西暦189X年、不変式論は核の炎に包まれた

DieudonnéとJames B Carrellという人の1970年の論説

Invariant theory, old and new
https://doi.org/10.1016/0001-8708(70)90015-0

の冒頭に

Invariant theory has already been pronounced dead several times, and like the phoenix it has been again and again rising from its ashes.

という一節があって、不変式論の文献で引用されてるのを、よく見かける。

最近、たまたま紀伊國屋数学叢書の「不変式論」(1977年)を立ち読みしたところ、前書きの冒頭に、これが引用してあって、「歴史的事実を述べたものというより、何か本質的なものに触れた感動と見るべきだろう」(買わなかったので、うろ覚え)みたいなことが書いてあって、この本の出版以後に誕生した身としては、普通に歴史的事実だと思ってたので、違うんかい!という気持ちになって、少し調べてみることにした。


Dieudonnéらの論説では、冒頭の言葉の少し後に、

But Hilert's success also spelled the doom of XIXth Century invariant theory, which was left with no big problems to solve and soon faded into oblivion.

The first revival was prompted by the developments (I. Schur, H. Weyl, E. Cartan) of the global theory of semi-simple groups and their representations around 1935, when it was realized that classical invariant theory was really a special case of that new theory; this was clearly shown in H. Weyl’s famous book “Classical Groups,” but again a lack of outstanding problems was probably the reason why important new developments failed to materialize after the publication of that book. Only very recently have new stirrings of life been perceptible again; this is mainly due to the work of D. Mumford, (...)

とある。Hilbert,Weyl,Mumfordを節目とする、これもよく見る話ではあるが、Dieudonnéらの論説には、Hilbertのfiniteness theoremの後、誰かが不変式論は終わったとか言った/書いたみたいな具体的事象は書かれてない。


Hilbertが、不変式論を殺したという伝説は、Weylの本"The Classical Groups"にも書かれている。Chapter IIの第1節に

Here there is only one man to mention -- Hilbert. His papers (1890/92) mark a turning point in the history of invariant theory. He solves the main problems and thus almost kills the whole subject. But its life lingers on, however fiickering, during the next decades.

と書いてあって、この本は有名なので、多くの人が、この記述を歴史的事実と認識して普及したとしても不思議ではない。

しかし、Dieudonnéの記述だと、本当にHilbertで完全に終わったという印象を受けるけど、Weylは、その後、数十年、不変式論は続いたとも書いている。Weylは、Hilbert以後の重要な仕事を行った数学者として、HurwitzとYoungに言及した後、以下のように書いている。

In recent times the tree of invariant theory has shown new life, and has begun to blossom again, chiefly as a consequence of the interest in invariant-theoretic questions awakened by the revolutionary developments in mathematical physics (relativity theory and quantum mechanics), but also due to the connection of invariant theory with the extension of the theory of representations to continuous groups and algebras.

Dieudonnéの記述にある"first revival"は、この記述に基づくものだろう。



まず、Hilbertが不変式論を終わらせたかどうかについてだけど、そもそも、Hilbert自身が1900年に、Hilbertの第14問題を提起しているので、1900年頃のHilbertの認識としては、不変式論に、もうbig problemは残ってないなどと思っていなかったんだろう。

Hilbertの1890年の論文
Über die Theorie der algebraischen Formen
https://doi.org/10.1007/BF01208503
は、記号や名前が現代と違いすぎて、条件がよく分からないけど、SL(n)に限ったものと思われる。SL(2)に対して、Gordan(1868)が示した結果を、一般次元の特殊線形群に拡張したのがHilbertの結果で、Hilbertの第14問題は、この結果を、更に一般の群に拡張することを提起している。

Hilbertの証明に於いて、Reynolds作用素の利用は、本質的だったが、Hilbertは、CayleyのΩ-processというもの(Hilbert自身が、多分、Cayleyの構成を一般化して、命名したらしい)を使用した。私には、この方法は、イマイチよく分からない(例えば、他の群に一般化できるものか分からない)けど。不変式論は、環論と群論が交差する分野で、1900年の時点では、群論の方が全然十分でなく、SL(n)の場合ですら、一般の表現空間上の多項式環に対して、Reynolds作用素の存在を示せていたわけではない。

Reynolds作用素は、イギリスの工学者Osborne Reynoldsに由来するそうで、流体力学のReynolds平均との類似から来ているらしい。代数学で、Reynolds作用素という名前が使われるのは1960年代からっぽい。当時、何らかの群作用による平均化が満たすべき性質を抽象化して、Reynolds作用素を定義していた。Hilbertは、このような形で、Reynolds作用素を構成したわけではない。


