件。

論文の条件(2.5a)(2.5b)が、自然であることは、例えば、以下のように考えれば分かると思う。仮に、2つの独立な北門・大貫代数(Nはエルミートと仮定する)
[E_1,N_1]=E_1 , [E_2,N_2]=E_2
があれば、形式的に
[E_1E_2^{\dagger} , N_1+N_2] = 0
[E_1E_2^{\dagger} , N_1-N_2] = 2E_1E_2^{\dagger}
と計算できる。E_1E_2^{\dagger}は、Susskind-Glogower演算子を使って書いた位相差演算子に相当する。少し条件を弱めて、
[E_{12} , N_1+N_2]= 0 , [E_{12} , N_1-N_2] = 2E_{12}
としたものが、条件(2.5a)(2.5b)。この2条件を満たすユニタリー演算子E_{12}が存在するか否かを考えてみることができる。論文では、古典的なPoisson括弧による関係式の量子化として、条件(2.5a)(2.5b)を書いている。いずれにせよ、この2つの条件は、成立してほしいと考える理由がある。


理想的な位相差演算子が存在しないことの証明は、以下の通り。条件(2.5b)から、位相差演算子と、相対粒子数演算子は閉じた代数をなし、位相差演算子がユニタリーであることを要求すると、二次元Euclid代数のユニタリー表現が定まることになる。ユニタリー性から位相差演算子は0でないけど、その場合、二次元Euclid代数のユニタリー表現は、必ず、無限次元である。一方、条件(2.5a)から、この二次元Euclid代数の作用は、総粒子数演算子と可換で、二次元Euclid代数の作用は、総粒子数一定の空間で閉じる必要がある。総粒子数nの部分空間の次元は、n+1で有限だから、条件(2.5a)(2.5b)と位相差演算子のユニタリー性を同時に満たすことはできない

常識的に考えれば、一方の粒子数が0の時は、干渉させることはできないので、位相差は定義できない。実際に、条件(2.5a)(2.5b)を満たすように位相差演算子を決めようとすると、問題を起こすのは、どっちかの粒子数が0の場合なので、問題の根源は、単一モードの時と変わらないと思われる。また、Stokesパラメータには、位相差のcosとsinに比例するパラメータがあり、通常、atanを計算することで、位相差がわかるが、一方の強度が0の場合、この2つのパラメータは、どっちも0になってしまい、位相差は不定となる

可能な選択肢は3つある。
(1)ユニタリー性を諦める。この場合、条件を満たす演算子は、Susskind-Glogower演算子を使って書けるものに限ることが示せる
(2)条件(2.5a)を諦める。RNS位相演算子や、Shapiro-Wagner位相演算子というもの(※)が知られていて、二乗すれば、条件(2.5b)を満たすユニタリー演算子となる
(3)条件(2.5b)を諦める。この場合、可能な演算子は、論文の式(2.13)で定義されるものに限る。論文著者の名前を採って、Luis-Sanchez-Sotoの(位相差)演算子と呼ばれることがある


※)RNS位相演算子については、以下に日本語の解説がある(RNS位相演算子は、一方のモードを、真空状態に取ることで、もう一方の位相を定義している)
位相演算子とその応用 : 量子光学系におけるコヒーレンスと散逸
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/94961

Shapeiro-Wagnerの論文は、以下であるけど、Shapiro-Wagner位相演算子を実際に導入したのは、Hradilという人のようである
Phase and amplitude uncertainties in heterodyne detection
https://ieeexplore.ieee.org/document/1072470

Shapiro-Wagner位相演算子とRNS位相演算子がユニタリ同値だということは、以下で主張されている
Unitary equivalence between ideal and feasible phases
https://journals.aps.org/pra/abstract/10.1103/PhysRevA.50.2785


理想的な位相差演算子は存在せず、少なくとも、4つの位相差演算子の候補がある。多分、どれが正しい定義とかいうのはなくて、どの位相差演算子も("実部"と"虚部"に分解すればエルミートだから)測定できる可能性はある

Airy関数、奴は超幾何四天王の中でも最弱

何とはなしに目にした論文arXiv:1401.0025で、超双曲方程式から、Airyの微分方程式への次元簡約が与えられていた。Gauss超幾何関数について、類似の簡約は、Selected topics in integral geometryという本のChapter2の1.2節が、"John transform and Gauss hypergeometric function"というタイトルで、その中に与えられている。後者の本では、積分変換から、やや天下り的に与えられている。

他のGauss超幾何関数の眷属(Kummer,Hermite-Weber,Bessel)についても、同様の次元簡約が存在するけど、明示的に書かれてるのを見たことがないので、以下で計算した。

超双曲方程式から超幾何型関数への簡約
https://vertexoperator.github.io/2018/11/28/reduction_of_ultrahypebolic_equation.html

特に、難しい議論とかはなくて、面倒な算数をやるだけ。これらの次元簡約は、Gauss超幾何関数を、Grassmann多様体上のGelfand超幾何系として実現する時にも、現れているので新しいものじゃない。Gelfand超幾何系を定義する標準的なやり方は、Z \subset Mat(2,4)を、GL(2)の左作用と、GL(4)の3次元可換部分群Hで割るというもの。代わりに、(確認してないけど)、Mat(2,4)の部分集合上で定義されるGrassmann超幾何系の主要部分を、左からのGL(2)作用で簡約したら、超双曲方程式になるのだろう。で、残りのHの方で、超双曲方程式を簡約する、というのが、上に書いた話になる。GL(2)で割った後に出てくる多様体は、Grassmann多様体Gr(2,\mathbb{C}^4で、これは、4次元だから、これを1次元に簡約するには、4-1=3次元以上の群が必要になる。簡約に使われる群は、GL(4)の極大可換部分群で、全て3次元になっている。

Gelfand超幾何関数の文脈では、可換群Hの無限小作用が書かれてることは少ない気がするけど、同様の群は、MasonとWoodhouseの"Integrability, Self-duality, and Twistor Theory"という本では、Painleve groupsという名前で、無限小作用の形と共に与えられている(本のTable7.2と、その周辺)。Painleve groupsという名前は、SL(2,C)-ASDYM(反自己双対Yang-Mills)方程式を、同様に次元簡約した場合、Painleve方程式が出るので、そう名付けたようである。超幾何関数のことも考えると、いい名前とも思えないし、書籍の出版から20年以上経っても、特に普及した名称とはなってないと思う。

論文としては、

Self-duality and the Painleve transcendents
http://iopscience.iop.org/article/10.1088/0951-7715/6/4/004

があるけど、様々な人が、ばらばらに発見していた次元簡約を、MasonとWoodhouseが、まとめたということっぽい


超双曲方程式は、物理でも、数学でも、それほど注目されることがない。1938年に、Firtz Johnという人が、解を積分変換で書けるという論文を書いたらしく、それに因んで、John's equationと呼ばれることもあるらしい。

John's equation
https://en.wikipedia.org/wiki/John%27s_equation

これは、後に、twistor理論で発見されたPenrose変換と同種のもので、20世紀初頭には、WhittakerとBatemanが、3次元と4次元Laplace方程式に対して、類似の結果を与えていた(全然理解してないけど、3次元Laplace方程式の方は、mini-twistorの文脈で理解できるらしい)。

Selected topics in integral geometryでは、Fritz Johnが与えた積分変換から、超幾何積分を作っている。


超双曲方程式は、ナイーブにはEuclid空間上で定義されていて、一見すると、超幾何関数を連想するものは、何もないけど、その共形対称性は、Spin(3,3) \simeq SL(4,\mathbb{R})で与えられる。この共形対称性から、共形コンパクト化を考えると、(S^2 \times S^2)/\{\pm 1\}であるけど、これは、Grassmann多様体Gr(2,\mathbb{R}^4)と同型なので、Grassmann多様体とは浅くない因縁がある。複素化した無限小共形対称性は、\mathfrak{sl}(4,\mathbb{C})であるけど、これは、Gauss超幾何関数の隣接関係式を与える"対称性"となる。隣接関係式が、"対称性"に見えるという事実の発見者が、誰なのかよく分からないけど、Willard Miller, Jr.という人が、それらしいことを書いている(1970年代初め頃)

Lie Theory and the Lauricella Functions FD
https://aip.scitation.org/doi/abs/10.1063/1.1666152

Lie Theory and the Appell Functions $F_1$
https://epubs.siam.org/doi/abs/10.1137/0504055

Lie Theory and Generalizations of the Hypergeometric Functions
https://epubs.siam.org/doi/10.1137/0125026

Symmetries of Differential Equations. The Hypergeometric and Euler–Darboux Equations
https://epubs.siam.org/doi/10.1137/0504030

Millerは、dynamical symmetry algebraという言葉を使っていて、論文を読むと、(Gauss超幾何の場合)、形式的に、3つの変数を追加していたりする。当時は、その意味は、よく分からなかったのじゃないかと思うけど、現在から見ると、次元簡約で失われた3つの変数を復活させていると理解できる。この変数の意味は、Gelfand超幾何系から始めるよりも、超双曲方程式から始めたほうが、見やすい。


超双曲方程式の解は、Fritz Johnによって、積分変換の形で与えられた(X-ray transformと呼ばれることもある)。これは、massless Klein-Gordon方程式の解を、Penrose変換で書く話と、親戚みたいなものになっている。massless Klein-Gordon方程式の解が、SU(2,2)の極小表現を与えたのと同様の意味で、超双曲方程式の解は、SL(4,\mathbb{R})の"極小表現"を与える。詳細は、以下の論文などが良いと思う

The Penrose Transform in the Split Signature
https://arxiv.org/abs/0812.3692

論文では、split Penrose transformという名称が使われている。Penroseは、3つのタイプのPenrose変換の最後の一つを見つけたので、priorityの観点からは、Penrose変換と呼ぶのはどうかという気もするけど、twistor理論が出るまで、特に注目されずにいた結果なので、仕方ない。

そういうわけで、大雑把には、Gauss超幾何関数<->超双曲方程式<->SL(4,\mathbb{R})の"極小表現"という繋がりがある。一般化の方向性としては、
(1)q-変形を考える
(2)Appell-Lauricella超幾何関数<->???<->SL(n,\mathbb{R})の何らかの既約ユニタリ表現
などが思いつく。もうやってる人がいるかもしれないけど

ある種の細胞老化は可逆かもしれないという話

個体老化が連続的に起こるのに対して、細胞老化は不連続な状態変化で、老化した細胞は、長期に渡って残って、SASPによって周囲に悪影響を及ぼすとされている。細胞老化は不可逆だと長年思われているので、ここ数年、老化細胞を殺して除去しようというのが、老化治療薬の指針として検討されるようになってきた。老化細胞を殺して、老化を治療する薬をsenolytic(多分、まだ定まった訳語はないけど、、検索すると、老化細胞除去薬などと訳されていた)と総称するらしい。senolyticの候補は、既に、いくつか挙がっているようだけど、まだ十分調べつくされてる感じでもないので、数年は盛り上がって、やっぱりダメだったとなるのかもしれない

#老化細胞を除去するだけでは、明らかに必要な細胞が不足する。幹細胞は、長期間に渡って、増殖を停止した静止状態を維持できるらしい(幹細胞はしばしば低酸素環境に集まるらしく、造血幹細胞などでは、低酸素状態と低酸素応答因子が、この維持に必須らしい)けど、不足した細胞を補うために、分化・増殖を行うことは必要となるはず。こうして、幹細胞も分裂寿命や細胞老化と無縁ではいられなくなり、やがては枯渇すると考えられる。115歳まで生きたヘンドリック・ヴァン・アンデル・シッパーという人の白血球は、死の直前の調査で、僅か2つの造血幹細胞に由来していたという話がある。一部の老化症状は、幹細胞の枯渇によって引き起こされる(造血幹細胞の枯渇による貧血、色素幹細胞の不足による白髪、表皮幹細胞の枯渇による皮膚の菲薄化など)ようなので、senolyticが老化関連疾患の予防に有用であるとしても、老化の克服には不十分じゃないかと思う。


細胞老化が不可逆というのは、証明されている事実というよりは、生物系でよくあるように、単に反例が見つかってないというだけのことで、本当かどうかは分からない。最近、大分前にニュースで見かけた2017年10月の論文を思い出して読んだら、ある種の老化細胞を回復させることができるらしきことが書いてあった

Small molecule modulation of splicing factor expression is associated with rescue from cellular senescence
https://bmccellbiol.biomedcentral.com/articles/10.1186/s12860-017-0147-7

論文の内容は、ヒト線維芽細胞を継代培養して、増殖が十分遅くなるまで待つ(論文では、0.5PD/weekと書かれている。PDはpopulation doublingsの略)と、1960年代にヘイフリックが発見した通り、細胞増殖が遅くなり、やがて停止する。これが、現在、細胞老化と呼ばれているプロセスの発見で、今ではテロメア長が、この限界を決めていると考えられている。で、この老化細胞たちをレスベラトロールに晒すと、細胞増殖が再開するらしい。レスベラトロール・アナログ(resveralogues)を使っているのは、以前から、Sirt1を過剰
発現すると、テロメラーゼが活性化するという報告がされていたらしいけど、今回のはSirt1を介した作用ではないよ、と言いたかったらしい(レスベラトロールの側鎖の違いによって、Sirt1活性化作用は大きく変化するらしい)。


スプライシング因子がどうたら言ってるのは、このグループの最近のテーマっぽくて、冒頭から"Altered expression of mRNA splicing factors (...) is thought to be an ageing mechanism."と書いてあったりするけど、本当かよという感じではある。調べた限り、スプライシング因子が老化に対して重要であるという報告はそんなに多くない。一般的に、増殖が再開すれば、転写やタンパク合成も活発化すると思われるので、スプライシング因子の発現増加は、単に、老化から回復した結果と思っても、特に矛盾はない気がする。

一応、他のグループによるらしい研究として、2017年1月に出ていた

Splicing factor 1 modulates dietary restriction and TORC1 pathway longevity in C. elegans.
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/27919065

などがある。これは線虫の論文。


レスベラトロールについて。10年位前は、カロリー制限を模倣しようという発想に基づく老化治療薬の探索が流行って、レスベラトロールはその筆頭候補みたいな扱いで、Sirt1は主要なターゲット遺伝子の一つとみなされていた。そういうわけで、レスベラトロールを投与した時の効果というのも、色々と調べられてはいる。2006年のNatureの論文で、高脂肪食を与えたマウスでは寿命が縮むが、レスベラトロールを同時に投与すると、寿命と健康が元の水準まで回復するという論文が出ているけど、通常食のマウスにレスベラトロールを与えても寿命や健康がより改善するとは言ってない点で微妙(そもそも、通常食+レスベラトロールのデータを何故取ってないのかは理解不能)。
Resveratrol improves health and survival of mice on a high-calorie diet
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/17086191

また、ハエや線虫や酵母で、Sirt1類似遺伝子の過剰発現で寿命が延長するという報告は実験ミスだという論文が2011年に出て、レスベラトロールの作用はSirt1を介したものがメインと考えられていたので、レスベラトロールに対する信用も大分失われた
Absence of effects of Sir2 overexpression on lifespan in C. elegans and Drosophila
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/21938067

そんなこんなで、レスベラトロールの作用についても、はっきりしない。一応、酵母、線虫、ハエあたりでのレスベラトロールによる寿命延長効果は、まだ否定されてないと思うので、レスベラトロール・アナログで効果の違いを見れば、寿命延長効果があるのであれば、Sirt1依存性を測れそうなものだけど、どうなんだろうか

レスベラトロールに細胞老化回復作用があるとしても、ヒトに対するレスベラトロールの効果について、否定的な報告もある。単に効果が弱いのか、培養細胞にしか効果がないのか、ヘイフリック限界以外の要因(ストレス老化)で細胞老化を起こした場合には効かないのか、老化細胞の蓄積が個体老化の主要な要因ではないのかetc...あるいは、細胞老化回復作用自体がfakeなのか

まず、濃度チェック。論文では、レスベラトロール・アナログを10,50,100μMの3条件で実験したとある。人体の血液5L中に、同濃度でレスベラトロールが存在する場合、50,250,500μmolで、分子量は、228.25 g/molらしいので、それぞれ、11.5mg,57mg,114mgに相当する。経口摂取で、どのくらい吸収されるかは知らないけど、とりあえず、10~100mgを摂取量の目安とする。赤ワインに含まれるレスベラトロールは、1~10mg/Lらしいので、普通に摂取しても該当量のレスベラトロールを得ることは難しく、レスベラトロール豊富な食事を摂取していた人を追跡調査して、特に有意な健康増進・寿命延長効果が見られなかったとしても、単に量が少なすぎただけかもしれない。100mg/dayのレスベラトロール摂取は、通常の食事では不可能なレベルと思われるけど、そのような人々を長期追跡した研究があるのかは不明(数週間〜数カ月に渡る投与を行った疫学的調査は存在し、投与量は、数十mg~数百mgのものが多いようである)

マウスにレスベラトロール食を与えた2006年の論文を見ると、食事は、通常食、高カロリー食、"HC diet with the addition of 0.04% resveratrol"の3パターンでデータを取っている。Supplemental dataのFood intakeを見ると、大体、15~20g/weekになっているので、レスベラトロール投与量は6~8mg/week、あるいは1mg/day程度になる。マウスの体重は、50g程度らしいので、単純に体重比で比べると、ヒトで1000mg/day相当という量に相当する(体重1kgあたり20mg/day)。レスベラトロールの過剰摂取による毒性がないかどうかは気になるところではあるけど、量が少なすぎるという心配はなさそうに思える。高カロリー食+レスベラトロールでは、寿命は、通常食のものに戻ったに過ぎない。何故そこで打ち止めなのか、答えは、よく分からないけど、細胞老化を起こす原因も何種類かあって、レスベラトロールは、一部のものにしか効果がないのかもしれない

