ある種の細胞老化は可逆かもしれないという話

個体老化が連続的に起こるのに対して、細胞老化は不連続な状態変化で、老化した細胞は、長期に渡って残って、SASPによって周囲に悪影響を及ぼすとされている。細胞老化は不可逆だと長年思われているので、ここ数年、老化細胞を殺して除去しようというのが、老化治療薬の指針として検討されるようになってきた。老化細胞を殺して、老化を治療する薬をsenolytic(多分、まだ定まった訳語はないけど、、検索すると、老化細胞除去薬などと訳されていた)と総称するらしい。senolyticの候補は、既に、いくつか挙がっているようだけど、まだ十分調べつくされてる感じでもないので、数年は盛り上がって、やっぱりダメだったとなるのかもしれない

#老化細胞を除去するだけでは、明らかに必要な細胞が不足する。幹細胞は、長期間に渡って、増殖を停止した静止状態を維持できるらしい(幹細胞はしばしば低酸素環境に集まるらしく、造血幹細胞などでは、低酸素状態と低酸素応答因子が、この維持に必須らしい)けど、不足した細胞を補うために、分化・増殖を行うことは必要となるはず。こうして、幹細胞も分裂寿命や細胞老化と無縁ではいられなくなり、やがては枯渇すると考えられる。115歳まで生きたヘンドリック・ヴァン・アンデル・シッパーという人の白血球は、死の直前の調査で、僅か2つの造血幹細胞に由来していたという話がある。一部の老化症状は、幹細胞の枯渇によって引き起こされる(造血幹細胞の枯渇による貧血、色素幹細胞の不足による白髪、表皮幹細胞の枯渇による皮膚の菲薄化など)ようなので、senolyticが老化関連疾患の予防に有用であるとしても、老化の克服には不十分じゃないかと思う。


細胞老化が不可逆というのは、証明されている事実というよりは、生物系でよくあるように、単に反例が見つかってないというだけのことで、本当かどうかは分からない。最近、大分前にニュースで見かけた2017年10月の論文を思い出して読んだら、ある種の老化細胞を回復させることができるらしきことが書いてあった

Small molecule modulation of splicing factor expression is associated with rescue from cellular senescence
https://bmccellbiol.biomedcentral.com/articles/10.1186/s12860-017-0147-7

論文の内容は、ヒト線維芽細胞を継代培養して、増殖が十分遅くなるまで待つ(論文では、0.5PD/weekと書かれている。PDはpopulation doublingsの略)と、1960年代にヘイフリックが発見した通り、細胞増殖が遅くなり、やがて停止する。これが、現在、細胞老化と呼ばれているプロセスの発見で、今ではテロメア長が、この限界を決めていると考えられている。で、この老化細胞たちをレスベラトロールに晒すと、細胞増殖が再開するらしい。レスベラトロール・アナログ(resveralogues)を使っているのは、以前から、Sirt1を過剰
発現すると、テロメラーゼが活性化するという報告がされていたらしいけど、今回のはSirt1を介した作用ではないよ、と言いたかったらしい(レスベラトロールの側鎖の違いによって、Sirt1活性化作用は大きく変化するらしい)。


スプライシング因子がどうたら言ってるのは、このグループの最近のテーマっぽくて、冒頭から"Altered expression of mRNA splicing factors (...) is thought to be an ageing mechanism."と書いてあったりするけど、本当かよという感じではある。調べた限り、スプライシング因子が老化に対して重要であるという報告はそんなに多くない。一般的に、増殖が再開すれば、転写やタンパク合成も活発化すると思われるので、スプライシング因子の発現増加は、単に、老化から回復した結果と思っても、特に矛盾はない気がする。

一応、他のグループによるらしい研究として、2017年1月に出ていた

Splicing factor 1 modulates dietary restriction and TORC1 pathway longevity in C. elegans.
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/27919065

などがある。これは線虫の論文。


レスベラトロールについて。10年位前は、カロリー制限を模倣しようという発想に基づく老化治療薬の探索が流行って、レスベラトロールはその筆頭候補みたいな扱いで、Sirt1は主要なターゲット遺伝子の一つとみなされていた。そういうわけで、レスベラトロールを投与した時の効果というのも、色々と調べられてはいる。2006年のNatureの論文で、高脂肪食を与えたマウスでは寿命が縮むが、レスベラトロールを同時に投与すると、寿命と健康が元の水準まで回復するという論文が出ているけど、通常食のマウスにレスベラトロールを与えても寿命や健康がより改善するとは言ってない点で微妙(そもそも、通常食+レスベラトロールのデータを何故取ってないのかは理解不能)。
Resveratrol improves health and survival of mice on a high-calorie diet
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/17086191

また、ハエや線虫や酵母で、Sirt1類似遺伝子の過剰発現で寿命が延長するという報告は実験ミスだという論文が2011年に出て、レスベラトロールの作用はSirt1を介したものがメインと考えられていたので、レスベラトロールに対する信用も大分失われた
Absence of effects of Sir2 overexpression on lifespan in C. elegans and Drosophila
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/21938067

そんなこんなで、レスベラトロールの作用についても、はっきりしない。一応、酵母、線虫、ハエあたりでのレスベラトロールによる寿命延長効果は、まだ否定されてないと思うので、レスベラトロール・アナログで効果の違いを見れば、寿命延長効果があるのであれば、Sirt1依存性を測れそうなものだけど、どうなんだろうか