完全可約性が言えればReynolds作用素の存在は従い、複素簡約群の完全可約性は、基本的にWeylによるものだが、Armand Borelによる本

Essays in the history of Lie Groups and Algebraic Groups
https://bookstore.ams.org/hmath-21/

のChapter IIを読むと、このへんの歴史は、多少込み入っているっぽい。

Borelによれば、SL(2)の既約表現を決定したのは、Sophus Lieで、その定式化は、現代とは異なっており、射影空間上の射影変換を分類するという形だったようだ。この結果は、LieとEngelの1893年の著書"Theorie der Transformationsgruppen III,"にあるそうで、その中で、Eduard Studyが完全可約性を示していると書いているが、実際には、Studyの証明は、正しくないとBorelは書いている(私は、全て未確認)。また、Studyは、SL(n)の完全可約性も予想していたが、証明できなかったようだ。

そういった話とは無関係に、1898年に、アメリカの数学者E.H.Mooreは、(現代の言葉では)有限群の任意の有限次元表現がユニタリ化可能であることを証明した。これは、Alfred Loewyが証明なしに述べていたものらしい。
An universal invariant for finite groups of linear substitutions: with application in the theory of the canonical form of a linear substitution of finite period
https://doi.org/10.1007/BF01448062

そして、これを元に、1899年、Maschkeが有限群の表現の完全可約性を示した。
Beweis des Satzes, dass diejenigen endlichen linearen Substitutionsgruppen, in welchen einige durchgehends verschwindende Coefficienten auftreten, intransitiv sind
https://doi.org/10.1007/BF01476165

Mooreの不変内積の作り方は、群の作用で平均化するだけなので、Reynolds作用素の作り方と、殆ど同じである。これらは(現代的には)表現論の論文であって、MooreもMaschkeもReynolds作用素を書いてはいない。

一方、1897年のHurwitzの論文
Über die Erzeugung der Invarianten durch Integration
https://doi.org/10.1007/978-3-0348-4160-3_38
には、Summaryで、有限群の場合のReynolds作用素の構成が、当たり前のように書かれている。

Borelは、

For Moore it was an application of a "well-known group theoretic process".

と書いてるので、このような構成は、割と常識に近いものだったのかもしれない。

Hurwitzの1897年の論文は、WeylがHilbert以後の重要な仕事の一つとして言及したもので、SL(n,C)とSO(n,C)の自然表現(上の多項式環)に対して、Reynolds作用素を構成している。その方法は、極大コンパクト部分群に対して、不変測度を構成して、極大コンパクト部分群の作用について平均化するというもので、後に、Weylのユニタリー・トリックと呼ばれるようになった手法を発明している。

以下のようなHurwitzの論文の解説も存在する。
A. HURWITZ AND THE ORIGINS OF RANDOM MATRIXTHEORY IN MATHEMATICS
https://arxiv.org/abs/1512.09229

Hurwitzの論文は、以下のような内容を含んでいると言っていいだろう
(1)Reynolds作用素の新しい構成
(2)コンパクト群上の不変積分の構成
(3)ユニタリー・トリック


Borelが注意しているように、Hurwitzの方法と、Maschkeの方法を組み合わせれば、Studyが予想していたSL(n,C)やSO(n,C)の有限次元表現の完全可約性を証明することができたはずだが、1925年にWeylが論文を書くまで、誰もやらなかった。Cartanは、全く異なる動機から、半単純Lie環の表現論(最高ウェイト理論)を完成させていたが、どうも、完全可約性を示さねばならないということは見落としていたらしい。

話は逸れるけど、調べている時に、Noetherが、1916年に有限群の不変式環の有限生成性を示したと書いてあるのを見たけど、該当論文

Der Endlichkeitssatz der Invarianten endlicher Gruppen
https://doi.org/10.1007/BF01456821

は、不変式環を生成するのに絶対必要な次数を評価している。従って、原理的には、この次数までの全ての単項式にReynolds作用素を適用すれば、不変式環の生成元が計算できることになり、極めて効率は悪いものの、構成的な証明になっている。この論文は、実質的に、有限群の不変式環を計算するアルゴリズムを与えたのが成果というべきだと思う。


HurwitzやMaschkeの結果から、Weylの完全可約性定理まで25年以上かかってるけど、Hurwitzの論文は不変式論のもので、MooreやMaschkeの論文は、表現論のものなので、この2つのテーマを、あまり関連付けて考える人がいなかったのかもしれない。

(一般的に表現論の開祖ということになってる)FrobeniusやMolienは、1890年代に、不変式論の研究もしているけど、いつ頃から、表現論の不変式論への応用が意識されてたものかは、よく分からない。Weylの本では、Hilbert以後、不変式論で重要な仕事をした数学者にHurwitzとYoungを挙げていて

in England A. Young, working more or less alone in this field, obtains far-reaching rrsults on the representations of the symmetric group and uses them for invariant-theoretic purposes (1900 and later)