#以下のページに記載されているところによれば、"Sprague-Dawley系ラットに,レスベラトロールとして20 mg/kg/day の用量で28日間の反復投与を行った結果,生化学的パラメータに異常がみられなかったこと,試験終了後に行った剖検において臓器の肉眼的異常は認められなかったこと"が報告されているらしい
http://www.oryza.co.jp/product/detail/resveratrol_igai


細胞老化には、ヘイフリック限界によるものとは別に、テロメア依存ではないもの(ストレス老化)も存在し、DNA損傷などによる癌化の防御機構として働いていると考えられている。レスベラトロールが、ストレス老化で生じた老化細胞には効果がないという可能性は否定はできない。素朴に考えれば、ヘイフリック限界に達した場合は、単にテロメア長が足りないだけだけど、ストレス老化の場合、DNA損傷などのせいで、安直に増殖を再開すると癌化するかもしれない。

一方、癌とは関係ない"ストレス老化"もあるかもしれない。多分、今の所、酵母のみじゃないかと思うけど、細胞膜損傷が細胞老化を誘導すると報告している人もいる。
KAKEN:細胞膜損傷による細胞老化誘導の分子基盤解明
https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-15K19012/
この人は、パルス幅3ns,波長440nmのパルスレーザーで孔を開けているらしい。細胞膜穿孔の手段としてはポピュラーなようだけど、自然界で通常起こっている過程と同一というわけではないので、大丈夫なんだろうか(生体内での細胞膜損傷の原因は、ある種の細菌が産生する毒素や、強い機械的ストレスによるものなどがある)。マウスでは、組織レベルの創傷治癒時に、老化細胞が出現すると報告されていて、senolyticによって創傷治癒が遅れるらしい。

#IGF-1には創傷治療促進作用と同時に、老化促進作用があり、アスピリンには抗老化作用があると考えられる一方創傷治癒遅延を引き起こす。IGF-1は細胞増殖を促進しアスピリンは、抗炎症血作用や血液凝固を阻害する作用があるので創傷への影響は当然のようにも思えるけど、老化に対しても、同じように作用するのは示唆的ではある

DNA損傷を伴わない細胞老化は、回復しても問題なさそうに思えるけど、ある種の老化細胞は、可逆的かもしれないという話は、以前からあるらしい。

老化研究事起こし――老化細胞は高齢者の臓器に実際あるのか?
http://www.jsbmg.jp/products/pdf/BG35-1/35-1_37-39.pdf

には「p53とp16の両方の亢進が関わる分裂停止は不可逆的であるが、p53単独が関わる分裂停止は、可逆的だ」と指摘する人もいると書いている。

Reversal of human cellular senescence: roles of the p53 and p16 pathways
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/12912919

は、2003年の論文だけど、Abstractによれば、テロメアの機能異常による細胞老化は、可逆であり、主にp53によって維持されているが、p16も、無制限の成長に対する第二のバリアーとして働くと書いている。

#ほくろ(母斑細胞)も、老化細胞の一種であるという報告があるので、これも、ストレス老化とは別の理由で生じる細胞老化なのかもしれない
BRAFE600-associated senescence-like cell cycle arrest of human naevi.
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/16079850

で、楽観的に考えると、テロメア長依存的な細胞老化は、たいした問題じゃなくて、ストレス老化による細胞老化の方が、どうしようもなく、タチが悪いということなのかもしれない。

初期の"電気技術"史

大体、20世紀初頭くらいまでの話

電磁気学の歴史については、Whittakerの
A history of the theories of aether and electricity
https://archive.org/details/historyoftheorie00whitrich
という本を読むことになっているらしい(私は読んでないけど)。既に著作権が切れているので、検索すれば、PDFが見つかる。初版は1910年で古いけど、現代的な電磁気学の理解が完成した直後に書かれた本であるとも言える。これは"科学史"の本なので、技術の話は殆ど出てこない。

Web上で見つかる限りは、一次文献を参照したいと思ったけど、英語(と日本語)以外の文献は(検索するための語彙が足りなすぎて)漏れてるし、そもそも、技術者は論文とか書いてない人も多い


[1] 電気治療器と電気生理
時代背景。18世紀ヨーロッパ医学では瀉血や水銀療法が治療に用いられ、解剖学は進んでたものの、輸血の技術はなく、消毒の必要性も理解されておらず、アラビア医学に存在したはず(※)の麻酔の知識・技術も失われていたので、可能な外科手術は限定的で、ショック死や出血多量の危険がつきまとい、成功しても感染症で死ぬ可能性も高かったと伝えられている。例えば、イギリスの医者John Hunterは、伝記"The Knife Man"によれば、1776年に死の間際のDavid Humeを診察して、肝臓に腫瘍があると診断したが、当時は開腹手術などできず、打つ手がなかったらしい。

※)以下の文献には、西暦1000年前後のアラビアで、ヒヨス(朝鮮朝顔/曼陀羅華の近縁種らしい)を主成分とした(?)全身麻酔の技術が確立していたとある。全身麻酔自体は、古代ギリシャ(アスクレピオス)や古代中国(華佗。『三國志』に開腹手術の記載があるらしい)にもあったという話もある。外傷に対するアルコール消毒の知識(大抵は、ただの酒を使う)は世界各地で古くから存在するので、ヨーロッパでも民間療法としては行われていたかもしれないが、当時のヨーロッパでは、手術時の衛生管理の必要性は理解されていなかった(アラビアではどうだったのか分からない)。近代の西洋医学で消毒と衛生管理の必要性が広く浸透するのは、微生物学や細菌学ができて、理屈が分かってからになる
歯科医学発祥地アラビア医学を検証する
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jacd1999/25/1-2/25_1-2_255/_article/-char/ja



18〜19世紀の欧米では"電気ショック療法"が流行ったとされる。電気ショック療法はかなり古くからあったようで、以下の文献には『ローマ帝国時代の紀元前2世紀にMarcellus de Sidaという医師が,シビレエイに感電した後で,痛みがなくなった患者を経験して,電気発生魚に感電させる痛み治療法を開発したと伝えられている.一方,ギリシャ時代にもこのような電気治療が行われていたようで,Perdikisの論文にも当時の治療風景を想像した絵が掲載されている』と書かれている

電気刺激による痛みの治療
http://medicalfinder.jp/doi/abs/10.11477/mf.1552106355

電気を使った鎮痛は、現在、経皮的電気神経刺激(transcutaneous electrical nerve stimulation,TENS)と呼ばれているものの先駆とも考えられる。

18世紀以降の電気治療が、古代の電気魚によるものを継承したのか、独立に再発見されたものかは分からない。電気魚が電気を発しているという事実は、1772年頃、イギリスのJohn Walshが実証したことらしい(1773年に、John Hunterが出版した"Anatomical Observations on the Torpedo"に、Walshの実験への言及がある)けど、この頃には、ライデン瓶を使った電気治療は、広く知られていた。1772年よりずっと以前から、電気魚が電気を発していると推測されていた可能性もあるけど定かではない。

18世紀以降の電気治療は、1743年頃、ドイツのJohann Gottlob Krugerが始めたと書かれていることもあるが、これも定かではない。まだライデン瓶がなかったので、17世紀に、ドイツのOtto von Guerickeが開発した摩擦起電機を使用したと思われる。1746年頃にライデン瓶が開発されて程なく、ライデン瓶を使った電気治療は流行したらしい。電気治療は、当時の学術界で、真面目に議論され(電気の研究で功績をあげていたイギリスの医師William Watsonも、この分野で実験をしている)、鎮痛以外の効能も期待・検討されたようである

参考)Therapeutic Attractions: Early Applications of Electricity to the Art of Healing
https://link.springer.com/chapter/10.1007/978-0-387-70967-3_20


日本では、18世紀に、オランダから西洋の知識・機器が輸入されるようになった。医学分野では、解剖学や水銀療法の他に、電気治療器も含まれていて、これは当時エレキテルと呼ばれた。エレキテルは摩擦起電機を指す呼称でもあったようだけど、当時は、用途が他になかったせいか、電気治療器と同一視されていたよう。後藤梨春という人は1765年の著書で、エレキテルを「諸痛のある病人の痛所より火をとる器なり」と紹介した。杉田玄白らによる解体新書の刊行が1774年、平賀源内がエレキテルを修理したのが1776年らしい。1811年頃書かれた「阿蘭陀始制ヱレキテル究理原」という書籍には、"「ボイス」には卒中及中風を治るとあり「ウウヘンスコヲル」には發赫子にて瘧を截す事を載たり其他眼病黴等にも用ふる事あり"(※)と期待される効能が記述されている。これらは、1760年前後に、イギリスで出版された百科事典(のオランダ語訳)に基づくよう

※)単語が分からなすぎるけど、卒中=脳卒中?、中風=部分麻痺?、瘧=マラリア?、眼病黴は、眼梅毒?(1775年頃から梅毒の水銀治療が行われたらしいけど、それとは別に視覚障害の治療という意味だろうか) 發赫子は何のことだろう。「ボイス」は、イギリスのA New and Complete Dictionary of Arts and Sciences(1754〜1763,著者は不明?William Owenはpublisherだと思われるが)を、Egbert Buysという人がオランダ語に訳したNieuw en volkomen woordenboek van kunsten en wetenschappen(1769〜1778年に刊行)を指していると思われる。「ウウヘンスコヲル」(oefenschoole)は、Algemeene oefenschoole van konsten en wetenschappen(Pieter Meijer,1763〜82)という本のことのようで、これもイギリスのBenjamin Martinという人が書いた本のオランダ語訳だったようである(?)

【21世紀の電気治療】鎮痛を目的とした電気治療は21世紀の日本でも残っているよう(原理が曖昧なので、何を以って当時のものと同じと判定するか難しいけど)。例えば、リウマチの電気治療は、18世紀にはヨーロッパで行われていて、21世紀の日本でもごく一部では行われているらしい(要出典)。現在の医療では鎮痛は薬に頼るのが一般的だろうから、代替医療という扱いだと思う。鎮痛薬が使われる前の日本では、鎮痛目的に鍼灸療法などが行われていたらしいけど、18世紀ヨーロッパの場合、代表的な鎮痛剤が阿片(リウマチの鎮痛のために阿片中毒になる人もいたらしい)で、他の選択肢は水銀療法や瀉血だったので、電気治療に効果がなかったとしても、最も無害な方法ではあった


ベンジャミン・フランクリンも電気治療に関心を持った。以下の文献には"Medical uses of electricity were much discussed during Franklin's lifetime. It was known, from early in the eighteenth century, that an electrical shock could cause involuntarily twitching and contraction of muscles. Many people thus hoped that 'electrical fire' would provide a cure for paralysis."という記述がある。

The Medical World of Benjamin Franklin
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC1299336/

ベンジャミン・フランクリンは、実際に患者に試してみて、有効性はないという見解だったらしいけど、好意的に解釈するなら、現在の理学療法で行われている(らしい)筋電気刺激(Electrical Muscular Stimulation, EMS)の先駆と捉えられるかもしれない。


電気ショック療法ではないけど、イタリアでガルバーニがカエルの脚を痙攣させてたのと同時期の1774年、ロンドンのMr. Squiresなる人物が、2階の窓から転落して心停止状態にあった3歳の少女に、電気ショックを与えて蘇生させたことがあるという記述が残っている。電気的除細動を思わせる処置だけど、本当に除細動だったのかは分からない。除細動の仕組みを正確に理解してるわけではないけど、当時の普通のライデン瓶による電撃では除細動の成功率は低かったと推測され(現代でも小児の場合、通常より弱いエネルギーで行うらしいけど)、除細動器が一般に使われるようになるのは、1950年代以降のこととなる。

【ライデン瓶のエネルギー】ガラスの絶縁耐力を10MV/mとして、厚さを2mmとすると、電圧は最大で20kVとなる。一方、静電容量は(ガラス瓶の寸法から計算されるが、面倒なので文献値を使うと)典型的には2nF程度なので、蓄積される電荷は最大で40μCで、そうすると、電荷エネルギーは高々400mJ程度。現代の小児モードの除細動器では、エネルギーが50Jらしいので、1/100ほどのエネルギーでしかない。非常に大きなライデン瓶を用いるか、100個くらい並列で使用すれば十分なエネルギーを得られたかもしれないけど、そのようなことを行ったかは疑わしい。

【補足】Mr. Squiresの蘇生記録は、"Registers of the Royal Humane Society of London"なる文献に書かれているらしいけど、ネット上では見つけられなかった。1788年に出版されたCharles Kiteの"An essay on the recovery of the apparently dead"の165ページにそれらしき記述がある。この蘇生治療は、"The Knife Man"というJohn Hunterの伝記では、John Hunterがやったことになっているけど、1776年に出版されたJohn Hunterの"Proposals for the recovery of people apparently drowned"のコメントに、溺死した人の治療の最終手段として電気を試すべきかもしれない的な注釈がある以外に、それらしい出典を見つけることはできなかった
An essay on the recovery of the apparently dead
https://archive.org/details/b21510829

Proposals for the recovery of people apparently drowned
https://www.jstor.org/stable/106288?seq=1#page_scan_tab_contents

心肺蘇生法の歴史 第2章-18世紀以降の蘇生法
http://j-pulse.umin.jp/push3/articles/article-nonogi-07/chap-02.html


特に流行らなかったようだけど、19世紀初頭に考えられた電針術(Electroacupuncture)というのもある。これは、鍼灸と電気治療の融合みたいなもので、1825年、フランスのSarlandiereが初めて実践したとされる。鍼灸療法でも電気治療でも、しばしば鎮痛が目的となるので、電針術でも、効能としては鎮痛が想定されたようである。現在でも検索すれば論文が出ているようだけど、効果のほどは不明。鍼灸については、戦国時代に日本に来たイエズス会宣教師ルイス・フロイスなども報告しているけど、詳細な知識は、鎖国下の日本に滞在したオランダ人Willem ten Rhijne(1649〜1700)やドイツ人(?)Engelbert Kaempfer(1651~1716)などがヨーロッパに伝えたらしい
cf)フランスにおける鍼灸の発展史
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsam1981/55/1/55_1_77/_article/-char/ja/


【19世紀の電気治療への認識?】1851年に、アメリカ人医師兼宣教師のMacgowanが、中国で『博物通書』という本を書いた。この本は、日本にもすぐに輸入されて、electricityの訳語として「電気」を用いていたので、日本でも、電気という単語を使うようになったらしい。この本の内容をWeb上で確認することはできなかったけど、電気に関する記述が2/3を占め、その中には、電気治療器の記述もあるらしい。1700年代の中国に、電気治療器がなかったのかどうかは分からない。広東の富裕層は、電気治療を試したこともあったかもしれないけど


神経活動が電気によって担われている可能性は、18世紀にも推測されたけど、当時は計測技術がなかった。1820年に、Oerstedの報告(電流の磁気作用)を契機として、検流計が開発され、改良されていくと、神経の活動電位の存在は示せるようになったようである(Du Bois Reymondなどが、計測したのは、神経線維束の複合活動電位と思う)。19世紀半ば頃からは、現在まで残る電気生理学の研究が行われるようになっていった

電気生理学の草分け─Du Bois Reymond の実験─
https://shudo-u.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=2384&item_no=1&page_id=13&block_id=60

動物精気の実体はこうしてつきとめられた 4. 動物精気の実体
https://www.jstage.jst.go.jp/article/hikakuseiriseika1990/14/2/14_2_151/_article/-char/ja

1875年頃、イギリスのRichard Catonは、犬や猿の頭蓋を開いて、電極を灰白質と頭蓋骨にそれぞれ置いて、電流計で電気活動を計測し、最初の脳波計測とされる。1887年、イギリスのAugustus Desiré Wallerは、体外から非侵襲的に、心臓の拍動に伴う電気信号を計測できると報告した。

A Demonstration on Man of Electromotive Changes accompanying the Heart's Beat
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC1485094/

心臓の信号が生体の中では一番強いけど、それでも計測技術の精度が足りず、臨床で使える水準ではなかった。CatonやWallerが使っていたのは、毛細管電流計というものらしい。10年ちょっとのうちに、オランダのEinthovenは、高精度な電流計(弦電流計)を開発して、測定精度を向上させ、1924年ノーベル賞を受賞した。真空管もない頃で、最初は数トンもある巨大な装置だったらしい(※)。1911年に、心電計は初めて製品化されたらしいけど、これも数百kgあったよう。1920年代に、ドイツのHans Bergerは、弦電流計を使って、非侵襲的な脳波計測を行おうと試みたけど、難しかったようである。1930年代後半になると真空管式の持ち運び可能な心電計がSiemens社などから販売されたらしい。

総説 心電計渡来
https://www.jstage.jst.go.jp/article/shinzo1969/22/4/22_361/_article/-char/ja/

※)EinthovenのNobel lectureによれば、弦電流計は、2Tの磁場を使っていたとある("A suitable electromagnet with a field of about 20,000 gauss can be constructed without special difficulty")。超伝導磁石がない頃なので、常伝導磁石を使っていたと思うのだけど、発熱が凄かったよう。現在のMRIでは、0.5~3Tの磁場を使うけど、常伝導磁石を使うことは、多分ない

