竹中曉という(無名の)数学者のこと

表現論と信号処理
https://m-a-o.hatenablog.com/entry/2019/04/01/221232

で、「Laguerre関数のFourier変換は、Wiener rational functionと呼ばれることがある」(正確には、Fourier変換の積分区間は実数全体だけど、Laguerre関数の定義域は非負実数全体なので、後者に合わせることに注意)と書いたけど、これが、Malmquist-Takenaka systemという名前で呼ばれてることもあるのに気付いた。正確には、Malmquist-Takenaka systemは、(複素単位円周上の)直交有理関数系の総称で、Laguerre関数のFourier変換は、その特殊ケースに過ぎないようだけど。


MalmquistもTakenakaも聞いたことない数学者で、Wikipediaでも、それらしい人は見つからない。Malmquistという人は1926年に

Sur la determination dune classe de fonctions analytiques par leurs valeursdans un ensemble donne de poits

という論文を書いたようだけど、電子化されたデータを見つけることができなかった。一方、Takenakaの方は、明らかに日本人っぽい名前だけど、J-stageで論文を見つけることが出来た。

On the Orthogonal Functions and a New Formula of Interpolation
https://doi.org/10.4099/jjm1924.2.0_129

というのがそれで、フルネームは、Takenaka Satoruというらしいが、漢字は分からない。所属は、Siomi Instituteとなっていて、塩見理化学研究所のことだろう。当時の所長は小倉金之助という数学者だったはず。小倉金之助は補間理論とかやってた人で、"Shannonのサンプリング定理"を最初に証明した人と見なされる場合がある。研究テーマ的には、小倉金之助とTakenaka Satoruは、かなり近かったのかもしれない。


J-stageで検索すると、Takenaka Satoruは、1923〜1933年に、30本ほど論文を書いているっぽい。名字の漢字表記は、"竹中"だろうと思って、1920〜30年あたりで全文検索すると、1929年の日本数学物理学会誌の中にある

講演アブストラクト (昭和五年度年會に於けるもの) その2
https://doi.org/10.11429/subutsukaishi1927.3.440

に於いて、「10. 竹中曉君: テーラー級數の一擴張に就て」というのが見つかる。J-stage有能。アブストラクトなので詳細な内容は不明だけど、1930年の論文

A Generalisation of Taylor's Series
https://doi.org/10.4099/jjm1924.7.0_187

と同一の内容なのだろう。

実用上の意義はともかく、Takenaka Satoruの論文扱ってるテーマは、所詮は、一変数関数の理論で、重箱の隅をつつくような話題という気もする。当時の雰囲気がどういうものだったかは分からない。その後の数学の主流になるようなテーマでなかったのは確かで、20世紀数学史というものが書かれるようなことがあったとしても、このような内容にページは割かれないだろう。



ともあれ、漢字が「竹中曉」らしいと分かった。1929年の数学物理学会で、「数学に関するもの」に列挙されている発表者は、森本淸吾、森島太郎、守屋美賀雄、正田建次郎、藤原松三郎、掛谷宗一、清水辰次郎 、竹中曉、竹内端三、辻正次、渡邊義勝、南雲道夫、福原滿洲雄、市田朝次郎 、荻原伸次、高須鶴三郎、寺阪英孝 、渡部重勝、福澤三八の19人で、ja.wikipedia.orgに名前が載ってる人は半分くらい。清水辰次郎は、ja.wikipedia.orgには名前が見当たらないけど、de.wikipedia.orgには載ってる。なんでや。角谷静夫は、清水辰次郎の学生の一人だったと書いてある。

Wikipediaに名前がなくても、どこかしらの教授なり所長など社会的地位の高い職に就いた人が殆どのようで、大体は、何らかの情報が得られる。その中で、"竹中曉"は情報が乏しく、生没年すら分からない。

塩見理化学研究所小史
http://hdl.handle.net/11094/8755

には、昭和6年(1931年)の嘱託研究員として、竹中曉の名前が見える(39ページ下段)。


Webcat plusで検索すると1929年に

初等積分方程式
http://webcatplus.nii.ac.jp/webcatplus/details/book/449683.html

という本を出版している。Webcat plusでは、目次を見られるのみだが、国会図書館デジタルコレクションでは、公開されてなかった。国会図書館つかえねー。

初等積分方程式(国会図書館デジタルコレクション)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1128551

まー、いつの日か公開されるだろう。Webcat plusで、他の著書を見ると、1930年代に「中等教育代數教科書」「新制平面幾何學教科書」「新制平面三角法教科書 : 増課」など、初等数学の本ばかりが出てくるので、1930年代初め頃、数学者をやめたのかもしれない。CiNiiでは、名前の読みが、「タケナカ アキラ」となってたりするけど、多分、誤りだと思う。同じ漢字の別人ということはないだろう。最後の本は、1938年で、それ以後はない。戦争に派兵されて戦死したのかもしれないけど、定かではない。