と書いているので、表現論を不変式論へ応用するという視点は、Youngにはあったらしい。Hurwitzの論文の重要性は分かるけど、Youngについては、対称群という特別な対象の研究という以上に、この点を評価したのかもしれない。

1920年代には、Schurも不変式論に関する論文を書いている。例えば、1922年の論文

Über eine fundamentale Eigenschaft der Invarianten einer allgemeinen binären Form
https://doi.org/10.1007/BF01494384

では、SL(2)の古典的なn次二元形式に対するSL(2)作用を考えて、この表現空間((n+1)次元既約表現と同値)上の多項式が不変式であることと、そのLie環の作用が消えることの同値性を証明している。

多分、主な結果は「SL(2)の(n+1)次元既約表現空間上の(定数でない)不変式fを一つ取った時、fのstabilizerは、fが二次不変式の冪でなければ、SL(2)になる」という定理1の結果っぽい(?)。この手の問題は、arXiv:1309.6611では、”reverse invariant theory"の一種などと書いてある。主定理はともかく、Lie環の作用が、式(4)に、あからさまに書いてあって、(n+1)次元既約表現だということも理解してたっぽい。



数学的な話としては、そんな感じで、Hilbertで不変式論が終わったとは到底言えない。1966年と1967年に、Charles S. Fisherという社会学者が、"不変式論の死"に関する報告を書いている。

The Death of a Mathematical Theory: a Study in the Sociology of Knowledge
https://doi.org/10.1007/BF00357267

The Last Invariant Theorists: A sociological study of the collećtive biographies of mathematical specialiśts
https://doi.org/10.1017/S0003975600001521

Mumfordや幾何学的不変式論の名前は書かれてないけど、前者の論文中に、次のような記述があるので、Fisherは、当時の数学の流れも認識してたらしい。

Eighteen years after WEYL'S book, interest in the subject was again revived. Paraphrasing our mathematician: when people started studying algebraic groups they saw that they could handle some of the old problems; the previous workers simply did not word the problems correctly; in the proper context they can be generalized, the problem is now one of quotient spaces of varieties; no one makes computations any more; the subject, is set within the context of algebraic geometry: and is not called invariant theory, but by its technical name, the quotient space problem for algebraic groups or transformation groups; there are only about a half a dozen people working on this problem.

Fisherの論文は、色々書いてあるのだけど、Conclusionを読むと、以下のように書いてある。

WEYL said that HILBERT almost killed the subject. The present-day researcher sees HiLBERT as having ended the old ways of doing the subject. And the modern algebraists see HILBERT'S work as a turning point in the development of algebra: Invariant Theory is left behind. Yet in contrast, we find that Invariant Theory did not disappear in 1893. Its specialists carried it forward for at least thirty years, making claims for the interest and importance of the theory.

Fisherの記述は、Weylのそれに近く、Hilbert以後、少なくとも30年は専門家が研究を続けたと述べている。

Fisherは、定量的データを示していて、後者の論文に、次のように述べている。

The mathematical review, Jahrbuch über die Fortschritte der Mathematik, has between 40 and 50 entries a year under the heading, "Theorie der Formen," in the 1890s; between 15 and 25 a year in the 1920s; and from 18 scaling down to 4 a year in the 1930s. Throughout this period a number of mathematicians commented on the decline of the theory. Many outside of Invariant Theory looked back on the work of Hilbert as having killed the subject by solving all of its problems. Others, especially those who were working on invariants, saw in Hilbert's results the grounds for further research.

ここに書いてあるJahrbuch über die Fortschritte der Mathematik(Yearbook of the progress in mathematics)は1868〜1942年までドイツで、ほぼ毎年刊行されていた数学雑誌のようで、典型的には、一冊1000ページ近くあるが、他の場所で掲載された論文の簡単な紹介を、数行から、長くても数ページ程度で記述した論文目録のような雑誌っぽい。ドイツ語論文だけでなく、英語・フランス語・イタリア語論文を含んでおり、網羅性は、かなり高いらしい。このジャーナルの一部は電子化されて、オープンアクセスになっている。公式(?)の電子化サイトっぽい

The Jahrbuch Project Electronic Research Archive for Mathematics
https://www.emis.de/projects/JFM/

は使い物にならないので、archive.orgとかで見る。例えば、1905年版は以下にある。

Jahrbuch über die Fortschritte der Mathematik (1905,Band 36)
https://archive.org/details/bub_gb_y9MLAAAAYAAJ/page/n25/mode/2up