EinthovenのNobel lecture)The string galvanometer and the measurement of the action currents of the heart
https://www.nobelprize.org/nobel_prizes/medicine/laureates/1924/einthoven-lecture.html


まとめ。18世紀には、治療用途での電気利用が期待されたものの、20世紀には、殆ど姿を消した。一方、19世紀後半〜20世紀初頭にかけて、心電図や脳波計測など、診断用途での利用が期待されるようになり、やがて医療に不可欠の技術となった。また、20世紀中盤には除細動器が実用化され、やはり医療に不可欠の技術となった。他に、放射線医学も、電気工学と電子工学の産物であるといえる(※)

※)レントゲンのX線の論文の提出が1895年12月28日で、翌年のNature,Science誌に掲載されたらしい。1896年には腫瘍治療への利用が試みられたようである。また、レントゲン自身が、手の骨のレントゲン写真を撮ったりしているけど、1896年には、Edwin FrostとGilman Frostが地元の学生の骨折の診断にX線を用いたらしい



[2] 電気起爆装置と細線爆発
初期の電気の応用として数えられるものに、体系的に研究される類のテーマでないものの、起爆装置がある。電気式の点火プラグの先祖でもある。1745年、イギリスのWilliam Watsonが、摩擦起電機の放電火花を利用してGunpowderに着火できると報告している
Experiments and Observations, Tending to Illustrate the Nature and Properties of Electricity
https://books.google.co.jp/books?id=CTRWAAAAcAAJ
https://archive.org/details/experimentsobser00wats


Inventing detonators
http://www.standingwellback.com/home/2012/11/18/inventing-detonators.html

の年表によると、1812年、Pavel SchillingとSoemmeringは独立に(?)、離れた場所から、導火線経由で地雷(?)を起爆する仕組みの開発/改善に携わったようである。年表には、ベンジャミン・フランクリンやAlessandro Voltaの仕事も含まれていて、当時の電気の応用として、一般的に想定されるものの一つだったのじゃないかと思う。電気発火式の地雷が本格的に実用化したのがいつかは知らないけど、クリミア戦争(1853~1856)では、大いに使われたようである。

クリミア戦争は、また、機雷が本格的に使われた最初の戦争でもあるらしい。クリミア戦争で使われたJacobi mine(ヤコビ式機雷?)は、電池と導線で繋いだ爆発する仕掛けだったようである。Jacobi mineは、徐々にNobel mineに移行していったらしい(この"Nobel"はアルフレッド・ノーベルの父のこと。Nobel mineの仕組みは知らない)
Jacobi mine
https://en.wikipedia.org/wiki/Jacobi_mine

【後述】Pavel SchillingやSoemmeringは、電信の研究も行った技術者で、またJacobi mineの開発者のMoritz von Jacobiは1830年代に、モーターや電動ボートを開発した人でもある(Moritz von Jacobiは、数学者 Carl Gustav Jacob Jacobiの兄らしい)


細線爆発の方は、それほど広く使われている様子もないけど、起源は古い。1774年には、イギリスのEdward Nairneという人が、細線爆発を報告している
Electrical experiments by Mr. Edward Nairne, of London, mathematical instrument-maker, made with a machine of his own workmanship, a description of which is prefixed
http://rstl.royalsocietypublishing.org/content/64/79
64個のライデン瓶を使って、径が1/151インチ(文字が潰れて読みにくい。0.17mm弱?)の鉄線がどうたらいう記述が見える。"mathematical instrument-maker"という肩書は、なんか強そう


1857年に、ファラデーは、著書の中で、ライデン瓶を使って、金細線を短時間でJoule加熱して蒸発させ、急冷させることで、金微粒子が得られると報告しているらしい(以下で本は読めるけど、ちゃんと見ていない。401ページあたりの記述?)
Experimental researches in chemistry and physics
https://archive.org/details/experimentalrese00fararich
これは、光学顕微鏡しかなかった当時は視認できなかったようである。現在、粒径100nm以下の超微粒子を作成する気相法の最初の試みとして分類されている


細線爆発は、後に原子爆弾用の雷管にも利用されたようである
起爆電橋線型雷管
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%B7%E7%88%86%E9%9B%BB%E6%A9%8B%E7%B7%9A%E5%9E%8B%E9%9B%B7%E7%AE%A1


[3] 通信への応用
A history of electric telegraphy, to the year 1837
https://www.princeton.edu/ssp/joseph-henry-project/telegraph/A_history_of_electric_telegraphy_to_the.pdf

という1884年に書かれた古い本が、電信の初期の歴史について、詳しく書いている。

電気を利用した通信というコンセプトは、18世紀には存在していて、1753年に"Scots Magazine"という雑誌で匿名の記者C.M.が書いた記事が存在するらしい。アルファベットごとに電線を用意して、一端を静電発電機につなぎ、もう一端で何らかの検電器を用意すれば通信できるみたいな感じだったらしい。当時、ライデン瓶が開発されて、William Watsonが数km先まで電気を伝える実験をしていたが、記者は、それを知らなかったようで、数十メートル(30〜40ヤード)が限界だろうみたいなことが書いてある。これが、実際に作られたかどうか、分からない。上の本によれば、その後、18世紀の間に、色々な人(Voltaも含まれる)の提案があったようである

18世紀には、遠距離通信技術は、原始的なもの(狼煙とか伝書鳩?)しか存在しなかったけど、1793年に考案された腕木通信なるものが、ヨーロッパでは広範囲で使用されて、電信機の競合となった。ナポレオンはフランス全土に腕木通信網を整備し、また、イギリスでは1816年に、腕木通信があるからという理由で、イギリスのFrancis Ronaldsという人の電信機は(政府に)却下されたらしい。Francis Ronaldsの電信機は、実用性はどうだったか分からないけど、静電起電機を電源として使用して、pith-ball検電器(1754年頃、イギリスのJohn Cantonが考えたとされる)を備えていたとされる。電線としては、長さ約13kmの鉄線を使ったとされている

腕木通信
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%85%95%E6%9C%A8%E9%80%9A%E4%BF%A1

Sir Francis Ronalds and the Electric Telegraph
http://www.tandfonline.com/doi/abs/10.1080/17581206.2015.1119481?src=recsys&journalCode=yhet20

【腕木通信と旗振り通信】腕木通信は望遠鏡を必要としたけど、日本にも1613年には、望遠鏡(当時のものは、倍率3倍程度だっただろうと思われる)が徳川家康に献上されていて、その後、米相場の伝達のために、腕木通信と似た旗振り信号というものが実用化していたらしい。旗振り信号も望遠鏡を使用していたらしく、いつ登場したか正確な時期は不明だけど、1745年には実用化していたらしい。それより早く(1688年頃?)番所間の連絡で手旗信号と望遠鏡を使って連絡を行っていたという話もある。望遠鏡の国内生産は、1720年頃には、長崎などで行われていたとされるが、不明な点が多いようである。
烽と旗振りと望遠鏡
https://annex.jsap.or.jp/photonics/kogaku/public/29-01-salon.pdf
また、電信が普及した後も、海上では電信が使えないので、無線通信が可能になるまで、海軍では手旗通信を使った連絡が行われていたそうである(検索した所、現在でも、自衛隊では手旗信号の訓練を行うらしい)。1805年に、トラファルガーの回線で、ネルソン提督が信号旗を送ったというエピソードが残っている。通常の視力検査で、視力2.0の人は、5mの距離から約0.75mmのランドルト環の切れ目が識別できる(最小視角が1/120度)という基準になっていて、旗振り通信で使う旗の大きさを1m四方程度とすると、視力2.0なら、裸眼でも、旗を6~7km先から見える計算になる(視力検査は片目ずつやるのが普通というのは置いておいて)。旗振り信号では、旗を振る方向を見ないといけないので、常人に視認可能な距離はもっと小さいかもしれない。何にせよ、距離が数十kmとなると、望遠鏡や双眼鏡は必須なので、これも「科学」技術には違いない


一方、ボルタの電池を電源とする案は、多分、多くの人が考えたとは思うけど、スペインのFrancisco Salvaが、1804年に"Second Report about Galvanism as applied to Telegraphy"(原文はスペイン語?っぽい)という報告で書いているらしい(この人は、1790年代にも、電信の研究を色々やっている)。この報告の中で、信号の検出として、(ボルタ電池で発生する水素ガスの)気泡を見ればいいと書いてあるとか(一次資料を読むことができないが)
Salvá's electric telegraph based on Volta's battery
http://ieeexplore.ieee.org/document/4668705/?reload=true

ドイツのSoemmeringは、この"電気化学式電信機"を開発し、1809年に実演したとされる。これは、Francisco Salvaの提案と同じものだったよう。Wikipediaの説明では『複数本の電線を使い(最大35本)、それぞれの電線がラテン文字や数字に対応している。電線は数キロの長さで、受信側では各電線の先端を酸を入れた別々の試験管に浸しておく。送信側ではメッセージの文字列に従って次々と対応する電線に電流を流す。すると受信側では電流の流れている試験管で電気分解が起きて水素の気泡が発生するので、それを順番に読み取ることでメッセージが得られる』という仕組みだったとある。


1820年にOerstedによる電流の磁気作用が報告されると、同年には検流計が開発され、フランスのAmpereは、1821年に検流計で信号を検出する電信を考えて試作もしたそうである。1820年代も、引き続き、色々な電信機の試作が行われたようであるけど、実用化には至っていない。長い間、多くの人がアルファベットの数だけ電線を用意していたが、1832年までに、ロシアのPavel Schillingは二進化すれば、5~6本で済むことに気付いたっぽい。Schilling自身は、1812年には機雷の遠隔起爆を開発(前述)し、1820年代のある時期から、電信の開発を継続的に行っていた人物

Shilling's Pionering Contribution to Practical Telegraphy
http://ieeexplore.ieee.org/document/5167773/?reload=true

1833年頃、ドイツのGaussとWeberは電信機を開発した。元々、地磁気の研究をしていた二人が地磁気計測のために、高精度な計測技術を必要とし、それを流用したというようなことらしい。『カール・アウグスト・フォン・シュタインハイルは1835年から1836年にかけて、ミュンヘンで電信機の設置を行い、1835年に開業された初めてのドイツでの鉄道沿いに電信用電線の敷設を行った』(Wikipedia)そう。このドイツの鉄道というのは、1835年12月7日に開通したバイエルン・ルートヴィヒ鉄道だろうと思われる(ドイツ最初の鉄道で、当初の全長は約8km)。GaussとWeberは、特に商用化はしなかったようだけど、おそらく世界で最初に実運用された電信機となった
電信#ガウスヴェーバー式電信機
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E4%BF%A1#%E3%82%AC%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E5%BC%8F%E9%9B%BB%E4%BF%A1%E6%A9%9F

イギリスでは、1837年に、WheatstoneとWilliam Fothergill Cookeが、電信機の特許を取得し、最初に商業化に成功した人として名前を残している。1837年7月の時点で、ロンドンのユーストンとカムデン・タウン間の約2.25km程度隔てた二地点で、通信が行われた。1838年には、グレート・ウェスタン鉄道沿いの約21kmに渡って、電信が敷設されたらしい。本格的な実用化に従い、伝送距離を長くすると、電流強度が弱くなるという問題は認識されていて、Wheatstoneは、(1840年頃)この問題を調べる中で、1826年頃発表されていたOhmの法則を"発見"し、Ohmの法則を有名にした。

Wheatstoneによる抵抗測定法と抵抗概念
http://ir.lib.ibaraki.ac.jp/handle/10109/10030

アメリカのJoseph Henryは、1835年に、継電器を開発していたけど、CookeとWheatstoneのシステムが、いつから継電器を使用したかは不明。

モールス信号で名前を残すことになったアメリカのSamuel Morseも、1830年代のある時期から電信機の開発を始めていて、アメリカで商用化した。


電信の普及には、絶縁銅線の大量生産や、ボルタの電池より長持ちする安定した電源が欠かせない。これらは電信に限らず、電気技術全般を支える柱でもあるが、1830年代には、新しい技術が開発された。裸銅線は、様々な機械的用途に、ずっと以前から用いられていたが、1837年までに、イギリスのWilliam Ettrickは絶縁銅線を製作する機械を開発した(本人の主張では、一時間で400フィート≒120m程度の被覆が可能だったらしい)。同じくイギリスのWilliam Thomas Henleyも、1837年までに銅線を絶縁被覆する機械を開発し、商業化した。
参考)The Early History of Insulated Copper Wire
https://www.tandfonline.com/doi/abs/10.1080/00033790110117476

また、1836年に、ボルタ電池より寿命の長いダニエル電池が開発され、商用電信機が一般的になる頃には、電源として、ダニエル電池が用いられたようである。

【補足】Gauss-Weber電信機が設置された時点では、まだダニエル電池がなかった。Wikipediaによれば『ガウスはボルタ電池ではなく電磁誘導の起電力を利用し、一分間に7文字の信号を伝送することが出来るようにした』とある。1832年にファラデーやフランスのPixiiが電磁誘導を利用した手回し式の発電機を開発していたので、それを知って用いたということらしい

【民間の通信事業社の電信利用】1835年に、フランスのアヴァス通信社が創業したが、当初は、伝書鳩や腕木通信を用いていて、電信の利用は1848年に始めたらしい。1849年にはヴォルフ電報局が創業し、社名の通り、電信を利用したらしい。ロイターも当初は伝書鳩などを利用していたらしいが、1851年に電信の利用を開始した


受信は、当初、機械で紙テープに印字したモールス符号を人間が文字に変換していたらしいが、その後、音響器が開発され、耳で聞いて変換することも行われるようになったそう。
Telegraph sounder
https://en.wikipedia.org/wiki/Telegraph_sounder

どういう住み分けがあったのか分からないけど、紙テープ方式も滅んだわけではなく、株価情報の受信に使われていたストック・ティッカー・マシンなる機械(この機械の実用的なものはエジソンが開発したとされる)は、紙テープに出力していて、1870年代から1970年代まで使われたとある
ティッカーシンボル
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%83%AB


電信は、デジタル通信だったけど、"画像"や音声を送りたいと考えた人も、すぐに現れた
ファクシミリ#歴史
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%9F%E3%83%AA#.E6.AD.B4.E5.8F.B2
には、1843年、Alexander Bainが、ファクミシミリの原型となる特許を取得したとある。実際に実用化されるのは、電話より後の19世紀終わり頃〜20世紀初頭らしい

電話の歴史
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E8%A9%B1%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2
には、1844年に、Innocenzo Manzettiが「電話」のアイデアについて議論したとある。当時はまだ、音声を記録、再生する方法がなかったけど、よく知られた通り、約30年後には、電話も実現した


地上で電信が実用化すると海を越える方法が模索され、1840年代前半に、WheatstoneやMorseは、テムズ川やニューヨーク湾で実験したらしい。1850年には、ドーバー海峡間に世界初の海底ケーブルが敷設され(24マイル≒約40km)、その後、幾度かの失敗を経て、大西洋横断ケーブル(約2000マイル/3000km)も1866年に利用可能になった。

電気の世紀へ 第17回<発明の時代 ⑦瞬時の通信へ-海底電信はアメリカのイコンか>
http://www.ksplz.info/+museum/matsumoto2/matsumoto17.pdf

海底ケーブルの絶縁材料として、Gutta-Perchaとかいうマレーシア産の天然ゴムが当初使われたということがよく書いてある。これは、スコットランドの物理学者William Montgomerieが、1843年に王立協会に持ち込んだものらしい。これを海底ケーブルに使えないか、ファラデーも研究したという話が残っている。Werner von Siemensは1847年、Gutta-Perchaで被覆した絶縁ケーブルの作り方で特許を取ったらしい


1855年に、W. Thomsonは現在、電信方程式と呼ばれているものの特殊形を導出して、これは大西洋横断ケーブルの特性の解析に役立ったようである。大分後(1870~1880年代?)になって、一般の電信方程式を作ったのは、Heavisideとされる。Heavisideの電信方程式は、長距離伝送に於いて生じる波形歪みを説明できた。これは、モールス通信では符号間干渉として問題になりうる。また電話が普及してくると、デジタル化されてない当時(※1)は、波形の歪みはそのまま音声の歪みであり、大きな問題になったということらしい。この問題の改善策として、電信方程式に基づいて、装荷コイル(loading coil)を最初に提案したのはHeavisideだと言われている。20世紀初頭に、装荷コイルが使われると、地上に於ける電信の効率的に伝送可能な距離は、800マイルから1700マイルになった(それぞれ、1300kmと2700kmくらい)らしい(※2)(この距離を見ると、大西洋横断ケーブルは、かなり無謀だったのか?)

