水素原子の表現論(1.5-2)spectrum generating algebra

前回の補足など。


前回、極小表現上で消えるU(so(4,2))の元全体をJosephイデアルと呼んでしまったけど、Josephイデアルの(数学者が一般的に採用する)定義は、複素単純Lie代数の普遍展開環のcompletely prime primitive idealであって、so(4,2)は複素単純ではないし、Josephイデアルは、A型"以外の"複素単純Lie環では一意に決まるが、A型の複素単純Lie環ではwell-definedではない。so(4,2)は複素化すると、so(6,C)であるが、これはsl(4,C)と同型なので(実形で見れば、so(4,2)とsu(2,2)の同型がある)、U(so(6,C))のJosephイデアルは、上の意味では定義されないことになる。

Josephイデアルのこの定義は、Josephのオリジナルの論文で採用されている定義でもあり、
The minimal orbit in a simple Lie algebra and its associated maximal ideal
https://eudml.org/doc/81975

前回の最後に書いたGarfinkleの論文の結果

A new construction of the Joseph ideal
https://dspace.mit.edu/handle/1721.1/15620#files-area

も、今回の問題では使えない。


#結局今回は不要になったので、ちゃんと読んでないのだけど、Josephイデアルの一意性証明にはgapがあると、以下の論文に書いてある(新しい証明も)
UNIQUENESS OF JOSEPH IDEAL
http://citeseerx.ist.psu.edu/viewdoc/summary?doi=10.1.1.153.6344&rank=1


いつからminimal representationという名前が一般的になったのか分からないけど、極小表現の"極小"という名前の由来は、極小冪零軌道の量子化と見なせる/見なしたいという気持ちから来ているのだと思う(Gelfand-Kirillov次元が最小という意味もあるかもしれない)。このへんの問題意識と事情は、Josephイデアルの論文のIntroductionにも書かれている。タイトルの"minimal orbit"=極小軌道というのは、(自明な軌道以外で)次元が最小という意味で、A型以外の場合は、半単純軌道も含めて一つしかなく、極小冪零軌道と同じもので、A型の場合は、冪零軌道の中で次元が最小のもの=極小冪零軌道が一意に存在するが、極小冪零軌道と次元が等しい半単純軌道が無数に存在する。


現在、A型以外の複素単純Lie環では、annihilatorがJosephイデアルであることを以て、極小表現を定義することも、しばしばある。この定義だと、A型の場合は、極小表現が定義されないことになってしまうが、A型の場合もこれが極小表現だというのはあって、ただ、統一的かつ自然に見える定義というのがない(極小冪零軌道の量子化とは何かというのが、きちんと定義されて、それで定義するというのが王道だろうとは思う)

The Uniqueness of the Joseph Ideal for the Classical Groups
https://arxiv.org/abs/math/0512296

という論文では、(A_1以外の場合に)Josephイデアルを定義している(Josephイデアルが定義できれば、そのannihilatorが極小表現であるという定義を、拡張できる)。生成元を明示的に与えるということをやってのけていて、スマートな定義とはいいがたいけど、計算には使いやすい。極小冪零軌道の変形量子化を考えている人もいて、その場合も、$A_1$型を除く$sl(n,C)$で変形量子化は一意であるらしい(例えば、arXiv:math/0010257)


#極小表現が極小冪零軌道の量子化という時は、"幾何学量子化"と同じ意味で、極小表現は量子力学波動関数の空間に相当する。極小冪零軌道の変形量子化を考えるときは、与えられるのは、物理的な言い方では、波動関数ではなく、物理量の代数の方になる


水素原子の束縛状態を考えている今は、具体的な表現は分かっていて、そのannihilatorの生成元を知りたいだけなので、Josephイデアルとか極小表現の定義は重要ではないけれど、用語としては、そんな感じで、ちょっと揺れがある。



本題。色々論文を眺めていたら、Josephの論文
Minimal realizations and spectrum generating algebras
https://projecteuclid.org/euclid.cmp/1103859776
は、Josephイデアルや極小表現と深く関連する、"量子化運動量写像"(今の場合、局所化したWeyl代数への環準同型写像)を構成していて面白かった。abstractには、"与えられた半単純Lie環が入るような自由度最小の量子力学系の決定"云々と書かれていて、タイトルの"minimal realizations"とは、このことを指す。