Jahrbuch über die Fortschritte der Mathematikは、数学(と物理)全般を扱ってて、1905年には、次のような12のAbschnitt(セクション)に分けられている。1875年の分類と比べても、名称の変更は一部あるものの、全体の構成は変更することなく踏襲されている。
(1)Geschichte, Philosophie und Paedagogik(注:歴史、哲学、教育)
(2)Algebra
(3)Niedere und hoehere Arithmetik(注:Low and High Arithmetic、数論もここに含まれる)
(4)Combinationslehre und Wahrschenlichkeitsrechung(注:組み合わせ論、確率論)
(5)Reihen(注:級数論)
(6)Differential- und Integralrechnung(注:微積分、偏微分方程式論、変分法など)
(7)Functionentheorie(注:関数論。いわゆる複素解析以外に、ガンマ関数、超幾何関数、楕円関数、超楕円関数などの特殊関数論を含む)
(8)Reine, elementare und synthetische Geometrie
(9)Analytische Geometrie(注:20世紀代数幾何の前身みたいな内容)
(10)Mechanik(注:静力学、動力学、流体力学、ポテンシャル論など)
(11)Mathematische Physik(注:分子運動論、表面張力、弾性論、光学、電磁気学、熱力学、気体論など)
(12)Geodaesie und Astronomie, Meteorologie(注:測地学、天文学、気象学)

これらのセクションは、更に、いくつかのKapitel(チャプター)に分かれている。扱ってる内容は、数学教育科学史のようなものから、物理学、統計学まで含んでおり、現代的な分類での数学よりも広範囲に渡る。

物理学に関する論文は(10)(11)(12)に含まれるので、結構多いが、Michelson-Morley実験(1887年)、Hertzの電磁波論文(1888年)とか、本質的に実験の論文だと思うようなのも載っている。Hertzの電磁波実験について、Poincareは複数の論文を書いているが、同誌には、PoincareがHertzの実験に言及した、1891年の3本の論文レビューが掲載されている。Poincareの原論文の一本は、例えば、以下で見れる。
H. Poincaré (1891) Sur la résonance multiple des oscillations hertziennes.
https://henripoincarepapers.univ-lorraine.fr/chp/text/sarasin3.html

統計学に分類されるテーマは、(4)に分類されているっぽい。例えば、1898年には、PearsonやGaltonの論文が複数収録されている。この年は、"chance or vitalism"と題された論文が、いくつか、ここに含まれているが、どうも、生命の起源が"偶然"生じたものか、生気論を採用するのかという議論っぽい(化学進化説は、1922年のオパーリンに始まるとされる)。内容が、それほど数学的だったのかは分からない。他に、(ランダムウォークの数学的理論の最初の試みとされる)Louis Bachelierの“Théorie de la spéculation”(1900年)なんかも、(4)に載っている。

新しい分野にも、割と素早く対応してて、セクション12には、1880年代にMathematische Geographie und Meteorologieというチャプターが追加され、1888年から、セクション名にMeteorologieが挿入された。どうでもいいけど、1905年のセクション12のMathematische Geographie und Meteorologieに、H.Nagaoka(長岡半太郎?)、K.Honda(本多光太郎?)という名前が見られる。


1905年のAlgebraのセクションには、3つのチャプターがあり、
(I)Gleichungen, universale Algebra und Vektoranalysis
(II)Theorie der Formen (Invariantentheorie)
(III)Substitutionen und Gruppentheorie, Determinanten, Elimination und symmetrische Funktionen
となっている。この3つのチャプター構成は、原則的には、初期から維持されていて、E.H.Mooreの1898年の論文は、チャプター(III)に載っている。

代数の分野では、1875年には、チャプター(III)のタイトルに"Substitutionen und Gruppentheorie"がなくて、不変式論より前(※)は、代数≒(一変数方程式と連立線型方程式の)代数方程式論だった("代数学の基本定理"という名前に名残が見える)から、19世紀後半の代数の中で、不変式論の存在は、割と大きなものだったようだ。

※)一般的には、不変式論の起源は、George Booleの1840年頃の仕事だとされるので、これに従っている。ただ、よく考えると、「任意の対称式が基本対称式の多項式で書ける」という事実は、18世紀には知られていて証明されていた(Waringが最初で、独立に、Vandermondeも示したと言われている)。これは、不変式論の結果と言っても差し支えないけど、当時、対称式の研究(ニュートン恒等式に見られるように、17世紀には存在してた)は、代数方程式論の一部と思われてたらしい。

現在では、代数と考えられる結果が、他のセクションにあることも稀にある。Killingの(有限次元)Lie代数かLie群に関する論文は、1889年や1890年には、セクション6の偏微分方程式に入っている。Lieの論文で"Transformationsgruppen"がタイトルに入ってるものも、ここに分類されてる。Lie自身の動機は、解析学にあって、それを重視してたようなので、Lieにとっては、むしろ正しい分類だったのかもしれない。