※1)世界最初のデジタル音声通話は、WW2中にアメリカで実現されたSIGSALYというシステムで、戦後も長い間軍事機密だったらしい。この計画には、Shannonも関わっていて、Shannonは、戦後に、標本化定理の証明を報告したりしている。原理的な面では、現在のデジタル音声通話と同じもので、コストや音質の問題をクリアして、デジタル音声通話が商用化されるまで、その後約50年ほどかかった。1993年頃から実用化された第2世代移動体通信システム(通称2G)がデジタル音声通信を採用していたとのこと
SIGSALY
https://ja.wikipedia.org/wiki/SIGSALY

※2)ベル・システムと独立電話会社の競争時代 : 1894-1906年 (橋本長四郎教授退任記念号)
https://seijo.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=1716&item_no=1&page_id=13&block_id=17

【補足1】 W. Thomsonの"電信方程式"の論文は、以下で読むことができる。
On the theory of the electric telegraph
http://rspl.royalsocietypublishing.org/content/7/382.full.pdf+html
論文を読むと、最初にL=G=0のケース(論文の式(3))が考察され、次に漏洩コンダクタンスGが0でないケースも考察されているようである(論文の式(15))。前者は、初期/境界条件の違いを除けば拡散方程式の形をしているが、後者も論文にある通り、変数変換で、拡散方程式に帰着させることができ、G=0の場合と扱いは変わらない。Lが0でない場合は考察されておらず、従って、電流/電圧の伝播速度は無限となる(補足2/補足3参照)。拡散方程式では、t=0に於ける各点での濃度分布が初期/境界条件として与えられるが、電信方程式では、x=0に於ける各時刻の電圧強度あるいは電流強度が与えられる。本来は、行って帰ってくるけど、無限に長い線路では、熱核と似た積分核を使って解を書ける。
cf)Heavisideの数学
https://www.jstage.jst.go.jp/article/emath1996/2003/Spring-Meeting/2003_Spring-Meeting_55/_article/-char/ja/

【補足2】 電線中の"電気の伝播速度"の測定は、1834年、Wheatstoneによって試みられたようである。測定精度は低かったけど、オーダーは合っていた
[Wheatstoneの論文] An Account of Some Experiments to Measure the Velocity of Electricity and the Duration of Electric Light
https://www.jstor.org/stable/108080?seq=1#page_scan_tab_contents

【補足3】 Kirchhoffは1857年に
on the motion of electricity in conductors(英語翻訳PDF)
http://freenrg.info/Scientific_Books/Kirchhoff_on_the_Motion_of_Electricity_in_Conductors.pdf
という論文を書き、終わりの方で、"Thomson has examined the motion of electricity in an underwater telegraph wire. He assumed, without checking the reliability of this assumption, that induction makes no significant contribution to the phenomena. For this case he showed the electricity propagates like heat."という指摘をしている。論文では、伝播速度は当時Weberの定数として知られていた測定量(の定数倍)で与えられると仮定し、wireの長さが1000kmあれば熱のように伝播すると考えて差し支えないと計算されている

大西洋横断ケーブルのスペックは
The 19th Century World Wide Web
http://julylectures.ph.unimelb.edu.au/julylectures/2004/jl2004-d.pdf
というスライドの18ページにある。C=0.2~0.3(μF/km)で、R=1(Ω/km)らしい。60Vの電圧が使われていた?1分間に185~240文字を送信することができたとある

以下のページには、1898年に開通したらしいFrench transatlantic cable(フランス・アメリカ間?)のスペックが書いてある
French Telegraph Cable of 1898
http://ethw.org/French_Telegraph_Cable_of_1898
を見ると、長さが3714miles(≒5975km)で、total resistanceとcapacityが5269ohmsと1500microfaradとあるので、C=0.25(μF/km)で、R=0.88(Ω/km)程度で、大西洋横断ケーブルとだいたい同じ


19世紀には多くの海底電信ケーブルが敷設されるが、そのまま、電話ケーブルとして使うわけにはいかなかったよう(どういう理由があったのか分からないけど)。世界初の海底電話ケーブルは1891年に英仏間で敷設されている。大西洋横断電話ケーブルは、コストに見合わなかったのか、大分難しかったのか、65年後の1956年に敷設されている。この時は、72kmおき(※)に52個の中継器を使っていたという話

※参考)長距離光ファイバー海底ケーブル方式
https://www.jstage.jst.go.jp/article/itej1978/38/5/38_5_417/_article/-char/ja/


【補足】 1891年の海底電話ケーブルについては、以下の文献によれば、当初フランス側からは既存の電信ケーブルを流用して電話するよう提案されたが、実験の結果、うまくいかなかった的なことが書いてある(?)(長いので、ちゃんと読んでない)
The First Cross-Channel Telephone Cable: The London-Paris Telephone Links of 1891
http://www.tandfonline.com/doi/abs/10.1179/tns.1974.009



[4] 電源について(電池、起電機と発電機、長距離送電)
16世紀頃、ヨーロッパでは、羅針盤の普及に伴って、磁石の研究が進み、一方、古代から知られる静電気にも関心が持たれた。イタリアのGerolamo Cardanoは、静電気と磁力が異なることを明言した初期の人物の一人として知られている。当時、太陽と惑星の間に磁力が働いているという推測もあった(ケプラーなど)らしく、静電気や磁力のような遠隔力を調べる動機の一つとなったらしい。

1663年頃、ドイツのOtto von Guerickeは摩擦起電機を開発し、初期の主要な電源となった。これは、その後も改良され、オランダのMartin van Marumが設計し、1784年に組み立てられた静電発電機は、330kVの電圧を発生させたとされる
Large electrostatic generator (Teylers)
https://en.wikipedia.org/wiki/Large_electrostatic_generator_(Teylers)

摩擦起電機は、最初の静電発電機として位置付けられ、その後も、静電発電機は開発されていたらしいけど、(初期の電気治療器を除けば)産業利用されることは稀なようである
静電発電機
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%99%E9%9B%BB%E7%99%BA%E9%9B%BB%E6%A9%9F


化学電池ではないけど、ボルタの電池の"次の電池"としては、1821年に報告されたゼーベック効果を利用した熱電池/熱電堆があった。オームが、オームの法則を実証する際(1826年前後)に、ボルタの電池では起電力が不安定でうまくいかなかったので、熱電池を利用したとされる。熱電池も産業利用されることは殆どなく、今でも、熱電発電は、限定的な用途でのみ使われる
Thermo-Electric Generators.
http://www.aqpl43.dsl.pipex.com/MUSEUM/POWER/thermoelectric/thermoelectric.htm


近代の化学電池の起源は、ボルタの電池にあるが、起電力が安定しておらず、多分、産業利用できるほどの実用性はなかった。1836年に、実用的な化学電池であるダニエル電池が開発された後、電池開発ラッシュがあり、1840年前後には、多くの電池が開発されている。1866年頃、フランスのGeorges Leclanchéは、その後、マンガン電池と呼ばれる(英語では、zinc-carbon batteryと呼ぶらしい)のと本質的に同じ化学反応を利用した電池を作成した。

マンガン電池の優れてる点が謎なのだけど、多分、マンガン電池では、正極で生じたアンモニア亜鉛イオンが錯イオンを形成して、亜鉛イオンが増加しないので、ダニエル電池より一層、安定した起電力を確保でき、長持ちするということで、広く使われるようになった(?)。1886年に、ドイツのCarl Gassnerが、Leclanchéの電池を改良して、ドイツやフランスなどで"乾電池"の特許を取得した(アメリカでは1887年)。電解液を石灰粉末などと混ぜてペースト状にすること(?)(semi-liquid formと書かれている)、及び、亜鉛缶を使用することが記述されてるようなので、その後の乾電池の基本構造は揃ってるっぽい。マンガン乾電池は、1890年代には製品化され、20世紀を通して生産されたけど、日本国内では、2010年以降は、ほぼ生産されていないっぽい?

[Gassnerの特許]GALVANIC BATTERY.
https://todayinsci.com/G/Gassner_Carl/GassnerPatent373064.htm

二次電池は、1859年に、フランスのGaston Plantéが、再充電可能な鉛蓄電池を考案した。


ファラデーが電磁誘導の法則を報告した次の年の1832年に、フランスのPixiiは、手回し式の発電機を作ったとされている。Pixiiは、交流を直流に変換するため、Ampereのアドバイスを受けて、整流子も作った。この装置は、1832年9月に公開された。イギリスでは、同じ1832年に、匿名の人物P.M.から、発電機を使って、水の電気分解に成功したという手紙がファラデーに届いたらしい。これは、同年のPhilosophical Magazineに掲載された。ファラデー自身は、"I cannot, from the description, decide whether the effect is really chemical: it may or may not be so."とか"I hope the author will describe the results in a more precise manner, ..."と書いている

Account of an experiment in which chemical decomposition has been effected by the induced magneto-electric current. By P.M.; preceded by a letter from Michael Faraday
https://books.google.co.jp/books?id=EDJDAQAAMAAJ&pg=PA161&lpg=PA161


その後、いくつかの発電機が作られてはいるものの、暫くは、出力も大きいわけでなく、脈動が大きかったりしたせい(?)か、それほど使われていないっぽい(?)。少ない試みの一つとして、1842年に、イギリスのWoolrichという人が、電池の代わりに発電機を使った電気めっきに関する特許を取得しているらしい
Woolrich Electrical Generator
https://en.wikipedia.org/wiki/Woolrich_Electrical_Generator

1852年頃、イギリスのFrederick Hale Holmesは、アーク灯の電源に使用するために、発電機の開発も行っている。これは、かなり巨大で、蒸気機関で駆動し、永久磁石を沢山使ったものだったらしい
直流から交流,さらに直流へ 技術探索
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ieejjournal1994/116/6/116_6_352/_article/-char/ja

1855年デンマーク人のSoren Hjorthという人が、イギリスで自励式発電機の特許を取っているという話があるけど、定かではない(British Patent #806 (1855) "An Improved Magneto-Electric Battery")。いずれにせよ、これは、特に影響はなかったよう。1866~67年ごろ、SiemensやWheatstoneが、独立に、電磁石を用いた自励式発電機が作られて、大出力の発電が可能になった(アメリカのMoses G. Farmerなども独立に開発したと言われている)。

【補足】SiemensもWheatstoneも1840年前後から"電気工学"界隈で活動していて実用志向のある人だったので、この二人を含む大多数が同時期に同じようなことをしているというのは、時流的に大出力の発電機が必要になったから、こういうものを考えたという方が自然に見えるけど、確かなことは分からない

発電機のその後のことは、略


送電の初期の用途は、専ら電灯への電力供給が想定されていたらしい。1879年に、アメリカのCharles Brushは、アーク灯の販売事業を開始すると共に、シカゴに世界初の中央発電所を作ったと言われる。1882年になると、白熱電球を完成させたエジソンも、ニューヨークのパールストリートに発電所を作り、9月4日に操業を開始した。この発電所は、送電距離1km以下だったらしい。同じく1882年の9月に、ミュンヘンでは、国際電気博覧会が開催され、フランスのMarcel Deprezが2kV、57kmの長距離直流送電のデモを行った。スイスのRene Thuryは、このアイデアを発展させ、1889年に、イタリアのAcquedotto de Ferrari-Galliera社が、Thuryの開発した方法で、電力供給を開始した。その後、Thuryの高圧直流送電システムは、イタリア以外に、スイス、フランス、イギリスなどに導入されたらしい

Realized Thury systems
https://en.wikipedia.org/wiki/Ren%C3%A9_Thury#Realized_Thury_systems

1880年代には、交流送電の研究を行っている人は、世界各地にいたと思われる。Siemens & Halske社は、1884〜85年頃、イタリアで、電灯のための交流送電システムの建設を行っている。1885年頃、アメリカのGeorge Westinghouseも交流送電の実験を開始し、William Stanleyらの協力を得て、1886年には、変圧器を備えた単相交流送電システムを完成させ、ウェスティングハウス社を興した。ドイツのDolivo Dobrowolskyは、1891年8月に、水力を動力として、三相交流発電機で発電した電力を昇圧して176km離れた万国電気博覧会の会場に送電し、三相交流電動機を動かすデモを行った。この時の送電効率は75%と言われている


以下の記事によると、(現代的な)直流送電は、1954年にスウェーデンで、海底送電が行われたのが最初らしい。サイリスタの開発は1957年(GE社)であるけども、日本では、1965年にサイリスタ変換装置試験所が設置されたとある

直流送電技術の変遷
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ieejjournal1994/119/1/119_1_32/_article/-char/ja/

Thuryの送電システム以後、直流送電が、どのように位置付けられてたのかは、よく分からない。1963年の以下の記事では「イギリスでは日本と同様、将来直流送電はその適用個所に多少の制限はあるが、じゅうぶん利用しうる価値のある新技術であることを認め、戦争末期からElectrical Research Association(ERA)が中心となって、直流模擬送電線(1,200V、10A)を建設する一方、...」とあるけど、1900〜1940年あたりのことは、触れられていない。

イギリスにおける直流送電
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ieejjournal1888/83/903/83_903_2013/_article/-char/ja/



[5] 電気化学と放電化学
時代背景。黎明期の化学工業としては、硫酸製造がある。明礬や緑礬を乾留して硫酸を得る方法が、西暦800年頃のアッバース朝で発見され、その後ヨーロッパでは錬金術の知識として継承されたらしい。その後、硫酸の製造法も進歩するが、ドイツ生まれのJohann Rudolf Glauberが(1651年?)記した硫酸の製造法を利用する工場が、17世紀の終わり〜18世紀初頭に、ヨーロッパで建造されたといわれる。この時代は記録がまだ少ないのか、真偽・詳細は不明。1746年、イギリスのJohn Roebuckによって始まる鉛室法は、複数の人々に改良されながら、硫酸の製造に寄与した。21世紀の現在でも、硫酸の生産量が、一国の化学産業の指標とされているらしい。

現在では、塩素、苛性ソーダ(水酸化ナトリウム)、ソーダ灰(炭酸ナトリウム)の製造は、ソーダ工業として、ひと括りにされることが多い(ソーダはナトリウム化合物を指し、塩素はナトリウム化合物ではないけど、塩は、最も代表的なナトリウム化合物なので)。ある意味では、紀元前まで遡る非常に古い産業の一つとも言える。

まず、1789年に、フランスのNicolas Leblancは、ルブラン法を確立し、1791年から工場でソーダ灰(炭酸ナトリウム)の製造を開始した。ルブラン法も、硫酸を必要とするので、硫酸需要の増大に貢献したらしい。また、イギリスのCharles Tennantは、1799年に漂白粉(次亜塩素酸カルシウム)の製造法を確立したようである。1774年に塩素が発見され、1785年に塩素の漂白作用も発見されたが、気体での利用は困難だったので、複数の人が、この困難を解消しようとしていた。Tennantは、1798年1月23日と1799年4月30日に特許(English patents 2209,2312)を取得しているらしいけど、内容は確認できなかった。Tennantは特許を取得すると、すぐに工場を作って生産を開始したらしい


電気化学の一つの起源として、1789年の、ライデン瓶を使った水の電気分解がある(Jan Rudolph DeimanとAdriaan Paets van Troostwijk)。1800年には、ボルタ電堆を使って、水の電気分解が行われた。

1800〜1810年頃までの間に、イギリスのHumphry Davyは、電気分解を利用して、ナトリウム、カリウムマグネシウム、カルシウム、ホウ素、バリウムストロンチウムなどを単離したと言われる。Davyが本当に、これら全てに成功していたかは疑問があるけど、ホウ素以外は、イオン化傾向が比較的高い金属に集中しており、現代的視点からは、電解法は安直な還元法であるとも言える。19世紀には、これ以後も、イオン化傾向の高い金属(リチウムなど)が、電気分解によって単離されたようである


電気化学は化学自体の発展には貢献したものの、19世紀前半は、使える電力が少なかったため、産業利用は19世紀後半になるまで進んでいない


最初の電気化学産業は、電気めっきらしい。メッキ技術自体は、非常に古くからあり、紀元前1500年頃のメソポタミアのものとされる錫メッキした鉄器が、おそらく最古の事例。奈良の大仏も当時は金メッキが施されたと言う。1800年頃、ドイツのJohann Wilhelm Ritterが電気めっきを研究したとも言われているが、詳細は不明。1802年に、イタリアのLuigi Valentino Brugnatelliは金の電着を報告したものの、イタリア以外では殆ど知られなかったようである。イギリスのJohn Wrightらは、1840年に、電気めっきに関する特許を取得し、1841年には、(John Wrightの協力者だった?)Elkington家がバーミングガムに電気めっきの工場を作った。Elkingtonが施したのは、主に銀めっきで、純銀製と間違えないように、EPNS(Electro Plated Nickel Silver)という刻印がされたらしい。銅・亜鉛・ニッケルの合金であるニッケルシルバーの表面だけ銀で被覆処理したものらしい。特に実用面で優れた点があったわけではなく、工芸品として価値があったよう。他の電気化学産業に比べて1840年代という時期は、例外的に早い

ジョージ・リチャーズ・エルキントン
https://en.wikipedia.org/wiki/George_Richards_Elkington

Elkington & Co.
https://en.wikipedia.org/wiki/Elkington_%26_Co.