Google scholarで検索した所、Mamlquist-Takenakaという名前が最初に出てくるのは、1974年の論文

BIORTHOGONAL SYSTEMS OF RATIONAL FUNCTIONS AND BEST APPROXIMATION OF THE CAUCHY KERNEL ON THE REAL AXIS
http://dx.doi.org/10.1070/SM1974v024n03ABEH001918

に於いてだった。著者は、 M M Džrbašjanという人で、当時のソ連圏の人っぽいけど、何者なのかは分からない。Abstract冒頭に

This system is a direct transference from a disk into a half-plane of the well-known orthogonal Malmquist-Takenaka system.

と書かれてるが、本当にwell-knownだったのかは疑問。原文はロシア語らしいので、ソ連では、よく知られてたのかもしれないけど。


Google booksで検索した所、Joseph Walshの1935年の本

Interpolation and Approximation by Rational Functions in the Complex Domain
https://books.google.co.jp/books/about/Interpolation_and_Approximation_by_Ratio.html?id=Pyz3AwAAQBAJ&redir_esc=y

でも、MamlquistとTakenakaに言及があるっぽい。オープンアクセスになってるのは見つからなかったし、買って読む気にはならないので詳細は分からない。Walshは、(MalmquistやTakenakaに比べると)そこそこ有名な解析学者なので、この本を通じて、無名の2人の数学者の名前が残ったことは、ありそうに思える。


ところで、Takenakaの論文や、Walshの本には、特にLaguerre関数への言及はない。彼らは、直交有理関数系の一般論を考えていたけれど、その具体例として、Laguerre関数のFourier変換があることは認識してなかったように思われる。

Wienerが、このタイプの有理関数を書いたのは、

Extrapolation, Interpolation, and Smoothing of Stationary Time Series: With Engineering Applications
https://doi.org/10.7551/mitpress/2946.001.0001

という本のようで、元々は二次大戦中の1942年に書かれたものらしい。オープンアクセスになってるものは見つからなかったが、目次を見る限り、Laguerre関数への言及があり、Amazonでコンテンツの検索をした限りでは、"Malmquist"も"Takenaka"も引っかからなかった。


Lagurre関数のFourier変換を考えた文献として、Lee Yuk-Wingという人の博士論文がある。

Synthesis of electric networks by means of the Fourier tansforms of Laguerre's functions
https://dspace.mit.edu/handle/1721.1/104477

Lagurre関数のFourier変換は、31ページで計算されている。このD論は、1930年付けになっているので、Walshの本より前のもの。

Lee Yuk-Wingという人は、名前を聞いたことがなかったけど、Wikipediaにも名前が載っている。それによると、マカオ生まれで、漢字では、李郁榮と書くらしい。MITで学位取得後、一旦は中国へ帰ったが、二次大戦後、MITに戻り、Wienerと長い間、一緒に仕事をしたそうだ。D論の謝辞にも

Dr. Wiener has contributed profusely to the mathematical theory of this research.

とWienerの名前が挙がっている。Leeの専門は、電気工学で、解析学者たちとは異なる動機から、Laguerre関数のFourier変換を考え、Wienerも、そのことを知っていたのだろう。

謝辞の冒頭に来てるのは、Vannevar Bushで、多分、Leeの指導教官なんだと思う。BushとWienerは、MIT繋がりで知り合いだったそうだ。

そんなわけで、Laguerre多項式のFourier変換/"Wienerの有理関数"は、Leeの有理関数か、Lee-Wienerの有理関数と呼ぶのが適切っぽい。




ついでに、Laguerre多項式とHermite多項式は、それぞれLaguerreの1879年の論文、Hermiteの1864年の論文に由来するそうだが、どちらの直交多項式も、Chebyshevの1859年の論文に書かれている。その論文は、Œuvres de P. L. Tchebychef, 第1巻の501〜508ページに収録されていて、Google booksで読むことが出来る。

Sur le développement des fonctions à une seule variable
https://books.google.co.jp/books?id=V8RJAQAAMAAJ&pg=PA501

Lagurreの論文は、以下で公開されている全集1巻の428〜437ページに収録されてる。

Edmond Nicolas Laguerre - Œuvres complètes, tome 1
http://sites.mathdoc.fr/cgi-bin/oetoc?id=OE_LAGUERRE__1

Laguerreは、ある種の指数積分(今日では、E_1関数、s=0の不完全ガンマ関数などと呼ばれてるもの)を考察する中で、Laguerre多項式を発見したっぽい。この積分を考えた動機は分からないけど、印象的な恒等式を見つけるのが目的ではなく、特殊関数の数値計算のためのありふれた研究の一つだったんだろう。