本題と関係ないけど、意外だったのは、1869/1870年合併号の第2巻時点で、Kontinuitätsbetrachtungen(Analysis situs)がセクション8に含まれていて、遅くとも1890年までには、Kontinuitätsbetrachtungen(Analysis situs, Topologie)という名前になっている。紹介されてる論文数は多くはないのだけど、ポアンカレの論文も1900年版などで紹介されている。大体、トポロジーの歴史というと、オイラーの話して、ポアンカレに飛ぶので、トポロジー創始者ポアンカレだと思ってたけど、ポアンカレの頃には、割と知られたテーマだったっぽい。Topologieという用語は、公的には、数学者Johann B. Listingの1847年の著書Vorstudien zur Topologieで最初に使われたらしい。また、多分、それより前のものだと思われてるけど、Gaussには、未出版の手稿"ZUR GEOMETRIA SITUS"というのがあって、結び目理論をやっている(絡み数の話とは別)。Gaussは、なんか小さい結び目の分類をしてるっぽいけど、どういう結果なのか不明。Geometria situsという名前は、Leibnizに由来するらしく、当人は、ラテン語でgeometria situsと呼んだものの、Leibniz自身は、このテーマについて、何か新しい定理を発見したということはないらしい。Eulerの1736年の論文タイトルにも、この単語が含まれるが、Leibnizの意図に沿うものなのかは分からない。Vandermondeの1771年の論文"“Remarques sur les problèmes de situation”には、LeibnizとEulerへの言及が見られる。


Fisherが書いている"Theorie der Formen"のエントリー数の数値は、前者の論文に詳細なデータが載っていて、全部まとめると、以下のようになっている。

1887 45  1888 68  1889 46  1890 42  1891 40  1892 47  1893 50  1894 50
1895 25  1896 30  1897 35  1898 31  1899 34  1900 34  1901 31  1902 29
1903 36  1904 45  1905 32  1906 37  1907 26  1908 33  1910 28  1911 32 
1912 26  1913 30
1914&1915 74
1916 to 1918 30
1919 to 1920 19 
1921 to 1922 20
1923 19  1924 21  1925 25  1926 17  1927 26  1928 28  1929 19  1930 18
1931 9   1932 9   1933 9   1934 15  1935 5   1936 16  1937 13  1938 7
1939 5   1940 5   1941 4 

これを鵜呑みにすると、1890年以後、ある時期を堺に急激に減ったというより、1890年〜1940年まで、ほぼ単調減少していっていったように見える。全体の論文数は増加傾向にあっただろうことを思えば、不変式論が存在感を徐々に弱めていったことは、間違いないだろう。

一応、データの裏付けを取りたい。

Jahrbuch über die Fortschritte der Mathematik (1890,Band XXII)
https://archive.org/details/jahrbuchberdief02unkngoog/page/n28/mode/2up

を見ると、1890年は、44本ある。Zahlentheorieのところにも、Theorie der Formenがあるけど、こっちは、多分、二次形式の理論(?)。

1905年は"Theorie der Formen"の下に、2つの下位分類があって、Theorie der algebraischen Formenに分類されてるのが24本と"Weitere Literatur"(further literature)に3本、Differentialinvariantenに分類されてるのが6本で、計33本。なんか、微妙にずれてるのが気になるけど、概ね、論文の集計は合ってそう(?)。

ついでに、Fisherの論文には記載のない古いのも、いくつか数えてみると

year 文献数 総ページ数 "代数"ページ数
1875年 21本 734 46
1878年 35本 809 73
1879年 27本 820 63
1880年 27本 873 60
1881年 38本 868 70
1882年 26本 989 77
1883年 57本 1000 86
1884年 44本 1118 71
1885年 25本 1160 65
1886年 39本 1126 83
1890年 44本 1261 95
1895年 25本 1121 84
1900年 35本 909 74
1905年 33本 1017 124

となっている。1875年とかは、Capitel 3が、"Elimination und Substituition, Determinanten, Invarianten, Covarianten, symmetrische Functionen"(25本)となっていて、こっちに分類されてるのもあるかもしれない。

古い方も合わせて見ると、1890年前後がちょっと盛り上がっただけで、1895年以降は、元に戻っただけというようにも見える。とはいえ、全体の論文数が増えてたはずなのに、絶対数が横這いというのは、落ち目と言えなくもない。