また、1860年代に、アメリカのIsaac Adamsは、防錆めっきとしてニッケルの利用を考え、電着法を採用したらしい。現在、防錆めっきとしては、亜鉛メッキやニッケルメッキが使われるようだけど、亜鉛メッキは、1742年に、フランスのPaul Jacques Malouinが始めたとされる。現在でも、ニッケルの用途は、90%がステンレス鋼、残りの10%がニッケルめっきらしい(昔は、ニクロム線需要もあったのじゃないかと思うけど、今は、電熱線としては、ニッケルを含まないカンタルという合金が利用されているらしい)。Adamsは、1869年に、複数の特許を取得している。
Improved mode of electroplating with nickel
https://patents.google.com/patent/US90332A/en

Improvement in the manufacture of the metallic parts of fire-arms
https://patents.google.com/patent/US98006A/en



1870年頃から、電解精錬が本格的に始まった。電解精錬所は、1869年、イギリスのJames Belleny Elkingtonが銅の電解精錬を行ったのが始まりとされている。
The Pembrey copper cathode
http://www.tandfonline.com/doi/abs/10.1179/1743285512Y.0000000012?journalCode=ympm20

The Elkington specimen of cathode copper
http://www.tandfonline.com/doi/abs/10.1080/03719553.2017.1376141?journalCode=ympm20


1880年代に入ると、イオン化傾向が大きい純金属の溶融塩電解による大規模生産が相次いで実用化した。これらは、20世紀初頭には、新しい合金を生み出す契機ともなったので、大きな意義を持っていたと思われる。1886年に提案されたアルミニウムの溶融塩電解法であるホール・エルー法は、1888年に提案されたバイヤー法と組み合わせることで、アルミニウムの製造コストと価格を大幅に引き下げた。1906年には、アルミニム、銅、マグネシウムetc.の合金であるジュラルミンが開発された。

アルミニウムで金属酸化物を還元するテルミット法は、1895年にドイツのHans Goldschmidtが特許を取得し、1898年に論文を出したらしい。当時は、これで炭素含有量の少ないクロムの生産が可能になったらしい。こうして、アルミニウムの安価な生産がクロムの安価な生産を可能にし、1900年代に入ると、鉄・クロム・ニッケルetc.の合金であるステンレス鋼(1904年〜)やニクロム線(1905年)の開発が行われた。


【ホール・エルー法以前のアルミニウム製造】アルミニウムは1825年に、エルステッドが塩化アルミニウムをカリウムで還元して得た。カリウムは、Davyが電気分解で少し前に得ていたが、工業的な生産法は、おそらく確立してなかった。1852年頃から、ドイツのRobert Bunsenは電気分解で様々な単体金属を得る実験を行っていて、その中に、アルミニウムも含まれていたらしいけど、工業的な生産法としては確立していない。1855年ごろ、フランスのHenri Devilleは、塩化アルミニウムをナトリウムで還元する方法で、アルミニウムの工業生産を開始し、1855年にパリの万国博覧会でも展示されたらしい。当時、単体ナトリウムは、炭酸ナトリウムを高温で分解することで製造していて、これもDevilleが開発した方法らしい

単体ナトリウムの溶融塩電解による製造法であるカストナー法は、1888年に始められた。当時の単体ナトリウムの用途は、アルミニウムの還元剤が主要なものであったらしいが、その後、別の用途も見出され、ナトリウムの商業生産は、ダウンズ法という別の溶融塩電解に移行した

Devilleは、マグネシウムの工業生産も、1857年に開始したらしい。塩化マグネシウムを金属ナトリウムで還元していたようなので、アルミニウムと同じ発想だったと見える。原理的には、Robert Bunsenが、1852年に塩化マグネシウム電気分解マグネシウムを得ていたけども、1882年に、ドイツで溶融塩電解による生産が開始したらしい

マグネシウム-その誕生とおいたち-
https://www.jstage.jst.go.jp/article/sfj1989/44/11/44_11_903/_article/-char/ja


1890年代には、食塩の電気分解による、塩素と水酸化ナトリウムの製造(電解ソーダ法)が始まった。原理的な面では19世紀初頭には知られていたものらしい。『電解法は、1800年クルイクシャン(Cruikshank)が、食塩溶液に電流を通じる時にアルカリ性溶液が生成することを発見した。その後、1801年シモン(Simon)が、陽極に異臭を発する漂白液が生成することを発見している。この方法で、初めて塩素、か性ソーダを工業化する計画を立てたのは、チャールズ・ワット(Charles Watt)で、1851年に英国の特許を取っている。しかし、当時は、電源が小さい電池のみであったため、とうてい工業化に成功する見込みはなかった』

ソーダ関連技術発展の系統化調査(7ページあたりから引用)
http://sts.kahaku.go.jp/diversity/document/system/pdf/029.pdf


1903年に開発されたBirkeland-Eyde法は、放電を利用した硝酸の製造法で、暫く使われたり改良されたりしたようであるけど、その後、硝酸製造のメインは、Ostwald法とハーバー・ボッシュ法の組み合わせに移行した。気体中の放電を利用した化学反応は、昔の日本では、特に放電化学と呼ばれていたこともあるらしいけど、その起源は、メインストリームの電気化学より古いといえる。プリーストリーやキャベンディッシュは、1780年代に、水素と酸素を電気火花で反応させたり、酸素と窒素を電気火花で合成したりする実験を行っている。

放電化学反応では、エネルギーの大部分が熱になるので、効率が悪く、工業的利用は多くないようである。放電化学の利用としては、1857年、Werner von Siemensが、放電によるオゾン発生機を開発している。21世紀の現在、上下水処理にオゾンが利用されており、オゾンの発生は、Siemensの頃と同じ方法で行われているらしい

有機電解合成は、1849年のKolbeの報告に起源があるとされるが、工業的利用は1960年代に始まるらしい


他に、化学とは少しずれるが、1807年に、ロシアの物理学者Ferdinand Friedrich von Reussが世界最初の"電気泳動"を行ったとされる。1930年頃、タンパク質の電気泳動が行われ、現在では、医学・生物系の研究に於いて、至る所で、電気泳動が行われている




[6] 照明への応用(白熱電灯、アーク灯)
時代背景。19世紀初期欧米の街灯は、(鯨油や菜種油などを燃料とする?)オイルランプなどが使われていて、石炭ガスを燃料としたガス灯が1792年に開発されていたが、普及には至っていなかった。ガス灯はあまり歓迎されなかったようであるが、オイルランプより明るく、夜の治安改善に寄与するということで、受け入れられたらしい。1812年に、イギリスで最初のガス会社が設立され、欧州各国でも1820年頃までにガス会社ができた
History of manufactured gas
https://en.wikipedia.org/wiki/History_of_manufactured_gas
とはいえ、とりわけ屋内などでは、その後も、かなりの間、鯨油ランプが使われていたようである。アメリカの鯨油生産量は、1820年を境に急激に増加し始め、1840年代後半ピークに達した。アメリカのピーク時の生産量は、1845〜49年の5年間で、8300kガロン程度≒31.5Mリットル(?)だったらしい(関係ないけど、アメリカの年間原油生産量は、1945年で232Gリットル、2016年に716Gリットル程度のよう)

cf)19世紀後半期アメリカ式捕鯨の衰退と産業革命
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography/119/4/119_4_615/_article/-char/ja/

1846年に、カナダのAbraham Gesnerは石炭から灯油を抽出する方法を見出して、Kerosene Gaslight Companyを興した。また、1847年にスコットランドの化学者James Youngは石油を蒸留して灯油を抽出した。Gesnerは自身の抽出物をKeroseneと呼び、Youngは蒸留物の一つをparaffin oilと名付けたらしい(※)。1850年代には、鯨油ランプから灯油ランプへの移行が始まり、一方で、都市部では、ガス灯の一般家庭での利用も増加し始めていたので、灯油ランプとガス灯が競合することとなった。日本では、江戸時代末期に石油ランプが輸入され、インフラが必要なガス灯は、1872年、銀座で街灯照明として使用されたのが最初とされている。その後、一般家庭では、まず石油ランプが普及し、都市部では徐々にガス灯への移行が進み、しばらく電灯と競合したようである

※)paraffin oilの命名は、低温でparaffin wax(以前にドイツのReichenbachが精製していた)に似た物質に凝固するためらしい。化学的には、狭義のパラフィンは、炭素数20〜40のアルカンの総称らしく、常温で固体であるparaffin waxの主成分と思われる(炭素数4以上のアルカンは構造異性体を持つけど、分子量で分けただけで、それらの混合物ということだと思う)。灯油の英語訳は、アメリカではKerosene、イギリスではparaffin oilが使われるらしいけど、多分、Gesnerはアメリカに縁があり、Youngはイギリスに縁が深かったことが影響しているのだろうと思う。現在、ガソリンと軽油の質を規定するのに、オクタン価、セタン価というのがあり、それぞれ炭素数8のイソオクタン、炭素数16のヘキサデカンが基準となっている。灯油は、ガソリンと軽油の"中間"に位置し、以下のページでは、炭素数9〜18のアルカンを主成分としている。
アルカン (データ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%AB%E3%83%B3_(%E3%83%87%E3%83%BC%E3%82%BF)

【ライムライト】1826年にスコットランドのThomas Drummondが開発したライムライトというのもある。電灯が普及する以前、舞台照明に使われたらしい。ライムライトは、酸化カルシウムを高温(2400度以上)で熱すると発光する性質を利用している。酸化カルシウムを熱するのに、酸素・水素混合ガスを利用しており、このガスは、水の電気分解で生成していたらしいので、ある意味、ガス灯でもあり電灯でもある。
酸水素ガス
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%85%B8%E6%B0%B4%E7%B4%A0%E3%82%AC%E3%82%B9


初期の電灯は、アーク灯と白熱電球であり、どちらも19世紀初頭の報告に起源がある

1802年に、ロシアのVasily Vladimirovich Petrovが、アーク放電を報告したとされているが、すぐに忘れ去られてしまったらしい
Vasily Vladimirovich Petrov
https://en.wikipedia.org/wiki/Vasily_Vladimirovich_Petrov

V.V. Petrov's Hypothetical Experiment and Electrical Experiments of the 18th Century
https://rd.springer.com/chapter/10.1007%2F978-94-009-6957-5_13

1800〜1810年の間に、イギリスのデービー(Humphry Davy)も、二本の炭素電極間でのアーク放電をデモしたとされるが、Petrovの追試だったのか独自の実験だったのか分からない。また、デービーは同時期に、白金線に電流を流して白熱光が生じる(照明として使うには弱い光だったとか)のを実演したと言われている。これらの実験が、いつなされたのか正確な年度については、記述によって異なり、本当に行われたのかどうかも分からないけど、概ね1800〜1810年の間であることは一致している。実験が実際にあったとして、デービーが照明利用を念頭に置いていたかどうかも分からない
Incandescent light bulb#Early pre-commercial research
https://en.wikipedia.org/wiki/Incandescent_light_bulb#Early_pre-commercial_research

どっちのことか分からない(というか、両方?)けど、デービーの実験は、2000層のボルタ電堆という巨大な装置を使っていたと言われ、電力源の問題があり、すぐには実用化しなかった。V.V.Petrovも"around 4,200 copper and zinc discs"からなるボルタ電堆を使用したとの記述がある(銅と亜鉛合わせて、4200とすると、2100層ってことなのか、それとも、4200層あったのか不明)。ボルタの電池の起電力は、1.1Vなので、2000層あると、テストで出たら電圧は2200Vと書かないといけないとこではあるが、実際の電圧は、もっと低かったかもしれない。


白熱電球については、デービーの方法では、多くの課題があった(電源以外に、寿命が短いこと、白金フィラメントが高価であること)けど、アーク灯の主要な課題は、電源のみだったよう。1830年代以降、イギリスのWilliam Edwards Staiteが、アーク灯を研究し、特許も取り、1851年のロンドン万国博覧会では、アーク灯は注目を集めたにも関わらず、Staiteが注目を浴びることはなかったらしい(今の所、Wikipediaにすら、Staiteの項目はない)
William Edwards Staite
http://www.theiet.org/resources/library/archives/exhibition/arc/staite.cfm

1851年には、フランスのJules DuboscqとLeon Foucaultが、アーク灯を商用化し、1878年に日本に持ち込まれた最初のアーク灯も、この型のものであったらしい(この時、電源として、グローブ電池50個が使われたらしいので、大体、100Vで点灯していた模様)。1882年に銀座に設置されたアーク灯は、110Vの直流発電機を使用していたらしい。1882年11月4日の東京日日新聞に「室内に5馬力の蒸気を備え、電柱の高さ5丈 折ふし雨降り出せしは遺憾なりし」と載っているらしい

アーク灯の歴史と復元のための試作
http://www.sci-museum.jp/files/pdf/study/research/2014/pb24_017-020.pdf


【細かい話】1882年の銀座のアーク灯は、2000燭光であったという記述が、検索すると沢山見られる(同様に検索すると、この当時のガス灯の明るさは16燭光が標準だったという記述が見られる)。出典は、1936年発行の『東京電燈開業五十年史』らしい(未確認)。ところで、銀座で点灯されたアーク灯は、アメリカのブラッシュ式(Charles F. Brushが創業した会社の商品)というものらしいが、
1880年代イギリスにおける電気普及の遅れと初期電灯企業
http://naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp/dspace/handle/10069/27940
には、『ブラッシュ・システムではアーク・ランプの明るさを1,000燭光にしてあった』との記述があって、数値が合ってない(単に特別製だったという可能性もあるが)。おそらく、これは1878年頃のスペック。一方、
日本国内に現存するブッラシュ式と呼ばれる2台のアーク灯について
http://www.kahaku.go.jp/research/publication/sci_engineer/download/33/BNMNS_E3301.pdf
には、『ブラッシュアーク灯は一般的に直流で使用し,電圧は50V前後を適当としている.千二百,二千燭光の二種類あり...』という部分がある。これは1900年に出版された本からの引用らしい。Brush Electric Companyは1889年に買収されており、この時以降にスペックが変わった可能性もある。また、
http://d.hatena.ne.jp/tobira/20090318/1237342945
によれば、『渋沢栄一伝記資料』第13巻p.5-6に
"電灯の価値を知らしめるために、銀座通りの大倉組の前の街灯に千燭光であつたか二千燭光であつたか、兎も角非常に明るい弧光灯を点じて謂はゞ実物宣伝を試みたのである。それが丁度明治十六年頃の事である。"
という記述があるらしく、1000か2000か分からないとある。更に、19世紀終わり頃から20世紀初頭にかけて、日本各地で設置されたアーク灯が1200燭光だったという記述が、検索すると見つかる。少なくとも、ある時期からは1200と2000だったのかもしれない。ちょっと計算してみると、1燭光は、1cdらしく、アーク放電では、光は全方位に等しく放射されるだろうから、2000燭光は、全球の立体角4πをかけて、約25000lumenに相当することになる
Lighting efficiency
https://en.wikipedia.org/wiki/Luminous_efficacy
によれば、carbon arc lampの発光効率は、2〜7(lm/W)であると書いているので、最大の7lm/Wを採用すると、2000燭光の場合、駆動電力は、ざっくり3500Wという数値をえる。これは、5馬力に近い。しかし、7(lm/W)とか、どこまで信用できるか分からないし、結論としては、謎。関係ないけど、21世紀の現在、たまたま家にあったLED電球(一般電球60W形相当)のパッケージを見ると、全光束は810lumen、最大光度86cd、光の広がり約260度、消費電力7.5Wと書いてある


一方、白熱電球は、1870年代終わり頃商用化された。デービーの実験から70年以上かかったことになる。

実用的な白熱電球に必要だった要素技術として、真空技術がある。1643年に有名なトリチェリの真空の実験があり、1650年頃、ドイツのOtto von Guerickeが真空ポンプを開発して、1654年に、有名なマクデブルクの半球実験を行ったとされる。Guerickeが最初のポンプを開発した時期は諸説あるようだけど、文献として残ってるのは、1657年に刊行されたGaspar Schottの"Mechanica hydraulico-pneumatica"の記述が最古っぽい。イギリスのFrancis Hauksbeeは1705年頃、真空放電を観測したとされる。この時の真空度は、数十分の一気圧程度(?)だったそう。1836年にファラデーがファラデー暗部を観測したとされるので、この頃でも、よくて数百分の一気圧程度(100Pa~1000Pa)だったと思われる(?)。1855年頃、ドイツのHeinrich Geisslerは、水銀ポンプを作成して、10Pa(1万分の一気圧)の真空度を実現したとされる。Geisslerの水銀ポンプは改良され、1875年頃、Crookesは、100万分の一気圧(〜0.1Pa)を達成したとされる。GeisslerもCrookesも、減圧したガラス管に金属電極を設けて、放電や陰極線を観察した。彼らが使用した装置は、しばしばガイスラー管やクルックス管と呼ばれている。クルックス管は、1895年以降、初期の医療用X線源としても使われ、ブラウン管(1897年)も生み出した。百万分の一気圧≒0.1Paは、水銀の平衡蒸気圧で、Geisslerに始まる一連の水銀ポンプは、このへんが限界と思われる


イギリスのJoseph Swanは、1840年代後半には、白熱電球の研究に取り組んでいたとされ、1860年にはイギリスで特許を取得した。ただ、当時は、まだ真空度が低く、寿命が極めて短かったので商用化には至らなかった。必要な真空ポンプが利用できるようになった1870年代後半(クルックス管の実験を聞いて)再挑戦し、1878年12月には、40時間の寿命を達成したらしい
ジョゼフ・スワン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%82%BC%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%AF%E3%83%B3

エジソンも1877年頃から白熱電球の研究を開始し、真空度をあげる必要性を理解したのち、『手動のポンプで真空度は0.003気圧であった』のが『1879年には百万分の一気圧を実現できた』(※)。エジソン白熱電球も、当初、寿命は40時間程度だったけど、様々な材料を検討して、炭化した竹をフィラメントに使った結果、数カ月後には、寿命600時間を達成したと伝えられている

※)電気の世紀へ<発明の時代 ②エジソン-照明:材料と純度の追及->
http://www.ksplz.info/+museum/matsumoto2/matsumoto06.pdf

【電球ガラスの製造】エジソン白熱電球に必要な球状ガラス管の製造は、コーニング社が行った。19世紀の時点では、製造が機械化されておらず、人手による生産であったらしい