レスベラトロールに細胞老化回復作用があるとしても、ヒトに対するレスベラトロールの効果について、否定的な報告もある。単に効果が弱いのか、培養細胞にしか効果がないのか、ヘイフリック限界以外の要因(ストレス老化)で細胞老化を起こした場合には効かないのか、老化細胞の蓄積が個体老化の主要な要因ではないのかetc...あるいは、細胞老化回復作用自体がfakeなのか

まず、濃度チェック。論文では、レスベラトロール・アナログを10,50,100μMの3条件で実験したとある。人体の血液5L中に、同濃度でレスベラトロールが存在する場合、50,250,500μmolで、分子量は、228.25 g/molらしいので、それぞれ、11.5mg,57mg,114mgに相当する。経口摂取で、どのくらい吸収されるかは知らないけど、とりあえず、10~100mgを摂取量の目安とする。赤ワインに含まれるレスベラトロールは、1~10mg/Lらしいので、普通に摂取しても該当量のレスベラトロールを得ることは難しく、レスベラトロール豊富な食事を摂取していた人を追跡調査して、特に有意な健康増進・寿命延長効果が見られなかったとしても、単に量が少なすぎただけかもしれない。100mg/dayのレスベラトロール摂取は、通常の食事では不可能なレベルと思われるけど、そのような人々を長期追跡した研究があるのかは不明(数週間〜数カ月に渡る投与を行った疫学的調査は存在し、投与量は、数十mg~数百mgのものが多いようである)

マウスにレスベラトロール食を与えた2006年の論文を見ると、食事は、通常食、高カロリー食、"HC diet with the addition of 0.04% resveratrol"の3パターンでデータを取っている。Supplemental dataのFood intakeを見ると、大体、15~20g/weekになっているので、レスベラトロール投与量は6~8mg/week、あるいは1mg/day程度になる。マウスの体重は、50g程度らしいので、単純に体重比で比べると、ヒトで1000mg/day相当という量に相当する(体重1kgあたり20mg/day)。レスベラトロールの過剰摂取による毒性がないかどうかは気になるところではあるけど、量が少なすぎるという心配はなさそうに思える。高カロリー食+レスベラトロールでは、寿命は、通常食のものに戻ったに過ぎない。何故そこで打ち止めなのか、答えは、よく分からないけど、細胞老化を起こす原因も何種類かあって、レスベラトロールは、一部のものにしか効果がないのかもしれない

#以下のページに記載されているところによれば、"Sprague-Dawley系ラットに,レスベラトロールとして20 mg/kg/day の用量で28日間の反復投与を行った結果,生化学的パラメータに異常がみられなかったこと,試験終了後に行った剖検において臓器の肉眼的異常は認められなかったこと"が報告されているらしい
http://www.oryza.co.jp/product/detail/resveratrol_igai


細胞老化には、ヘイフリック限界によるものとは別に、テロメア依存ではないもの(ストレス老化)も存在し、DNA損傷などによる癌化の防御機構として働いていると考えられている。レスベラトロールが、ストレス老化で生じた老化細胞には効果がないという可能性は否定はできない。素朴に考えれば、ヘイフリック限界に達した場合は、単にテロメア長が足りないだけだけど、ストレス老化の場合、DNA損傷などのせいで、安直に増殖を再開すると癌化するかもしれない。

一方、癌とは関係ない"ストレス老化"もあるかもしれない。多分、今の所、酵母のみじゃないかと思うけど、細胞膜損傷が細胞老化を誘導すると報告している人もいる。
KAKEN:細胞膜損傷による細胞老化誘導の分子基盤解明
https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-15K19012/
この人は、パルス幅3ns,波長440nmのパルスレーザーで孔を開けているらしい。細胞膜穿孔の手段としてはポピュラーなようだけど、自然界で通常起こっている過程と同一というわけではないので、大丈夫なんだろうか(生体内での細胞膜損傷の原因は、ある種の細菌が産生する毒素や、強い機械的ストレスによるものなどがある)。マウスでは、組織レベルの創傷治癒時に、老化細胞が出現すると報告されていて、senolyticによって創傷治癒が遅れるらしい。

#IGF-1には創傷治療促進作用と同時に、老化促進作用があり、アスピリンには抗老化作用があると考えられる一方創傷治癒遅延を引き起こす。IGF-1は細胞増殖を促進しアスピリンは、抗炎症血作用や血液凝固を阻害する作用があるので創傷への影響は当然のようにも思えるけど、老化に対しても、同じように作用するのは示唆的ではある

DNA損傷を伴わない細胞老化は、回復しても問題なさそうに思えるけど、ある種の老化細胞は、可逆的かもしれないという話は、以前からあるらしい。

老化研究事起こし――老化細胞は高齢者の臓器に実際あるのか?
http://www.jsbmg.jp/products/pdf/BG35-1/35-1_37-39.pdf

には「p53とp16の両方の亢進が関わる分裂停止は不可逆的であるが、p53単独が関わる分裂停止は、可逆的だ」と指摘する人もいると書いている。

Reversal of human cellular senescence: roles of the p53 and p16 pathways
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/12912919

は、2003年の論文だけど、Abstractによれば、テロメアの機能異常による細胞老化は、可逆であり、主にp53によって維持されているが、p16も、無制限の成長に対する第二のバリアーとして働くと書いている。

#ほくろ(母斑細胞)も、老化細胞の一種であるという報告があるので、これも、ストレス老化とは別の理由で生じる細胞老化なのかもしれない
BRAFE600-associated senescence-like cell cycle arrest of human naevi.
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/16079850

で、楽観的に考えると、テロメア長依存的な細胞老化は、たいした問題じゃなくて、ストレス老化による細胞老化の方が、どうしようもなく、タチが悪いということなのかもしれない。