仮想"ピサの斜塔"実験

ガリレオピサの斜塔の実験に関する最古の記録は、ガリレオの弟子Vincenzo Vivianiが1650年代に書いて、1717年に出版された本にあるものらしく、事実に基づくものではないという意見もある。それはそれとして、
Science Secrets: The Truth about Darwin's Finches, Einstein's Wife, and Other Myths
https://books.google.co.jp/books?id=sjO0eX9PCykC&pg=PA7
という本によると、高所からの自由落下実験は、ガリレオの生きてた時代に、多くの人が実際に行っていた。ガリレオが生まれるより遥か前の1544年時点で、Benedetto Varchiが実験を示唆したとも書いている。1~2メートル程度の高さから、2つの物体を落としてみる程度なら、記録に残ってなくても、実際に試した人は沢山いたと思われる。

また、記録に残っている実験として、以下のような事例があげられている。
(1) 1576年に、パドゥア大学の教授(ガリレオの前任だったらしい)Giuseppe Molettiは、同一の素材で、重さの異なる物体が、同時に地面に着くのを確認したそうだ。実験条件の詳細は書かれてない
(2) (正確な時期は不明だが、おそらく1580年代に)Simon Stevinは、(John Grotiusという人物と共に)高さ約30フィート(10メートルくらい)から、重さが10倍異なる鉛の球を落として同時に着地した
(3) 1612年に、ピサ大学の教授Giorgio Coresioが、ピサの斜塔から自由落下実験を行い、アリストテレスが正しいことを"証明"した。実際に落とした物体の素材、寸法は不明
(4) 1641年に、ピサ大学の教授Vincenzo Renieriが、ピサの斜塔から落下実験を行い、鉛と木のボールでは、少なくとも3キュビト(約1.5メートル?)の差があり、カノン砲弾とマスケット銃弾サイズの鉛の球では、1パーム(7cmくらい?)の差があった。これは、ガリレオへの手紙に書かれてるそうだ

Stevinの実験は、著書De beghinselen des waterwichts(1586)の66ページに記載されている。

Laet nemen (soo den hoochgheleerden H. IAN CORNETS DE GROOT vlietichste ondersoucker der Naturens verborghentheden, ende ick ghedaen hebben) twee loyen clooten d'een thienmael grooter en swaerder als d'ander, die laet t'samen vallen van 30 voeten hooch, op een bart oft yet daer sy merckelick gheluyt tegen gheven, ende sal blijcken, dat de lichste gheen thienmael langher op wech en blijft dan de swaerste, maer datse t'samen so ghelijck opt bart vallen, dat haer beyde gheluyden een selve clop schijnt te wesen. S'ghelijcx bevint hem daetlick oock also, met twee evegroote lichamen in thienvoudighe reden der swaerheyt, daerom Aristoteles voornomde everedenheyt is onrecht.

古いオランダ語のようで、Googleで翻訳しても辛いけど、"30 voeten"が30フィートで、thienvoudigheがtenfoldらしい。

この本は、他2つの本De Beghinselen of Weeghconst及びDe Weeghdaetとを合わせて、3つの著書を、まとめて一冊として出版されたそうで、"De Beghinselen of Weeghconst"に記載されてると書いてある場合もあり、Google booksでの著書名は、De beghinselen der weeghconstになっている。

De beghinselen des waterwichts (from archive.org)
https://archive.org/details/ned-kbn-all-00011058-003/page/n71/mode/2up

De beghinselen der weeghconst (from Google books)
https://books.google.co.jp/books?id=O6BmAAAAcAAJ&pg=RA3-PA66


真空中で実験すれば、本当に同時に落下するものと思われるが、当時の実験結果はバラバラで、むしろ後の時代に行われた実験の方が、「同時には落下しない」という結論になっている。おそらく、16世紀くらいには、それほど高くない位置からの落下実験を行っていて、落下時間の差が見えにくかったのだろう。時代が下ると、徐々に落下開始高度が大きくなって、落下時間の差がはっきり確認できる程度に大きくなったと思われる。ピサの斜塔の高さは57メートルだそうで、大阪城とほぼ同じだけど、現代で、こんな実験をすると怒られるので、代わりに計算する。