白熱電球の商用化後も、より良いフィラメント素材の探求も行われた。白熱電球の可視光成分を増やし、効率をあげるには、更にフィラメント温度を上げる必要があるということは当時経験的に認識されていたらしい。炭素は融点は高いものの、数千度の高温域では蒸発速度も速いため、高融点かつ低蒸気圧の物質が求められた。高融点金属の加工には粉末冶金が用いられた。ガスマントルの開発者である、オーストリアのCarl Auer von Welsbachは、最初、ガスマントル用に、オスミウムワイヤの製造法を考案し、1898年には、これをオスミウムフィラメントへ転用した。これが最初の金属フィラメントとされる。その後、他の高融点金属も試される中で、タングステンフィラメントも試みられた。1908年頃から、タングステン電球が商用化されたよう。

タングステン電球の普及と東京電気の製品戦略
https://www.jstage.jst.go.jp/article/bhsj/48/2/48_2_27/_pdf
を見ると、『引線タングステン電球は,燭力が10~15%減退するまでの寿命が1000~1200時間,これに対し,炭素電球は燭力が20%減退するまでが300~400時間,断線までが800~1000時間,「取替を請求せらるゝ迄は使用して差支なき」寿命が600~700時間』という記述(多分、1910年頃の状況の記述)がある。

cf)延性タングステンの発明 William. D. Coolidgeの業績とその周辺
https://www.jstage.jst.go.jp/article/materia1994/40/4/40_4_390/_article/-char/ja

白熱電灯の歴史
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jieij1917/40/1/40_1_13/_article/-char/ja


【照度に関する捕捉】照度に関する用語は、色々あって、紛らわしい。まず、放射輝度(radiance)と放射照度(irradiance)が紛らわしい。前者は、単位面積あたりのエネルギー出力で、単位はW/m^2、後者は、単位面積・単位立体角あたりのエネルギー出力で、単位は、W/(m^2・sr)となっている。更に、各波長に置ける値として、分光放射輝度、分光放射照度が定義される。黒体輻射の場合のPlanckの法則で計算される量は、分光放射輝度である。黒体輻射では、Planckの式とLambert則に従って、特定方向へ輝度を射影して、半球で積分することで、ステファン・ボルツマンの法則で計算される放射発散度が得られる。単位は、W/m^2となる。

人間の目は、可視光以外は見えないし、可視光でも、波長ごとに感じる明るさが異なるため、分光視感効率という0.0~1.0の値を、分光放射輝度と掛け算して、全波長で積分し、最大視感効果度と呼ばれる定数683(lm/W)を掛けることで、照度と呼ばれる量を得る。単位は、lm/m^2となる。1ルクス=1(lm/m^2)である。人間にも、色盲や四色覚があるように、分光視感効率は、厳密には、個人差が存在するはずだけど、
平成四年通商産業省令第八十号『計量単位規則』別表第8
http://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=404M50000400080&openerCode=1#97
に値が定められている。以上から、黒体輻射の発光効率(単位は、lm/W)を計算できる

下記のpythonコードで計算すると、
1673K: 0.29(lm/W)
2500K: 7.93(lm/W)
3000K: 20.58(lm/W)
3500K: 37.30(lm/W)
4000K: 54.55(lm/W)
7000K: 94.81(lm/W)
という値を得た。以下の表の"ideal black-body radiator"と、大きなずれはない。ロウソクの発光効率が、0.3lm/Wとあり、摂氏1400度に於ける黒体輻射の発光効率と近い。
Luminous_efficacy#Photopic_vision
https://en.wikipedia.org/wiki/Luminous_efficacy#Photopic_vision

import math

#-- returns radiance
def planck(lam , T):
  h = 6.62607004e-34
  c = 3.0e8
  k = 1.38064852e-23
  return (2*h*c*c)/((lam*1.0e-9)**5)*(1.0/(math.exp(h*c/(lam*k*T*1.0e-9)) - 1))

def blackbody_lux(T):
  Vs = [3.9e-06, 7e-06, 1.2e-05, 2.2e-05, 3.9e-05, 6.4e-05, 0.00012, 0.000217, 0.000396, 0.00064, 0.00121, 0.00218, 
        0.004, 0.0073, 0.0116, 0.01684, 0.023, 0.0298, 0.038, 0.048, 0.06, 0.0739, 0.09098, 0.1126, 0.139, 0.1693, 
        0.208, 0.2586, 0.323, 0.4073, 0.503, 0.6082, 0.71, 0.7932, 0.862, 0.9149, 0.954, 0.9803, 0.995, 1.0,
        0.995, 0.9786, 0.952, 0.9154, 0.87, 0.8163, 0.757, 0.6949, 0.631, 0.5668, 0.503, 0.4412, 0.381, 0.321,
        0.265, 0.217, 0.175, 0.1382, 0.107, 0.0816, 0.061, 0.04458, 0.032, 0.0232, 0.017, 0.01192, 0.00821, 0.00572,
        0.0041, 0.00293, 0.00209, 0.00148, 0.00105, 0.00074, 0.00052, 0.000361, 0.000249, 0.000172, 0.00012, 8.5e-05,
        6e-05, 4.2e-05, 3e-05, 2.1e-05, 1.5e-05, 1.1e-05, 7.5e-06, 5.3e-06, 3.7e-06, 2.6e-06, 1.8e-06, 1.3e-06, 9.1e-07, 
        6.4e-07, 4.5e-07]
  ret = 0.0
  for n,v in enumerate(Vs):
     ret += v*planck(360+n*5.0 , T)*5.0*1.0e-9
  return 683*ret

def blackbody_radiance(T):
    sigma = 5.670367e-8   #--stefan-boltzmann constant
    return (sigma/math.pi)*(T**4)


[7] 動力源としての応用
時代背景。18世紀以前の動力は、人力、馬、水車、風車などが使われていた。蒸気を利用して動作する機械というアイデアは多くの人が古くから考えたらしい。"一般的な蒸気機関の歴史"はThomas Newcomenの蒸気機関から始まるけど、17世紀には、ヨーロッパ各地で非常に多くの試みがあったようである。例えば、1606年に、スペインのJerónimo de Ayanz y Beaumontは、蒸気で駆動して、鉱山での排水を行う機械を開発し特許を取ったらしい。これが、どういう仕組みで、どの程度、有用なものだったのか、詳細は分からない。17世紀以前の他の例としては、ヘロンの蒸気機関(紀元前)、ロジャー・ベーコンによる蒸気船の記述(12世紀。製作はされてないはず)、フェルビーストの蒸気車(1665〜1680年?)などがある。

History of the steam engine
https://en.wikipedia.org/wiki/History_of_the_steam_engine

鉱山の排水を動機として発見された事実として、ポンプで汲み上げられる水の高さに上限があるというのもある。これは、その後、圧力の単位に名前を残しているトリチェリパスカルの実験(1643年と1646年と伝えられる)によって、気圧の存在確認と測定に繋がった。

1712年にThomas Newcomenが建造した蒸気機関は、イギリスでは、主に鉱山の排水用として使われ、1733年までに100台以上設置されたと伝えられている。とりわけ、石炭を運んでくる必要のない炭鉱での利用が多かったとされる(要出典)。非常に古くから存在するアイデアが、1700年代のイギリスで、漸く、実用化した理由について、明確な説明はない。Newcomen機関は、数年後には、フランスにも伝わったとされるが、フランスでは殆ど使用されなかったようである。

【補足】原理的には、蒸気機関の燃料は、薪や木炭でも良かったと思うけど、イギリスでは、森林面積の減少から、17世紀には、木材、木炭の価格が高騰していて、石炭の方が安くなっていたようである。この頃には、石炭が利用可能な場面では石炭を燃料として利用するようになっていたらしい。蒸気機関車の登場後、国や地域によっては、重油、灯油、薪、草などが燃料に使われたこともあるらしい。

とはいえ、18世紀のイギリスでも、動力の中心は、水車や風車が中心(※)で、その後、ワットによる多くの改良を経て、1776年頃、イギリスのWilkinsonは、蒸気機関で直に運転する溶鉱炉送風機を使い始めたとされる(それ以前は、水車)。また、1789年には、イギリスのマンチェスター蒸気機関を動力源とした紡績工場が稼働した。19世紀に入ると、蒸気機関は高圧化する方向へ進んだ。

※)18世紀のヨーロッパでは、Daniel BernoulliやEulerらによる理想流体の流体力学が始まっているが、水力機械の研究が動機としてあったらしい(ベルヌーイの定理ダランベールパラドックスなどは、この頃のもの)。理想流体の流体力学は、工学の現場では役に立たないということで使われることはなかったようで、工学的な水理学/水力学も、流体力学とは無関係に、実験的・経験的な分野として発展していたようである


蒸気機関交通機関への利用としては、1769年、フランスのNicolas-Joseph Cugnotが開発した蒸気三輪自動車が世界最初の自動車ということになっている。蒸気自動車は1820年代後半から、交通用途に利用されたらしく、馬車と同程度以上の速度(4km/h〜20km/h程度らしい)は出たらしい。蒸気自動車は、交通機関として劇的な発展はしなかったものの、農耕用トラクターに転用されていく。また、蒸気船は、 1783年、フランスのJouffroy d'Abbansが開発したものが最初らしい。1780年代には、他にも複数の人物が蒸気船の開発を行い、一定の成果を得ていたようである。1807年、アメリカのRobert Fultonは蒸気船による河川運送業を開始し初めて商業的に成功したと言われる。全鉄製の蒸気船は、1822年に、イギリスの技術者Aaron Manbyが初めて完成させたと言われている。

1823年に建造された蒸気船ダイアナ号は、翌年のイギリスとビルマの戦争で使用されたけど、残っている絵などを見ても、まだ船体は木製だったように見える。1839年には、鉄装甲を備えたイギリスの外洋艦ネメシス(全鉄製というわけではないよう)が完成し、1840年からのアヘン戦争に投入されたらしい。1853年のペリー来日時には、2隻の蒸気船が含まれており、これらは木造船だった。全鉄製の戦艦は、1860年に完成した、イギリスのHMSウォーリアとされる。

蒸気機関車は、イギリスのRichard Trevithickが1804年、初走行させた。しかし、当時のレールは強度が不足していて機関車の重量で破損することが多かったらしい。いくつかの技術的問題が解決された後、1825年には、イギリスで蒸気機関車を用いた鉄道であるストックトン・アンド・ダーリントン鉄道が開通した。これは、炭鉱と港を繋いでおり、石炭輸送が主目的で旅客輸送は副業という想定だったらしい。また、最初の速度は、10km/hにも満たない程度だったらしい。また、アメリカでは1827年、フランスで1832年、ドイツで1835年に鉄道が開通した。このドイツで開通した鉄道では、Gauss-Weber電信機の電線の敷設が行われ、鉄道網に電信網が並走するというのは、その後も一般的だったらしい。その後、"鉄道時間"と呼ばれる鉄道ごとの標準時の時刻合わせに電信は利用されたらしい(鉄道時間の導入は、最も早いイギリスで1840年)

最初の電動機が開発されるのは、1830年頃であるけど、この頃には、蒸気機関は動力源として確立されていたと言える



1825年頃、イギリスのWilliam Sturgeonは電磁石を作って、1830年頃までに、アメリカのJoseph Henryは、より強力にする改良をしていた。1828年頃、ハンガリーのJedlik Ányosという人が、lightning-magnetic self-rotorsと名付けた機械を作り、実演もしたとされているが、本人の後年の証言以外の記録はないっぽい(?)

1831年には、Joseph Henryが電動機を報告した
A new understanding of the first electromagnetic machine:Joseph Henry's vibrating motor
http://aapt.scitation.org/doi/abs/10.1119/1.3531940

ON A RECIPROCATING MOTION PRODUCED BY MAGNETIC ATTRACTION AND REPULSION.
https://www.princeton.edu/ssp/joseph-henry-project/electric-motor/
には、現存する機械と共に、Henryの報告がある。回転運動ではなく、振動運動をする機械らしい。冒頭に"I have lately succeeded in producing motion in a little machine by a power, which, I believe, has never before been applied in mechanics—by magnetic attraction and repulsion."と書いているので、明確に"電動機"を作ろうと思って、成功しているよう。

1832年に、William Sturgeonが回転式のモーターを開発したとされている。この頃、電動機を開発していた人物は他にも複数いるらしいけど、1834年にMoritz Hermann von Jacobiが作成したモーターは15W程度の出力があったそうで、実用性のある最初のモーターと位置づけられている
Jacobi's first real electric motor of 1834
https://www.eti.kit.edu/english/1382.php

【補足】1830年以降、突然、電動機が沢山試作されているけど、理由は、よく分からない(強力な電磁石を目の当たりにして、何かに使えないかと考えたのがきっかけかもしれない)。しばしば、ファラデーが1821年に報告した実験装置をモーターの起源とする記述を見るけど、OerstedとAmpereの報告から予想された事実を証明するための装置で、実用性はなく、その後の電動機に直接的に影響を与えたということはないように見える

最初の電気自動車についての考察(PDF)
http://www.ei.u-tokai.ac.jp/morimoto/docs/%E6%9C%80%E5%88%9D%E3%81%AE%E9%9B%BB%E6%B0%97%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%BB%8A%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E3%81%AE%E8%80%83%E5%AF%9F.pdf

によれば、1830年代に電動式交通機関(自動車、機関車、三輪車etc.)の試作が行われている。アメリカのThomas Davenportは、1835年、「ボルタ電池を使った電車の模型を走らせた」らしい。1837年にモーターに関する特許も取った(US Patent 132,Improvement in propelling machinery by magnetism and electro-magnetism)。モーターを使った電動印刷機も作ったらしい

Moritz von Jacobiは、1839年にelectric motor boatを作成したとされる(14人の乗客を乗せて、時速約5kmであったとか)。比較としては、1838年4月にイギリスからアメリカへ大西洋横断を果たした蒸気船シリウス号が、320馬力(〜235kW)で、最高速力8.03ノット(〜時速15km)という時代。
Electric boat
https://en.wikipedia.org/wiki/Electric_boat



蒸気機関と電動機の比較は、1841年のJouleの報告がある。Wikipediaには、"Sometime around 1840, he started to investigate the feasibility of replacing the brewery's steam engines with the newly invented electric motor."(1840年頃、醸造所の蒸気機関を新しく発明された電気モーターに置き換られるか検討し始めた)とか書いてある。醸造所は、Jouleの家業。Jouleは、同じ1841年末には、Jouleの法則に関する論文を出し、1843年には、熱の仕事当量の測定を行っているけど、この卑近な問題が出発点だったのかもしれない。Jouleの報告は、On a new class of magnetic forcesという論文にある。論文の冒頭では、Joseph Henry、William Sturgeon、Jacobiらへの言及がある

Jouleの報告によれば、"the best Cornish steam-engine"は、石炭1ポンドあたり、150万ポンドの重量を1フット持ち上げることができた(石炭1kg当たり4483.6kJの仕事に相当)。石炭454gあたり2032kJの仕事をした計算で、石炭の燃焼熱を炭素の燃焼熱(394kJ/mol、約7850kcal/kg)で近似した場合、エネルギー効率は、13〜14%となる。石炭と一口に言っても、(無煙炭や瀝青炭など)種類によって、固定炭素の含有量が異なり、用いた石炭の種類までは記述がないけど、実際は、もう少し高効率だったはず。石炭の質は、産地で決まるようで、イギリスのウェールズなどは、質の良い石炭を産出する地域として知られている。現在、炭素含有量90%以上の場合、無煙炭と呼ばれ、80%以上の場合は、半無煙炭と分類される。使用したのが半無煙炭だったとしたら、エネルギー効率は、15〜17%程度だったという計算になる。

一方、Jouleが作成した電動機は、亜鉛1ポンドあたり、331400ポンドの重量を1フット持ち上げることができたと報告されている。亜鉛1ポンド(454g)あたり449kJの仕事をした計算。Jouleが実験に使ったのはグローブ電池らしいので、電圧1.9[V]で、また亜鉛1molあたりでは、電子2molが流れるから、ファラデー定数を96500[C/mol]として、366.7[kJ]の仕事をする。亜鉛の原子量は65.4なので、亜鉛1ポンド当たりでは、電池の最大仕事量は2546kJと計算され、17〜18%程度が、物を持ち上げるのに使われたことになる。

当時、重量あたりの値段では、亜鉛は、石炭の6〜70倍程度だったらしい(要出典)(亜鉛の製錬は、紀元前まで遡るとか言われてるけど、当時のヨーロッパでは、酸化亜鉛をコークスで還元するという、オーソドックスな方法で製造していたらしい)。2000年以降のデータでは、石炭の価格は、1トン当たり100USDで、亜鉛価格は、1トン当たり2000〜3000USDの水準にある。何にせよ、Jouleは、電池で亜鉛を消費するより、蒸気機関で同量の石炭を燃やす方が経済的であるという結論を得た。

Jouleの測定法は、誰が始めたか知らないけど、少なくとも、Smeatonによる測定まで遡る。Smeatonは、1ブッシェルの石炭がなす仕事をこの方法で測定して、蒸気機関の効率の指標としたらしい。この測定法で計測される仕事は、今はwater horsepowerと呼ばれることもあり、蒸気機関の主用途が揚水機だった時代には最も適切だったけど、試行錯誤には向かなそうに見える。ワットとその協力者たちは、圧力計を開発し、p-V線図(インジケーター線図)の作成を可能にした。p-V線図の閉曲線が囲む面積から、蒸気機関の1ストロークあたりの仕事を計算できるということは、18世紀の終わり頃には、知られていたらしい。p-V線図から計算される出力は、後にindicated horsepowerと呼ばれるようになった。indicated horsepowerは、エンジンの出力であるのに対して、water horsepowerは揚水機全体の出力なので、後者は前者より小さい