この論文の5章に、「運動量空間に於ける水素原子のspectrum generating algebraの実現」というものが与えられている。論文通り計算すると、Chevalley生成元は、以下の式で与えられる
$e_1 = q_1$
$e_2 = q_2 p_1$
$e_3 = q_3 p_2$
$h_1 = -2 q_1 p_1 - q_2 p_2 - q_3 p_3$
$h_2 = q_1 p_1 - q_2 p_2$
$h_3 = q_2 p_2 - q_3 p_3$
$f_1 = -(q_1 p_1 + q_2 p_2 + q_3 p_3)p_1$
$f_2 = q_1 p_2$
$f_3 = q_2 p_3$
論文に書いてある通り、これによって、sl(4,C)の(3変数)多項式環への作用が与えられるけども、極小表現は、この多項式環の中で実現されるわけではない。


上記の量子化運動量写像(Lie環の普遍展開環からWeyl代数への環準同型。普通の運動量写像がLie環の対称代数からPoisson代数へのPoisson準同型を与えることの類似)には、当然、対応して、古典的な運動量写像も存在し、その像は極小冪零軌道の閉包になってるのじゃないかと期待したい。次元を数えると、sl(3,C)の極小冪零軌道は4次元であり、相空間の方の次元(=Weyl代数の生成元の数)も4だから一致している。同様に、$sl(4,C)$の極小冪零軌道は6次元であり、相空間の方の次元も6で一致する。これらは、次元最小の軌道ではあるが、sl(n,C)の場合は、半単純な次元最小の軌道(極小軌道)が存在するので、次元の勘定だけで、像が極小冪零軌道であるとは言えない。


しかし、変数$q_i,p_j$を消去してやれば、像(の閉包)の定義方程式は得ることができるし、極小冪零軌道の定義方程式も群作用をexplicitに書いて、変数消去すれば直接計算で得られる。闇雲に変数を消去しても、同じ定義式が出るとは限らないので、被約グレブナー基底を計算して比較するのがいい。グレブナー基底による変数消去計算については、グレブナー基底の演習問題


#冪零軌道の次元については、例えば、$sl(4)$の場合、Collingwood,McGovern "Nilpotent Orbits In Semisimple Lie Algebra"の4.3節などに、そのまま書いてある


まず、Chevalley生成元以外の基底、他のCartan-Weyl basisを、以下のように
$e_4 = [e_1 , e_2]$
$e_5 = [e_2 , e_3]$
$e_6 = [e_1 , e_5]$
$f_4 = [f_1 , f_2]$
$f_5 = [f_2 , f_3]$
$f_6 = [f_1 , f_5]$
で定義する。それぞれ対応するCartan部分環の元は
$h_4 = [e_4 , f_4] = -(h_1+h_2)$
$h_5 = [e_5 , f_5] = -(h_2+h_3)$
$h_6 = [e_6 , f_6] = h_1+h_2+h_3$
のようになる。


これらの準備の下で、以下のRisa/Asirコードによって、$sl(3)$と$sl(4)$のそれぞれの場合で、運動量写像の像(の閉包)の定義方程式を具体的に得ることができる(この計算は、手元の貧弱なノートPCでも一瞬で終わる)

/* Josephの運動量写像のkernelの計算 */

load("noro_pd.rr");
/* sl(3)-case */
B = [e1-q1 , e2-q2*p1 , e3-q2 , h1+2*q1*p1+q2*p2 , h2-q1*p1+q2*p2 , 
     f1+q1*p1*p1+q2*p1*p2 , f2-q1*p2 , f3+(q1*p1+q2*p2)*p2];
V = [q1,q2,p1,p2,e1,e2,e3,h1,h2,f1,f2,f3];
G = nd_gr_trace(B,V,1,1,[[0,4],[0,8]]);
D = noro_pd.elimination(G,[e1,e2,e3,h1,h2,f1,f2,f3]);