また、1900〜1965年までに、英語、ドイツ語、日本語で出版された不変式論の本を列挙してみると、1900〜1930年頃までは、そこそこの数が出ていることが分かる。

year authors title
1903 J.H. Grace&A.Young The algebra of invariants
1907 Wilhelm Scheibner Beiträge zur Theorie der linearen Transformationen als Einleitung in die algebraische Invariantentheorie
1909 Franz Meyer Allgemeine Formen- und Invariantentheorie
1914 L. E. Dickson Algebraic Invariants
1915 Oliver E. Glenn A Treatise on the Theory of Invariants
1923 R. Weitzenböck Invariantentheorie
1923 E. Study Einleitung in die Theorie der Invarianten linearer Transformationen auf Grund der Vektorenrechnung
1928 H. Turnbull Theory of Determinants, Matrices and Invariants
1932 竹田 清,藤原 松三郎 不変式論 (岩波講座数学)
1939 H. Weyl The classical groups: ther invariants and representations
1964 G. Gurevich (原著) Foundation of the Theory of Algebraic Invariants
1965 D. Mumford Geometric invariant theory

これは、タイトルから検索したもので、漏れはあるかもしれないし、フランス語やイタリア語などの本は探していない。代数全般の教科書で不変式論を含むものはあるが、検索しづらいので、含んでいない。あと、内容をちゃんと確認してないので、不変式論の本じゃないものを含んでる可能性もある。いくつかの本の第二版や第三版は1940年以後に出ているけれども、1930〜1965年頃までは、新しい不変式論の本は、下火になっていたっぽい。

論文数を見る限り、Weyl自身が書いている"the tree of invariant theory has shown new life, and has begun to blossom again"というような状況は、全く存在してなかったと思われる。1940年以降の論文数が定かでないけど、1940年代、50年代に不変式論の本が出てないとこを見ると、Weylの本が大勢を変えたということも、なさそうに思える。

完全に論文がなくなったわけではなく、1940年代でも、不変式論の論文は、書かれており、細々とは生き残っていたと思われる。例えば、D.E.Littlewood(※)は、複数の不変式論の論文を書いているし、1950年代には、Hilbertの第14問題の解決というような仕事もあったので、完全に停滞していたわけではなさそう。

※)D.E.Littlewood(1903〜1979)は、Littlewood-Richardson係数などに名前が残ってるけど、Hardyと共同で仕事をしたJ.E.Littlewood(1885〜1977)とは別人で、親戚関係などにもなかったらしい。

D.E.Littlewoodは、1940年に(有限群とコンパクト群の)表現論の本("The theory of group characters and matrix representations of groups")を出版していて、Weylもそうだけど、表現論的観点から不変式論の研究に興味をもつ人もいたらしい。一方で、永田雅宜や(多分)Mumfordのような人は、環論とか代数幾何学方面から不変式論に触れていたようである。



WeylのThe classical groupsの書評は、Philip Hallによるものと、Jacobsonによるものがあった。
Reviews of mathematical gazette: The Classical Groups, their Invariants and Representations.
https://doi.org/10.2307/3605725

Book reviews, The Classical Groups
https://doi.org/10.1090/S0002-9904-1940-07236-2

どちらのレビューも1940年のものだけど、Hallは、以下のように書いている

There are three principal ingredients involved. First, there is the theory of algebraic invariants and covariants, a " period " subject, now somewhat out of fashion. Secondly, there is the theory of semi-simple algebras, which has been for the last dozen years or so a particularly fertile field, and is now as a result of the fundamental discoveries of this period one of the most satisfying branches of modern algebra. Thirdly, forming something of a link between the former two, is representation theory.

不変式論は、時代遅れになり、一方、"modern algebra"が流行ってるが、両者を表現論が結びつけるみたいなことを言ってる。

Jacobsonは、1930年以前の高等代数の教科書では、大抵、不変式に紙数を割いたものだが、"最近"の公理的な代数の教科書では、完全に無視されており、不変式論は"modern algebra"の発展と殆ど無縁になっていると証言している。

It is a curious fact that while almost all the textbooks on higher algebra written prior to 1930 devote considerable space to the subject of invariants, the recent ones written from the axiomatic point of view disregard it completely. Because of this neglect the phrase "invariant theory" is apt to suggest a subject that was once of great interest but one that has little bearing on modern algebraic developments.

1930年以前の"代数"の教科書として、日本語だと、藤原松三郎「代数学」(1928、29年に1巻と2巻が出たらしい)があって、原書は、著作権が切れているらしく、国会図書館で公開されているのを見ることが出来る(内田老鶴圃から、仮名・漢字や用語を現代的にした版が出ている。本を購入する気はないけど、目次を見る限り、構成は同一っぽい)
代数学. 第1巻
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1133275

代数学. 第2巻
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1133312

目次を見ると、14章の一部と15章が、不変式論に割かれているっぽい。"行列式"という用語は当時でも使われてるけど、"行列"は"方列"と書かれていて、全く独立した章で議論されてる("行列式"は7章で、"方列の理論"は12章)のも不思議な感じがする。

cf)matrixという用語は、1850年にSylvesterが使ったとされる。実際は、以下のように書いてあるだけで、記法も何もない。

This will not in itself represent a determinant, but is, as it were, a Matrix out of which we may form various systems of determinants by fixing upon a number p, and selecting at will p lines and p columns, the square corrsponding to which many be termed determinants of the pth order.