【Newcomen機関の出力】A Treatise on the Steam-engine: From the 7th Ed. of the Encyclopaedia Britannica
https://books.google.co.jp/books?id=koSrOwDxPjgC&printsec=frontcover&hl=ja&source=gbs_ge_summary_r&cad=0#v=onepage

の84ページに、SmeatonによるNewcomen機関の測定結果として"The work of one bushel or 84 lbs. of coal was equal to 2,919,017 lbs. raised 1 foot high."という記述がある(一次文献は不明)。単純計算で、石炭1gあたりの仕事は、(2919017/0.453592)*9.8*0.3048/(84*1000/0.453592)=103.8[J]なので、石炭の燃焼熱を炭素の燃焼熱(394kJ/mol)で近似すると、熱効率は0.31%。おそらく、0.5%を大きく超えるようなことはないと思われる

Newcomen機関のindicated horsepowerを見積もってみる。シリンダーの体積を、V[m^3]として、1ストロークでする仕事は、体積変化は定圧条件で、圧力変化は定積条件で起きるとして、最大圧力(≒大気圧)と最小圧力(真空と書かれることも多いけど冷却後の蒸気圧)の差を100[kPa]とすれば、単純に100*V[kJ]となる。1800年代に作られたNewcomen機関の解析が以下の論文でなされている。p-V線図の形を見る限り、悪い計算ではなさそうけど、"真空"の圧力は、1/3気圧くらいはあるよう(70度の飽和蒸気圧くらい)
Thermodynamic Analysis of a Newcomen Steam Engine
https://www.tandfonline.com/doi/abs/10.1179/1758120613Z.00000000024?journalCode=yhet20

それで、最初のNewcomen機関は、シリンダー直径53cm、シリンダーの長さが2.4mだったらしいので、V=0.55[m^3]くらい。最小シリンダー内圧を1/3気圧で大気圧を100[kPa]とすると、1ストローク当たりの仕事は、100*(1-1/3)*V=36[kJ]で、1ストローク5秒程度だったらしいから、7.2[kW]となる。従って、最初のNewcomen機関のindicated horpsepowerは10馬力程度だったと見積もられる。water horse powerは、5.5馬力程度だったらしい。上の論文では、water horsepowerはindicated horsepowerの6割前後になっていて、同程度の比率になってる

一応、Newcomen機関の効率の上限を試算する。1ストローク分の仕事をするのに、シリンダーの体積V[m^3]と等しい蒸気を発生させる必要がある。これは、100度・1気圧下に於いて、18*(1000*V)/(22.4*373/273)=588*V[g]の水に相当する。1気圧、100℃の水の蒸発熱は2257[kJ/kg]で、また、液体の水の比熱は、4.2[J/g]であるから、冷却した水を蒸気にするのに概算で2500[kJ/kg]程度の熱量が必要と試算される。以上の仮定の下で、1ストロークに必要な熱量は、1470*V[kJ]となる。最小シリンダー内圧を0にできたとしても、1ストロークでする仕事が、100*V[kJ]を超えないので、熱効率の上限は、10/147=6.8%となる。当然、投入した熱の一部しか、水を加熱するのに使われないので、実際の熱効率は、これより低い。



1859年に充電可能な鉛蓄電池が報告されると、『すぐに自動車に使うことが検討され』(※)た(どこで?)そうで、継続的に、実用化しようという動きがあったことが伺える。1897年に、ロンドンで電気タクシーが登場したらしいので、この頃、一応、電気自動車が実用化したといえるかもしれない。その後、『1912年には電気自動車がピークの時代を迎えた。米国では33,842台の電気自動車が登録されていた』(※)ものの、結局、内燃機関を使用する自動車の出現で、廃れてしまった(2018年には、ロンドンタクシーは、全部EVにするとか宣伝してた気がするけど)

※)「最初の電気自動車についての考察」から引用


1860年代〜70年代に発電機の性能が大きく向上し、1879年に、Siemens社がベルリン工業博覧会で、電気機関車を展示した。1881年にベルリン市電が世界初の路面電車を運行させたらしい。Davenportの試作から、約45年ほど経過している
ベルリン市電
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%AA%E3%83%B3%E5%B8%82%E9%9B%BB

日本では、1895年に、『京都市において京都電気鉄道が日本初の電車営業運転を開始した』。初期の路面電車は600V直流電源を用いていたようである
日本の電車史#路面電車
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E9%9B%BB%E8%BB%8A%E5%8F%B2#%E8%B7%AF%E9%9D%A2%E9%9B%BB%E8%BB%8A

鉄道建設の歴史年表
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%84%E9%81%93%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2#19.E4.B8.96.E7.B4.80.E5.BE.8C.E5.8D.8A

を見ると、1896年、ハンガリーで初の電化式地下鉄が開業し、同年、スイスでは、世界初の交流電化鉄道が開業とある。戦前の日本では、変電所が破壊されると列車が走れなくなるという陸軍の反対があって、蒸気機関車ディーゼル機関車も、長く生き残ったようである

【電車と電気機関車】今の日本では、電車が走っていて、電気機関車という言葉はあまり見ない。どちらも、電気を動力とする点は共通しているけど、1つか2つの車両にのみモーターがあって他の車両を牽引する(動力集中方式)場合を電気機関車と呼び、各車両にモーターがある(動力分散方式)場合を、電車と区別するらしい。電気で動いてたら、電車でいいじゃんと思わなくもないけど


1880年代になると、様々な"輸送機械"を電動式に置き換える試みが増える。例えば、1880年に、電気式のエレベータをSiemensが開発している(商用化したわけではないらしい?)。史上初の電動航空機は、1883年にGaston Tissandierが開発したものとされている(飛行機はまだないので飛行船)
ガストン・ティサンディエ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A8

船舶。1884年には、電気推進式の潜水艦が作られたりしたよう
電気推進 (船舶)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E6%B0%97%E6%8E%A8%E9%80%B2_(%E8%88%B9%E8%88%B6)


また、1882年に、アメリカのSchuyler Wheelerが、電気扇風機の特許を取得し、1893年には、アメリカで電気扇風機が販売された



[8] 加熱・加工・溶接技術への応用
金属の鍛接(高温で圧力をかけて接合する)や、ろう付け(母材よりも融点の低い合金を溶かして接着)も広い意味では溶接として扱われるため、溶接自体は、紀元前まで遡る技術とも言われる。

1865年に、イギリスのHenry Wildeという人物が、電気溶接の特許を取得しているらしい。おそらく、以下の人と同一人物?
Henry Wilde (engineer)
https://en.wikipedia.org/wiki/Henry_Wilde_(engineer)

1880年頃、フランスのAuguste de Méritensは、蓄電池の鉛板の接合を炭素ガスアーク溶接で行い、フランスで特許を取得したらしい。また、1881年、ロシア/ウクライナのNikolay Benardosも炭素ガスアーク溶接を開発したと言われる。Benardosは、1885年に、イギリスで特許を取得し、その後、数年の間に、各国で特許を取得したよう。

1907年に、スウェーデンのOscar Kjellbergが被覆アーク溶接の特許(Swedish Patent:27152)を取得して以降、アーク溶接は、本格的な普及を開始するようである。1930年頃には、造船や橋染工事でも利用されている。1939年頃に、ベルギーの溶接鉄橋が夜間に脆性破壊を起こして崩落したり、1939〜45年に生産されたアメリカのリバティ船の船体は溶接で作られ、夜間などに突然脆性破壊を起こすなどして、破壊力学の研究が本格的に注目される契機となった。


放電加工は、ずっと後の20世紀中盤以降に使われるようになったらしい

電解加工および放電加工の基礎と応用
https://www.jstage.jst.go.jp/article/sfj/55/8/55_8_529/_article/-char/ja/


1893年スコットランドAlan MacMastersという人は、トースターを考えたらしい。当初は、電熱線として、鉄線などを利用していたらしいけど、すぐに酸化するので、長期間の利用は難しかったよう。ニクロム線は、1905年にアメリカのAlbert Leroy Marshという人が考えたとされる。この頃は、丁度、ステンレス鋼の開発が行われた時期でもあるけど、それが関係しているのかどうかは分からない。ステンレスはニッケル、クロム、鉄を含む合金で、名前の通り(当時はまだステンレスとは呼ばれてなかったろうが)、錆びにくく、電気抵抗も、(ニクロム線よりは高いけど)鉄などの金属類と比較すると比較的高い方である。ニクロム線は、すぐにトースターに使用されるようになった。


[9] 無線通信
有線電信の普及以後、電磁波の送受信が可能になる以前から無線通信への期待はあった。多くの場合、水や大気や地面を伝導体として使おうという発想だったよう。初期の試みとして、アメリカのMahlon Loomisによるものがあり、特許取得は1872年であるけど、実験自体は、それ以前から繰り返していたっぽい。Loomisの実験については、情報が少なくて、よく分からないけど、以下の文献には"Whether Loomis' system utilized electromagnetic (Hertzian) waves, ... , or whether his system functioned totally on the basis of electrostatic conduction is unresolved."と書いてある。当人は、上層大気を介した電気伝導(?)のようなイメージだったようだけど、意図せず電波による無線通信を実現していた可能性もあるとか

The First Antenna and Wireless Telegraph, Personal Communications System (PCS), and PCS Symposium in Virginia
https://link.springer.com/chapter/10.1007/978-1-4615-2758-9_20

また、1880年に、アメリカのGraham Bellは、光電話の実験に成功したとされる。この時は、可視光/太陽光を利用して、音声による鏡の振動で、光の強度を変調し、受信側では、光電変換素子としてセレン結晶を用いた(セレンの光起電力効果は、1873年に報告された。20世紀前半にはセレン光電池として使われたこともあるらしい)らしい。可視光なので、遮蔽物を通過できず天候に性能を左右されやすく、長距離伝送には向いてないとして、お蔵入りとなったよう。21世紀になって、(LEDを使った)光無線通信は近距離無線通信の手段として使われるようになりつつある(?)


1886〜88年にかけて、有名なHertzの実験が行われ、数本の論文が出版された。イギリスのMaxwellが、1865年の論文で、"General Equations of the Electromagnetic Field"を提案し、これらは、微妙に間違っていたけど、現在では"Maxwell方程式"と呼ばれている方程式をほぼ含んでいて、何とか、電磁波の波動方程式を導いた。Maxwellの理論を真剣に検討した人々によって、1880年代に、電磁波の生成・検出方法が提案され、結果的には、Hertzがdipole antennaを開発してMaxwellの理論を実証した最初の人とされる。また、イギリスのOliver Lodgeも、ほぼ同時期に実証実験をしている(実験の詳細は知らない)。

電磁気学確立期におけるマクスウェリアンの役割 : O.Lodgeの業績を中心として
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/96753

【電磁波の発見者たち】1880年以前にも、(当然、可視光は別として)電磁波の存在を実証できた可能性のある人は、複数いる。1842年のJoseph Henry,1875年のエジソン,1879年のDavid Edward Hughesなど(彼らが、具体的に、どういう実験をしていたのかは分からない)。エジソンは、新しい現象であると信じていたものの、電気的な現象でないと考え、"etheric force"と名付けたとあるし、Hughesも新しい現象だと思ったけど、Stokesらに否定されてしまって反論できなかったよう。
cf)Observations of Electromagnetic-Wave Radiation before Hertz
https://www.jstor.org/stable/227753


1890年代になってすぐに、"Hertz波"の応用も提案されている。1890年、Richard Threlfallは、可視光とのアナロジーで、不可視のシグナルを送ることもできるだろうと述べたらしい
Wireless: From Marconi's Black-box to the Audion
http://citeseerx.ist.psu.edu/viewdoc/download?doi=10.1.1.691.8086&rep=rep1&type=pdf
の7〜8ページあたり。長距離伝送については特に触れておらず不可視であることに重点が置かれているように読める。Crookesは1892年に、"Some possibilities of electricity"という、電波による無線通信の可能性を示唆した短い記事を書いている(1892年2月1日付け)。こっちは、現代の長距離無線通信と近い認識であるように読める。

[Crookesの記事] Some possibilities of electricity
http://www.tfo.upm.es/ImperialismoWeb/ArtCrookes.htm



電波を利用した無線通信の最初の実演は、1893年、Teslaが行ったものとされている(具体的に何をしたのか、よく分からないけど)

Nikola Tesla's Contributions to Radio Developments
http://www.journal.ftn.kg.ac.rs/Vol_3-2/03-Marincic-Civric-Milovanovic.pdf

【補足】Teslaは1891年頃、(無線通信より先に?)無線送電の実験をしている。Teslaは、1889年パリを訪れた際に、Hertzの実験を知って、1890年には、Hertzの実験を再現したりしているが、Hertzの実験を、電磁波の実証とは考えていなかったらしい


Oliver Lodgeは、1894年に、Édouard Branlyが1890年に報告した現象を利用して、コヒーラ検波器を作り、モールス符号を送信する実験をして、1898年には、同調回路に関する特許も取得している(U.S. Patent 609154, "Electric Telegraphy")。また、1895年頃、Rutherfordは磁気検波器を開発し、実際に送受信の実験も行った。1902年に、マルコーニは、磁気検波器を改良し、使用したと言われている。
[Rutherfordの論文] A Magnetic Detector of Electrical Waves and Some of Its Applications
https://www.jstor.org/stable/90688?seq=1#page_scan_tab_contents

無線通信の軍事利用は各国考えてはいたようだけど、1904年の日露戦争で、日本海軍は、艦船に無線機を搭載したと言われている。「戦争の科学」という本によれば、それ以前の艦隊の連携手段は手旗信号であり、当時のロシア海軍も、主に手旗信号を用いていたそうである


マルコーニの成功以後、アマチュアの無線家や研究者が多く誕生したらしい。マルコーニは、最初の頃、無線通信で音声を送る必要はないと考えていたとされるが、音声無線通信を試みた人も当然いた。カナダのReginald Fessendenは、1900年に、ヘテロダイン方式を考案し、同年12月には、音声無線通信を成功させていたと言われる。

Reginald Aubrey Fessenden and Birth of Wireless Telephony
https://ieeexplore.ieee.org/document/1003633

1904年に、マルコーニの会社の顧問だった、イギリスのJohn Flemingは二極真空管を開発した。Flemingは、直接Maxwellの講義を聞き、ロンドンのエジソン・スワン電灯会社で技術顧問をしていたこともあり、1885年には、ロンドン大学初の電気工学教授職を得、1899年から、マルコーニに雇われた。1880年代にエジソン白熱電球の実験中に観測した熱電子放出(エジソン効果)を知っていて、これを思い出して二極真空管を作ったと言われる

電気の世紀へ 第24回<(発明の時代) フレミングの二極管へ>
http://www.ksplz.info/+museum/matsumoto2/matsumoto24.pdf

また、Flemingが二極真空管の特許を取得した1904年、インドのChandra Boseは、鉱石検波器を開発し、特許を取得した。二極真空管や鉱石検波器の開発は、電子流の制御と応用を目的とする電子工学の起源とも言えるけど、当時は、電子の理解は不十分だったので、理論は後からやってきた。Richardsonという物理学者は、エジソン効果の理論的研究(1910年頃)で、1928年にノーベル賞を取っている。鉱石検波器も、当時は原理が分からなかったはずで、その後の改良は試行錯誤によるしかなかったようである。Schottkyバリアの理論は、1939年に論文が出たらしい。

アメリカのLee de Forestは、Fessendenと同時期に、無線音声通信を試み、少なくとも1904年までには無線音声通信を成功させ(報道に利用したとあるので一定の音質はあったのでないかと思われる)、1907年に三極真空管の特許を取得した(Lee de Forestは、audionと呼んだ)

リー・ド・フォレスト
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%88

Lee de Forestは、三極真空管の発明者と言われるが、1907年の時点で、三極管の増幅作用に気付いておらず、二極真空管の特許を回避するため、見た目を少し変えただけとも言われる。三極管の増幅作用に気付いたのは、1911〜13年、Federal Telegraph Companyに雇用されていたLee de Forestがチームを組んでいたHerbert van EttenとCharles Logwoodらしい(?)。

また、Lee de Forestは、残留ガスが重要だと主張していたけど、1913年頃、GE社のIrving Langmuirや、その他複数の技術者は独立に、真空度を更にあげた真空管("hard vacuum tube",10mPaくらいまでがsoft vacuumらしい)の重要性を認識したようである。Langmuirは、hard vacuum tubeは真空度をあげるのが重要なので、残留ガスが重要だと主張しているde Forestの三極管とは、異なる機構によるとして特許を取ったそうである。Langmuirの特許は、実質上、真空管の基本特許となり、後に、東京電気も、GE社からライセンスを受けている

【もう一つの真空管】最初のX線源はクルックス管で、その後、他の型のX線管も現れたようであるが、1913年、GE社のW.D.Coolidgeは熱陰極X線管を開発し、21世紀の現在も使われているX線管の原型とみなされている。W.D.Coolidgeは、その少し前、タングステン電球の商用化で重要な貢献をした([6]照明への応用、を参照)が、最初のクーリッジ管でもタングステンフィラメントが使われたようである。また、該当する特許US Patent 1203495の文章を読むと、以前のX線管のガス圧は"one to ten microns (0.001 to 0.010 millimeters) of mercury"(0.001mmHg~0.01mmHgのこととすると、およそ、0.1~1.0Paに相当)だったが、クーリッジ管は"vacuum of about .05 microns (0.00005 millimeters of mercury) or lower"(0.00005mmHg≒6mPaか、ぞれ以下?)である的なことが書いてあり、高い真空度の重要性が主張されている。当時の人々の考えはよく分からないけど、X線管に於いても、残留ガスの重要性を信じる人は少なくなかったようである