実験に使用した落下物のサイズについて、Renieriの実験条件くらしか手がかりがない。マスケット銃の弾丸直径は、1~2cmのことが多い。カノン砲弾については、例えば、16世紀のカルバリン砲は、大体、砲弾の大きさが10cm前後だったらしい(Wikipedia情報)。鉛の密度は、11340(kg/m^3)なので、直径10cmでも、重さ5~6kgくらいになる。塔の天辺に持ち運ぶことや加工の手間を考えても、このへんが限界だろう。当時は、弾丸形状が球だったので、実験のためだけに金属球を作成するより、銃弾や砲弾を、そのまま使った可能性もある。
cf)Culverin
https://en.wikipedia.org/wiki/Culverin

落下距離が57メートルだと、最終速度は40(m/s)にも到達しない。それでも時速100キロとかなので、見た目には相当速いはずだけど。長さと速度のオーダーから、レイノルズ数は、10^5前後と見積もられる。この領域では、空気抵抗は、速度の2乗に比例すると近似して問題ないだろう。球体の抗力係数C_dは、Wikipediaによると、0.47らしいので、この数値を使うことにする。

厳密に言えば、この抗力係数は、等速運動する時の物で、自由落下によって加速し続けている時の抗力と同一視するのは正しくないかもしれない。非定常抗力についても古くから論文はあるけど、良いデータが見つからないし、抵抗係数自体が、このモデルに基づいて決定されてたりするので、そこまで酷い結果にはならないと考えることにする。

速度をvとして、運動方程式
\dfrac{dv}{dt} = g - k v^2
になる。gは、重力加速度で、k=\dfrac{1}{2} \rho_{air} C_{d} S / mで、\rho_{air},S,mは、空気の密度、球の断面積、球の質量。球の半径をRとすると、S= \pi R^2。初期条件はv(0)=0としておく。

終端速度v_f = \sqrt{\dfrac{g}{k}}と時定数\tau = \dfrac{1}{k v_f} = \dfrac{1}{\sqrt{kg}}を定義しておくと
\dfrac{dv}{dt} = -k(v - v_f)(v + v_f)
なので、簡単に積分できて
v(t) = v_f \tanh(\dfrac{t}{\tau})
になる。時間tで積分すると、落下距離は
h(t) = v_f \tau \log( \cosh(t/\tau) )
となる。

正実数xが十分大きいとき、
\log(\cosh(x)) = \log(e^{x}+ e^{-x}) - \log(2) \approx x - \log(2)
なので、非常に長い時間経過の後には、
h(t) \approx v_f \tau \left( \dfrac{t}{\tau} - \log(2) \right)  = v_f t - \dfrac{\log(2)}{k}
で、落下距離は、終端速度と経過時間の積で見積もれるという直感的に正しそうな結果が得られる。


球体の素材は、鉛か木が多い。木材は多孔質材料で、そのことが(空気抵抗などに)どういう影響を及ぼすか分からないので避けたいけど、歴史を変えることはできないので仕方ない。ここでは、多孔質性に起因する効果は全部無視する。鉛の密度は11340(kg/m^3)として、木の密度は種類によって幅があるが、1000(kg/m^3)としておく。空気の密度は、1.293(kg/m^3)とする。球体の密度を\rhoとするとk = \dfrac{3 \rho_{air} C_{d}}{8 R \rho}になる。

で、半径と素材ごとに、高さ57メートルの落下時間Tを計算すると、以下のようになる。

半径 素材 v_f(m/s) τ(s) T(s)
10cm 鉛  221 22.53 3.42
5cm 156 15.93 3.42
5cm 46 4.73 3.58
2cm 99 10.08 3.44
1cm 70 7.13 3.47
1cm 21 2.12 4.14

これに基づいて比較計算すると
半径1cmの鉛球と10cmの鉛球だと、後者が着地する時点で、前者は、2メートルくらい上空にいる計算になる。
半径1cmの鉛球と2cmの鉛球だと、後者が着地する時点で、前者は、1メートルくらい上空にいる計算。
半径5cmの木球と5cmの鉛球だと、後者が着地する時点で、前者は、4.5メートルくらい上空にいる計算。

Renieriの観察よりも差が大きく、定量的な一致は良くないけど、理由は不明。実験条件も曖昧なので、計算の仮定がまずいのかもハッキリしない。とはいえ、概して、鉛球同士よりも、鉛球と木球の方が差が大きいという定性的な傾向は合ってる。ピサの斜塔天辺から自由落下実験をやると、同着とは判定できない程度の差が出る可能性があると言っていいだろう。