行列の理論と呼べるものを始めたのは、1858年のCayleyの論文とされている。
A memoir on the theory of matrices
https://doi.org/10.1098/rstl.1858.0002
とはいえ、これに似た記法は、1855年のHermiteの論文にも見られる(Hermiteは、単にsystemeとか呼んでいて、線形変換を表すために使っているので、自然と行列の積を考えることになる。もっと古い論文があるかどうかは確認していない)し、Cayleyの論文に新しい点があるとすれば、非正方行列の積について述べてることくらいだろう。


HallやJacobsonが、"modern algebra"と言ってるのは、一般名詞っぽいけど、van der Waerdenの本"Modern Algebra"の英訳が1930年に出ていて、それを指しているのだと思う。これは、1920年代後半に、NoetherとArtinが行った講義を基にしたらしく、"In part a development from lectures By E. ARTIN and E. NOETHER"と書いてある。

Jacobsonが1930年を区切りに挙げてるのは、"Modern Algebra"の出版年だったからかもしれないけど、本や論文の刊行数も、1930年あたりを(不変式論にとって)変化の年と見ることと矛盾はしない。

不変式論の本が1930年代以降出なくなったのは、Modern Algebraによって、古典的な代数学が駆逐されたのが原因の一つではあるのかもしれない。とはいえ、"Modern Algebra"で取り上げられなかった代数学のテーマには、行列や行列式のような線形代数の理論、表現論などもあって、これらは、それぞれ生き延びて重要になってるので、Modern Algebraにだけ原因を求めることもできない。



抽象代数の教科書で不変式論が出てこないのは、Reynolds作用素の存在を認めれば、Hilbert finiteness theoremの証明は、抽象代数のちょっとした演習問題に過ぎず、個別の具体例を扱わないなら、不変式論について言及するほどのことは何もないという所為もあるかもしれない。簡約群に対するReynolds作用素の存在についても、表現論が出来てしまえば、証明は容易になった。ある意味では、抽象代数と表現論の成立によって、不変式論という独立した分野の存在意義が薄れたとも考えられる。

しかし、不変式環の生成元を具体的に計算するとなると話は別で、19世紀には、計算しない数学者というのは、ありえなかったので、Hilbert以後も、不変式環の生成元を決定する手続きを見つけたいという問題意識はあったと思われる。Noetherが、1916年に、有限群の不変式環が有限生成であることの構成的証明を、わざわざ与えたのも、そういう問題意識があったからだろう。

1926年にHerbert Turnbull(1885〜1961,1928年に不変式論の教科書を書いた人)によって書かれた短い論説

Recent Developments in Invariant Theory
https://doi.org/10.2307/3604142

を読むと、以下のような記述がある。

Gordan's proof carried with it the actual method of determining such a finite system for simpler cases, such as the binary quintic or sextic. Hilbert's more general proof gave no clue how any actual system could be found. Beyond binary forms very little is known of such systems for cubic and higher orders. But a great deal of work has been done in the last twenty years dealing with systems of linear and quadratic forms in three or four homogeneous variables, both for general and restricted transformations.

しかし、1960年代になると、こうした問題意識は、数学者から消えていたらしい。Fisherの論文には、以下のような記述がある。

In an interview conducted in 1965, a mathematician in one of the groups gave his view of the relationship between the problem s with which he was concerned and what he took to have been the Theory of Invariants. Looking to the past he said that the old theory was manipulational and involved horrendous computations. HILBERT ended all this, though people kept on doing computations. Further, this manner of investigating was forgotten; these mathematicians worked without thinking; there was no mathematics in their work.

構成的でなくても存在証明を与えれば数学としては終わりで、具体的に計算することは、数学以外の些末な問題という感じの意見っぽい。

19世紀には、計算しない数学者はありえなかったことを思うと、どっから、この変化が生じたのか謎だけど、L. Corryの"number crunching vs number theory: computers and FLT, from Kummer to SWAC(1850-1960) and beyond"
https://doi.org/10.1007/s00407-007-0018-2
によると、HilbertやMinkowskiは、以下のように書いてるそうである(原文はドイツ語だろうが、出典まで確認してない)

I have tried to avoid Kummer's elaborate computational machinery, so that here too Riemann's principle may be realized and the proof completed not by computations but purely by ideas. (Hilbert, Zahlbericht ,1897)

problems should be solved through a minimum of blind computations and through a maximum of forethought. (Minkowski ,1905)