【1910年代の真空技術】ドイツのWolfgang Gaedeは、生涯で複数の真空ポンプを開発しているが、1912年に開発した分子ポンプは、背圧1.3kPaで4mPaまで到達できたらしい(?)。また、1913年9月にGaedeがドイツで取得した特許(DE-286404,“Vorrichtung zum Evakuieren")に水銀拡散ポンプの原理が記載されているらしい(未確認)。1916年、Langmuirは水銀拡散ポンプを改良したらしい(何をしたかは知らない)
分子ポンプ・ドライポンプの歴史・現状・将来
https://www.jstage.jst.go.jp/article/tsj1973/23/11/23_11_630/_article/-char/ja/

【参考:真空蒸着】いわゆる真空蒸着は、10mPa~0.1mPa程度の真空度が必要らしい。以下の文献では、真空蒸着の嚆矢を、1912年のP.PohlとP.Pringsheimという人らの報告としている。利用した真空ポンプが何か調べてないけど、時期的には、必要な真空度が作れるようになった頃である。1970年代まで、半導体製造で使われていたのと、同じ原理らしい

20世紀における薄膜・表面科学の歴史と将来展望
https://www.jstage.jst.go.jp/article/oubutsu1932/69/8/69_8_956/_article/-char/ja/

半導体と真空装置
https://www.jstage.jst.go.jp/article/sfj1989/48/11/48_11_1043/_article/-char/ja

半導体製造装置の真空技術
https://www.jstage.jst.go.jp/article/tsj1973/13/9/13_9_543/_article/-char/ja/


アメリカでは、1910年には「無線船舶法」、1912年8月に「無線法」が成立し、国家による周波数資源の管理が始まった。

【おまけ】
電波利用の大衆化 〜昨日・今日・明日
https://kwansei.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=22008&item_no=1&attribute_id=22&file_no=1

には、フランスの事情が書かれていて、1908年には、三極管を使った音楽放送がエッフェル塔から実験的に流されていたそうである。



[10] アクティブ・リモートセンシング(レーダーとソナー)
20世紀に入ると、レーダーやソナーが実現した。これらの技術は、リモートセンシングと総括されることもあるけど、どこからがリモートセンシングかは厳密に考えると、よく分からない。人間は、元々、可視光や可聴音を利用して周囲の情報を得ているし、照明は暗い場所での能動的なリモートセンシングともいえる。天文学の殆どの観測技術は、パッシブ・リモートセンシングだと思うけど、そういう言い方はしない


レーダーは1904年、ドイツのChristian Hülsmeyerが考案したのが最初とされている。送信機は、Hertzが使ったのと原理的には同じspark gap transmitter。Hertzの行った実験の一つでは、波長は66cm(周波数455MHz)と測定されている。Hülsmeyerが使用した周波数は、700MHz前後らしい。応用としては、船同士の衝突検出を考えていて、数km先の船を検出できたらしいけど、有用とは見なされず、じきに忘れられた。

最初の(アクティブ)ソナーは、レーダーより少し後の1914年頃に、Fessendenが開発したとされ、当初は可聴周波数を使っていたが、それなりに利用されたらしい。周波数が3000Hzとすると、水中での音速が1500m/sなので、波長は50cm程度だったということになる。1914年は、ドイツが潜水艦Uボートの実運用を始めていたような時期で、潜水艦は一般的になりつつあったよう。従って、その少し前から、海中での通信や互いの衝突を検出するための技術開発が進んでいたっぽい。この時の音波の生成は、Fessenden oscillatorというものが使われていたようだけど、どういうものかは知らない。
Fessenden oscillator
https://en.wikipedia.org/wiki/Fessenden_oscillator

1917年には、Langevinが圧電素子で生成した超音波を利用したソナーを開発したとされる。圧電効果、逆圧電効果1880年、81年に報告されている。

レーダーが使われる以前は、対空早期警戒用にも、戦闘機の発する音を探知するパッシブソナーの開発が行われたらしい。日本では、聴音機などと呼ばれる。
聴音機
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%B4%E9%9F%B3%E6%A9%9F
21世紀の現在、気象レーダーはあっても気象ソナーはないけど、象は、20Hz以下の低周波音を聴いて、数十km先の雨や雷を探知可能という話もある(本当かどうか胡散臭いけど)から、いつか気象ソナーとか誰かが作るかもしれない


1930年代中盤頃から、世界各国でレーダー開発が同時多発的に行われて、二次大戦後までに大きく進歩した。1934~39年に開発を行った国として、イギリス、ドイツ、アメリカ、ソ連、日本、フランス、オランダ、イタリアなどがあるらしい。

Radar in World War II
https://en.wikipedia.org/wiki/Radar_in_World_War_II

1935年頃開発されたイギリスのChain Homeレーダー(CHレーダー)や、1936年頃から開発を開始したとされる日本の"超短波警戒機甲"、同時期にソ連で開発されていたRUS-1レーダーは、送信機と受信機が離れた場所にあるbistatic radarに分類される。イギリスは最初からパルス波を使ったようだけど、日本やソ連は、連続波を使用している。イギリスが1935年の実験で使った周波数は6MHzで、その後、1930年代に運用されたCHレーダーでも2〜30MHzだったらしいけど、ドイツは1935年の実験で既に、600MHzという高い周波数を使用したらしい。1946年の以下の報告によれば、"超短波警戒機甲"は、八木秀次の発案で、岡部金治郎が実験を主導した。アメリカGE社のC.W.Riceが1936年に書いた論文(※)とは独立だと主張したとも書いている。

Short survey of Japanese radar — I
https://ieeexplore.ieee.org/document/6434248/

※)多分、"Transmission and reception of centimeter radio waves"というタイトルの報告で1936年8月付だけど、内容は不明

アメリカでは、1934年に"System for detecting objects by radio"という特許が成立している(US patent 1981884)。アメリカ陸軍では、Paul E. Watsonのグループが、1936年に、超短波パルスレーダーによる航空機の検出に成功した。これを受けて、翌年には、射撃管制レーダーSCR-268や早期警戒レーダーSCR-270の試作機を完成させ、これらのレーダーは1940年頃から運用開始したらしい。アメリカ海軍は、RCA社に依頼して、1940年頃に、超短波艦載対空警戒レーダーCXAMを完成させた

イタリアでは、マルコーニが1934年頃にレーダー開発を開始した。マルコーニの提案は、パルスレーダーとCWレーダー両方があったらしく、1936年に完成した最初のレーダーE.C.1は、FMCWレーダーであったらしい。マルコーニは1937年に死亡。1924年にイギリスのAppletonとBarnettは、電波の反射によって電離層の存在を証明し、その距離を計測したが、この時利用した方法は、FMCWレーダーと同じ原理に基づくものだったよう。日本の"超短波警戒機甲"は、距離や方角を知ることはできない無変調のCWレーダーだったらしいので、少なくとも原理的な面では、イタリアのE.C.1は"超短波警戒機甲"より優れていた。

多くの国は1930年代にパルスレーダーを作っているけど、日本はパルスレーダーを思いつく人がいなかったようで、1940年9月の日独伊間の同盟締結後、ドイツからの情報を基に、パルスレーダー開発を始めた。1941年10月には、パルスレーダー"超短波警戒機乙"(後にタチ6号)の試験を行い、高評価だったらしく、太平洋戦争初期から配備された。名前の通り、使用周波数は超短波帯(30~300MHz)で、用途は早期警戒レーダー。ほぼ同時期に、海軍最初の超短波パルスレーダーである一号一型電波探信儀も動作した。

日本の射撃管制レーダーは、1942年初頭に獲得したイギリスのGL Mk IIレーダー、SLCレーダー、アメリカのSCR-268などのコピーとして開発された(タチ1〜4号、4号1型及び4号2型電波探信儀)。GLは"gun laying"の略で、SLCは"SearchLight Control"の略らしい。ドイツには、対空射撃管制レーダーとして、ウルツブルグレーダーがあったけど、日独間の物資輸送は妨害されていて、設計図などを入手できなかった。1943年9月になって、ドイツの技術者が来て、ウルツブルグレーダーのコピーを開発した(タチ24号、31号)



1930年代のレーダーは、短波〜超短波領域(3〜300MHz)のものが殆どだった。1GHz以上の周波数を利用したいと思っていた人は多いだろうけど、レーダーに使えるほど高出力のマイクロ波管がなかった。

マイクロ波管の歴史】1920年に、ドイツでBarkhausen–Kurz管(BK管)が開発され、750MHzのマイクロ波発振に成功した。同じく1920年に、GE社のAlbert Hullは最初のマグネトロンを開発した。この時の周波数は30kHzで、マイクロ波管とは言えない。その後、様々な研究があり、1936年に、ロシアのAleksereffとMalearoffは、3GHz、300Wのマイクロ波発振を可能にした。この結果は当時ロシア国外には伝わらなかったらしい。また、1937年には、クライストロンが開発された。クライストロンも最初の出力は小さいものの、1940年代前半(正確な時期は調べても不明だった)には、イギリスのEMI研究所で、20kW出力のクライストロンが開発されていたらしく、1940年代初頭のイギリスでは、H2Sレーダー開発時に、マグネトロンを使うかクライストロンを使うか議論があったとされている

ドイツは、初期から、マイクロ波帯のパルスレーダーを作っていたけど、周波数は1GHz未満に留まっていた。また、1937年に、ソ連がマグネトロンを使用したパルスレーダー"Zenit"を開発したようだけど、これは周波数500MHz、ピーク出力3kWだったらしい。日本では、1930年代前半から(海軍と共同で)マイクロ波管の基礎研究を行っていた日本無線株式会社が、1939年にマグネトロンM3を作成し、これは3GHz、連続出力500Wで当時の最高水準の性能となった。1939年の時点では、日本にパルスレーダーの発想がなく、1940年以後、超短波パルスレーダー"超短波警戒機乙"とマイクロ波パルスレーダー"22号電探"の開発は、並行して行われたっぽい。M3をベースに日本無線株式会社が開発したM-312は、ピーク出力6.6kWを達成し、1941年以降は、艦載水上捜索パルスレーダー"22号電探"の送信機に使われた。

一方、1940年に、イギリスのJohn RandallとHarry Bootが開発したマグネトロンは、周波数3GHzで、ピーク出力は最終的に25kWに到達したとされる。M3同様、水冷が重要みたいに書かれていて、同じようなものだったっぽい。このマグネトロンはアメリカにも譲渡され、アメリカとイギリスは、マグネトロンのレーダー利用を研究し始めた。アメリカでは、1940年10月に、レーダー研究を重点的に行うMIT Radiation Laboratoryが設立されている。イギリスでは、1941年には、機上搭載マグネトロンレーダーAI Mk VIIIを実戦投入した。アメリカは、1941年には艦載水上捜索レーダーSGの試作機を完成させ、1942年から艦隊配備を開始した。終戦までには、アメリカも日本も、3GHz、ピーク出力が数百kWのマグネトロンを作れるようになっていた(日本では、レーダーには使われてないけど、アメリカは1944年初頭から、ピーク出力250kW、周波数3GHzのSCR-584を実戦投入した)


"22号電探"の試作機は、"超短波警戒機乙"と同様、1941年10月には出来ていたようであるけど、(受信機に)技術上の問題があり、低評価だった。問題が解決したと見なされ量産化を開始したのは、1944年3月。日本のマグネトロンレーダーは、艦載水上捜索レーダーを中心として使用されたっぽい。

霜田光一論文『電波探知機・電波探信儀用鉱石検波器の研究』
http://www.yokohamaradiomuseum.com/shimodawebsite/shimoda.html

を見ると、問題のありか、問題が生じた理由、どう解決したか、などが書かれている。ただ、"国産の真空管も回路部品も信頼度が低く、寿命が短かったので、... スーパーヘテロダインより真空管も回路素子も少なくて済む超再生が選ばれた"とあるけど、そもそも、試作すらしてなかったようなので、3GHz帯では(混合器ができないとかで)作れなかったという方がありそうに思えるけど、どうなんだろう(つまり、工業力の問題というより、技術的な問題だったのじゃないかと思う)

ドイツは1943年2月2日に、イギリスのH2Sレーダー(マグネトロンを使用した機上地形レーダー)を獲得して、マグネトロンの使用を確認した。以後、ドイツも、マグネトロンレーダーの研究を開始したけど、終戦まで、量産されたものはない。この時、イギリスとアメリカがマグネトロンレーダーを実用化している事実が日本に伝わったかは不明(この事実を、日本が、いつ確信したかも不明)。

3次元レーダーができるのは、1950年代以後のことのよう。何が難しかったのか分からないけど

【探知距離とレーダー出力】Wikipedia記載の情報によれば、1940年に、日本の真珠湾攻撃を探知したパルスレーダーSCR-270は、周波数106MHz、ピーク出力100kWで、探知距離が240kmとある。AI Mk VIIIは、3.3GHz,25kWで、探知距離は10kmに及ばない程度だったよう。レーダー方程式によって、受信電力は、波長の二乗に比例し、距離の4乗に反比例するので、検出可能な受信電力やアンテナ利得、反射断面積が同一であれば、106MHz,100kWと3.3GHz,25kWでは、後者の探知可能距離は、前者の1/10程度になる。SCR-270は陸上設置であるのに対して、AI Mk VIIIは機上レーダーで、アンテナ性能が同一ではないだろうけど、オーダーとしては合っている。Wikipediaによれば、『二二号電探の性能は、波長10cm、出力2kW、重量1,320kg、戦艦を35km、駆逐艦を17km、潜水艦の潜望鏡を5kmで発見する能力を持っていた』とあり、艦船は航空機より、反射断面積が大きいため、このような値なのだろうと思われる。


航空機に搭載する機上レーダーの場合は、小型・軽量化を要する。例えば、22号電探は、1t以上あり、"超短波警戒機乙"はもっと重い。以下は、初期の機上レーダーのリスト
・AI Mk IV(イギリス、1940年実戦投入):ピーク出力10kW、周波数200MHz、重量90kg
・AI Mk VIII(イギリス、1941年実戦投入):ピーク出力25kW、周波数3GHz、重量不明
・AI-10、SCR-520(英米、1941年完成):ピーク出力50kW、周波数3GHz、重量270kg
・FuG202(ドイツ、1941年7月に試作機完成):ピーク出力1.5kW、周波数490MHz、重量70kg
・Gneiss-2(ソ連、1942年末のスターリングラード戦で使用されていた?):ピーク出力10kW、周波数200MHz、重量不明(500kg?)
・H-6電探(日本、1942年5月試作機完成):ピーク出力3kW、周波数150MHz、重量110kg。総生産台数2000台
・タキ一号(日本、1943年3月試作機完成):ピーク出力10kW、周波数200MHz、重量150㎏。超短波警戒機乙の軽量版

アンテナについて。レーダーに使われるアンテナも用途や周波数で、色々使い分けられていた。マイクロ波領域では、パラボラアンテナかホーンアンテナが多いっぽい。"22号電探"は、ホーンアンテナで、ウルツブルグレーダーやSCR-584は、パラボラアンテナ。超短波領域では、ダイポールアンテナを並べたアレイアンテナが多いように見える。例外として、超短波機上レーダーでは、八木アンテナが使用されていた。多分、コンパクトな割にアンテナ利得が高いからじゃないかと推測する。H-6電探は初期には、八木アンテナでは何やら問題があって、ダイポールアンテナを使っていたらしい。機上レーダーも、周波数が3GHzとかになってくると、パラボラアンテナが使用されていたよう(AI Mk VIIIなど)。もうひとつ例外として、イギリスのSLCレーダーも八木アンテナだったらしい。これは、日本軍の技術者が八木アンテナを知らなかったという伝説で引き合いに出されるレーダーだけど、八木アンテナを採用した理由は分からない


[11] 電磁砲(レールガン、コイルガン、etc.)
現在でも、レールガンやコイルガンは、競合手法(古典的な火薬式の銃)に比べて劣っているとされ、知る限りでは全く使われていない。熱力学的には、銃火器は一種の熱機関ともいえ、そういう視点で見れば、電磁砲と銃火器の競合は、電動機と熱機関の戦いの一種とも言える。蒸気機関の多くは電動機に置き換わったし、一度は内燃機関に敗北した自動車業界でも電気自動車が復活しつつあるので、いつか、銃業界でも、電磁砲が主流になることもあるかもしれない。火薬式の銃火器には700年くらいの歴史があって、無数の改良がなされてきたわけだし


1844年に、"Benningfield's electric gun"の広告というのがあるそうであるが、経緯なども不明。1900年に、ノルウェーの物理学者Kristian Birkelandが、『電磁力で砲弾を飛ばす電磁砲(コイルガン)の特許をえて、デモンストレーションを行った』らしいので、歴史上初の電磁砲と言えるっぽい

Kristian Birkeland

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%93%E3%83%AB%E3%82%B1%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89


以下の論文で、電磁砲全般に関する比較的最近のレビューがされている
Advanced Concepts of the Propulsion System for the Futuristic Gun Ammunition
http://publications.drdo.gov.in/ojs/index.php/dsj/article/view/2279