一方、高さ10メートルからの自由落下の場合、半径1cmの鉛球と2cmの鉛球を使う(重さは8倍違う)と、後者の着地時点で、前者は4cm上空にいるだけという計算になるので、Stevinが同着と判断したのは、仕方ない程度の差であると言える。



というわけで、高所からの自由落下実験は、ガリレオが実際に行っていたとしても、別に先駆者ではない。(短時間では)落下距離が時間の二乗に比例するという近似則については、どうかというと、少なくとも、ガリレオが得ていた重力加速度の数値は非常に酷い。天文対話(1632年)の中で、月から物体を落とすと、3時間22分4秒かかるだろうと書いている。このことから、(月と地球の距離を大幅に誤認していたのでない限り)重力加速度を5.2(m/s^2)程度と見積もってたことになる。

月と地球の距離を(Googleが教えてくれる通り)384400kmとして、この距離を一定加速度9.8(m/s^2)で移動するには、2時間27分37秒程度かかる。1633年のメルセンヌの計算では、2時間29分14秒だそうで、こっちは、かなり正確っぽい。メルセンヌ(1588~1648)は、実際に多くの実験をした人のようで、(空気中では)自由落下距離が時間の2乗に比例しないことにも気付いてたようだ。

実際は、地表から遠く離れれば、地球から受ける重力は弱くなるが、ガリレオメルセンヌの時代には、このことは明確には知られてなかったし、彼らが、そのような可能性を想定したかも分からない。1666年に、Robert Hookeは、物体が地球から受ける重力が、地球中心からの距離に応じて、どの程度減少するか実験的に決めようとしたが無理だったと述べている。


ガリレオは、「天文対話」の一日目で、斜面を転がるボールと、自由落下するボールを比較して、斜面の傾きが\thetaとすると、高さhを落下する間に、斜面をd=h \sin \thetaだけ移動するという旨のことを書いている(数式は使ってないけど)。

同様の議論は、1638年の新科学対話の3日目でも行われてる。
Dialogues concerning two new sciences
https://archive.org/details/dialoguesconcern00galiuoft/page/184/mode/2up

ボールを転がす場合、剛体を回転させる分のエネルギーも必要なので、ガリレオの予測通りにはならないはず。これが、ガリレオの過小評価した重力加速度と整合的になる可能性もあるので、どのくらい正しくないか計算してみる。上の自由落下実験に比べて、低速度、短距離の状況を考えるので、以下では空気抵抗は無視する。

質量をm、回転軸周りの慣性モーメントをIとして、重心の斜面方向の移動速度をv、剛体回転の角速度を\omegaとすると、運動エネルギーは
K = \dfrac{1}{2} m v^2 + \dfrac{1}{2} I \omega^2
で、摩擦や空気抵抗を無視すれば、運動エネルギーと位置エネルギーの和は等しい。ボールの半径をRとして、滑りがないという条件を課すとv=R\omegaなので
K = (\dfrac{1}{2}m + \dfrac{1}{2} \dfrac{I}{R^2}) v^2
になる。

球体の場合、I = \dfrac{2}{5} m R^2なので、
 K = \dfrac{7}{10} m v^2
になる。ボールの移動距離をd=d(t)として、散逸がなければ、運動エネルギーと位置エネルギーの総和は一定になるから
\dfrac{7}{10} m v^2 = m g d \sin \theta
で、一方、移動距離の微分が速度なので、d'(t)=v(t)となり、微分方程式が得られる。これを解くと、
v(t)=\dfrac{5}{7}(g \sin \theta) t
d(t) = \dfrac{5}{14}(g \sin \theta) t^2
と求まる。t = \sqrt{\dfrac{2h}{g}}の時は、d = \dfrac{5}{7} h \sin \thetaになる。ガリレオの予測の70%くらい。

内部が詰まった円筒の場合は、I = \dfrac{1}{2} m R^2で、d = \dfrac{2}{3} h \sin \thetaとなり、予測移動量の67%。

また、内径がaの中空円筒の場合は、I = \dfrac{1}{2}m(a^2+R^2)で、d = \dfrac{2R^2}{3R^2+a^2} h \sin \theta。特に、a \to Rで、d \to \dfrac{1}{2} h \sin \thetaで、最悪、50%の移動量。

The Role of Numerical Tables in Galileo and Mersenne
https://doi.org/10.1162/106361404323119862
によると、メルセンヌは、斜面を転がす実験も追試してて、転がる距離は、ガリレオの記述より顕著に短いのを確認したと書いている。細かい数値の記載はないらしいので、上の計算が合ってるのかは知らない。