Hermite多項式の方は、もっと古く、本質的には、Laplaceによって1810年には発見されてたらしい。
Pierre-Simon Laplace - Œuvres complètes, tome 12
http://sites.mathdoc.fr/cgi-bin/oetoc?id=OE_LAPLACE__12
の357〜412ページ"Mémoire sur les intégrales définies et leur application aux probabilités, et spécialement à la recherche du milieu qu'il faut choisir entre les résultats des observations"が該当論文らしいが、implicitに表れてるだけで、分かりにくい。なんか確率論の問題を考えてる。

詳細は読んでないけど、この中で、Laplaceは、今ではFokker-Planck方程式と呼ばれている偏微分方程式と同一の偏微分方程式
\dfrac{\partial U}{\partial r'} = 2 U + 2 \mu \dfrac{\partial U}{\partial \mu} + \dfrac{\partial^2 U}{\partial \mu^2}
を書いている(377ページ)。

Laplace and the origin of the Ornstein-Uhlenbeck process
https://doi.org/10.3150/bj/1178291723
に、解説がある。Laplaceによる導出は、100年以上に渡って正当化されず、批判されていたそうだ。

Laplaceの論文より数年前の1807年に、"Mémoire sur la propagation de la chaleur dans les corps solides"で、Joseph Fourierは、確率論とは何の関係もなさそうな熱伝導の問題から、(多分)初めて熱方程式を書いた。"random walk"と熱方程式を同時に取り上げた最初の文献は、多分、Bachelierの1900年の論文と思われる。Fourierの1807年の論文は、以下で読める。

Joseph Fourier - Œuvres complètes, tome 2
http://sites.mathdoc.fr/cgi-bin/oetoc?id=OE_FOURIER__2


(線形)発展方程式の一般論は20世紀に整備された。"発展方程式"という呼称を最初に使ったのは、L.Schwartzだそうだ(勿論、フランス語で)。Laplaceの時代には、議論の見通しはよくなかっただろう。Laplaceの発展方程式を解くのは、量子調和振動子シュレディンガー方程式を解くのと、数学的には等価なので、今では大学一年生の演習問題レベルである。Laplaceの発展方程式は、生成作用素の固有関数が
h_n(\mu) = (-1)^n e^{\mu^2} \dfrac{d^n}{d \mu^n} (e^{-\mu^2})
を使って書ける。実際、
\left( \dfrac{d}{d \mu} + 2\mu \right) (e^{-\mu^2 h_{n+1}}) = e^{-\mu^2} h_{n+1}' = 2(n+1)e^{-\mu^2} h_n
\dfrac{d}{d \mu} (e^{-\mu^2} h_n) = -e^{-\mu^2}(2\mu \cdot h_n - h_n') = -e^{-\mu^2} \cdot h_{n+1}
から、
\left( \dfrac{d^2}{d \mu^2} + 2 \mu \dfrac{d}{d\mu} + 2 \right) (e^{-\mu^2} \cdot h_n) = -2n (e^{-\mu^2} \cdot h_n)
となる。LaplaceがHermite多項式に到達した理由は、このように理解できる。特に、この偏微分方程式の基本解が、Hermite関数によって展開できる。現在、Fokker-Planck方程式の基本解は、Mehler kernelと呼ばれることがある。


Mehler kernelは、1866年に、Mehlerが
Ueber die Entwicklung einer Function von beliebig vielen Variablen nach Laplaceschen Functionen höherer Ordnung
http://www.digizeitschriften.de/dms/resolveppn/?PID=GDZPPN002152975
で書いたもので、確率論とは異なる動機から、この基本解を考えたっぽい。Mehlerは、
2 \rho \dfrac{\partial E}{\partial \rho} - 2x \dfrac{\partial E}{\partial x} + \dfrac{\partial^2 E}{\partial x^2} = 0
という偏微分方程式の"基本解"を導いた。\rho=e^{-t}と変数変換すれば、発展方程式の形になる。Mehlerは基本解を計算しただけでなく、Hermite多項式によって展開している。

上の解説によれば、Fokker-Planck方程式の基本解を明示的に書いた初期の人は、Markov(1915)らしい。この時期には、ブラウン運動と関連して、Fokker-Planck方程式が様々な人に研究されてたようなので、同様の結果に到達していた人は、他にもいたかもしれない。

いずれにしても、Hermite多項式は、複数の人が独立に発見したので、20世紀初頭のロシア人(MarkovやSteklov)は、Hermite多項式Laplace-Chebyshev-Hermite多項式と呼んだこともあったそうだ。けれど、長いせいか、世界的には、Hermite多項式で定着してしまっている。