見通しの悪い計算をできる限り避けて、conceptualな証明を与えるのが望ましいみたいな立場を、Hilbertは"Riemann's principle"と呼んで支持したらしい。(実際の内容を私は知らないけど、伝え聞く話によると)Gordanのfiniteness theoremの証明は"Riemann's principle"に反しており、Hilbertのfiniteness theoremの証明は、"Riemann's principle"に沿ったものだということになるのだろう。このへんのポリシーが先鋭化した結果が、Fisherのインタビューに出てくる数学者の意見なのかもしれない。

Riemannが、どこかで、こういう思想を表明したことがあったのか分からないけど、
A Celebration of the Mathematical Legacy of Raoul Bott
https://doi.org/10.1090/crmp/050
の中に収録されている"The Algorithmic Side of Riemann's Mathematics"には、Riemannが"almost without calculation"と述べたのは、超幾何関数に関する論文の中だと書いてある(但し、Hilbertの言う"Riemann's principle"が、これに由来するとは書いてない)。これが、Riemannのどの論文なのか分からないけど、Riemannの1857年の論文"Beitrage zur Theorie der durch die Gauss'sche Reihe F(α, β, γ, x) darstellbaren Functionen"を見ると、以下のように書いてあって、ニュアンス的には近い(上の文献にある内容とは微妙に違う)

Nach derselben lassen sich die frueher zum Theil durch ziemlich muehsame Rechnungen gefundenen Resultate fast unmittelbar aus der Definition ableiten,

これは、超幾何関数を扱うのに、超幾何微分方程式から始めるか、超幾何積分から始めるか2つの立場があって、KummerやGaussらは、前者の立場を採ったが、後者の立場によると、かなり大変な計算で得られた以前の結果が、定義から殆ど明らかになる、ということを述べている。

Riemannは、超幾何関数論について書いているだけで、一般的な話として、これを述べているわけではないし、定義によっては証明が簡単になるという話でしかない。何より、超幾何関数に対する現代の理解からすれば、Riemannが計算を大幅に削減したからと言って、超幾何関数の裏にある対称性の理解にKummerより近付いたということも全然なかった。Hilbertの"Riemann's principle"が、これに由来するなら、文意を相当に拡大解釈したという方が正当に思われる。

HilbertやMinkowskiは有名な数学者ではあるけど、その小さな一言に、そこまで大きな影響があったかは分からない。多分、19世紀前半くらいまでは、数学、物理、工学は、まだ十分に切り離されておらず、実用性を強く求められた数学では、計算すること、計算法を確立することは、重要だったと思われる。その後、数学者は、実用的でない数学をやる自由を得たので、違うスタンスを採る人も出るようになったという方が、ありそうにも思える。


現代から見ると、Hilbert〜1960年代の不変式論には計算機代数が欠けていた。不変式環の生成元を計算する問題は、一般的な場合に使えるアルゴリズムが、20世紀末〜21世紀初頭に考案されて(計算量の問題があるとはいえ原理的には)解決したと言える(一般的なアルゴリズムでは、計算機の性能が全く足りない問題というのは、いくらでもあるけど)

1960年代には、計算機代数のアルゴリズムがいくつか提案されていて、Buchbergerは1965年に、博士論文Ein Algorithmus zum Auffinden der Basis Elemente des Restklassenrings nach einem nulldimensionalen Polynomidealを書いたそうだ。

Sturmfelsは、1993年にAlgorithms in Invariant Theoryという本を出版し、この本には、有限群の不変式環を計算するアルゴリズムなんかが載っている。

簡約群の場合は、Derksenが、Hilbertによるfiniteness theoremの証明の延長上に、不変式を計算するアルゴリズムを構成して、1998年に、Computational Invariant Theoryという本を出版した。

また、Derksenの仕事を大きく拡張する形で、非簡約群にも適用可能な半アルゴリズムが、Kemperによって2013年に与えられている(arXiv:1310.6851)


まとめとしては、以下のようになる。
1)Hilbertの仕事(finiteness theorem)によって不変式論の研究が下火になったという証拠はなく、偶然、重なって起きていた一時的なブームが落ち着いただけという説が有力です
2)Weylの本の出版前後で、不変式論が復活したということも確認できず、これはWeylの期待でしかなかった

Mumfordの幾何学的不変式論以降、不変式論が復活したというのは、直接の因果関係があったかは不明だが、冒頭のDieudonnéの論説や、紀伊國屋数学叢書の『不変式論』は1970年代に出現していることからも確認できる。21世紀の現在、Amazonで"invariant theory"で検索すれば、不変式論の特定のトピックをを扱った本を、何冊も見ることが出来る。