/* sl(4)-case */
B = [e1-q1 , e2-q2*p1 , e3-q3*p2 , e4-q2 , e5-q3*p1 , e6-q3 ,
     h1+2*q1*p1+q2*p2+q3*p3 , h2-q1*p1+q2*p2 , h3-q2*p2+q3*p3,
     f1+(q1*p1+q2*p2+q3*p3)*p1,f2-q1*p2,f3-q2*p3 , f4-(q1*p1+q2*p2+q3*p3)*p2 , f5+p3*q1 , 
     f6+(q1*p1+q2*p2+q3*p3)*p3];
V = [q1,q2,q3,p1,p2,p3,e1,e2,e3,e4,e5,e6,h1,h2,h3,f1,f2,f3,f4,f5,f6];
G = nd_gr_trace(B,V,1,1,[[0,6],[0,15]]);
D = noro_pd.elimination(G,[e1,e2,e3,e4,e5,e6,h1,h2,h3,f1,f2,f3,f4,f5,f6]);

$sl(3)$の場合は11本の斉次式が、そして$sl(4)$の場合は44本の斉次式が、被約グレブナー基底として出てくる。極小冪零軌道の定義方程式を計算しなくても、斉次式になってる時点で、冪零だって分かるし、後は上に書いたように次元勘定から、極小冪零軌道だと分かる


一応、念のため、$sl(3)$の場合、極小冪零軌道(の閉包)の定義方程式(の被約グレブナー基底)は、以下のRisa/Asirコードで得られる。これは、上の計算結果と一致する

/* defining equations for a minimal nilpotent orbit of sl(3) */
load("noro_pd.rr");

A = newmat(3,3,[[a11,a12,a13],[a21,a22,a23],[a31,a32,a33]]);   /* SL(3) */

M = (invmat(A)[0])*newmat(3,3,[[0,1,0],[0,0,0],[0,0,0]])*A;   /* orbit */

B = [e1 - 6*M[1][0] , e2 - 6*M[2][1] , e3-6*M[2][0] ,
     h1-12*M[0][0]-6*M[2][2] , h2+12*M[2][2]+6*M[0][0] , 
     f1-6*M[0][1] , f2-6*M[1][2] , f3-6*M[0][2] , det(A)-1];
V = [a11,a12,a13,a21,a22,a23,a31,a32,a33,e1,e2,e3,h1,h2,f1,f2,f3];
G = nd_gr_trace(B,V,1,1,[[0,9],[0,8]]);
D2 = noro_pd.elimination(G,[e1,e2,e3,h1,h2,f1,f2,f3]);

つまり、Josephの論文のminimal realizationの自由度というのは、Lie環の極小軌道の次元の半分となる。半分なのは、自由度=配位空間の次元で、極小軌道の次元=相空間の次元だから、ということで、極小軌道を量子化すれば、求めるminimalな"量子力学系"が得られる。よかった。


Hamiltonianが得られるわけではないので、"量子力学系"というのは、やや違和感があるけど、古典的には、相空間の構造が明らかになるという状況に対応する。冪零軌道はsymplectic等質多様体となっているという意味で、かなり特殊な相空間であるといえる(一般のsymplectic等質多様体と余随伴軌道の関係は、 Kirillov-Kostant-Souriau Theorem)


実際のKepler問題でも、群$SO(4,2)$はKepler多様体に推移的に作用して、相空間はsymplectic等質多様体となっている。spectrum generating algebraは相空間のsymplectic構造を保つ幾何学的対称性だというのが、一つの解釈になる。実際には、symplectic等質多様体でない相空間の方が普通なので、この解釈は狭すぎる。spectrum generating algebraは相空間上の関数環を量子化した代数(短くて的確な呼称が欲しい)で、相空間がsymplectic等質多様体の場合は、その代数は、Lie環の普遍展開環の商として得られると理解するほうが一般性があるのだと思う。Hamiltonianの与え方は色々な可能性があり可積分になるとは限らない


# 元々、素朴にはKepler問題は、3次元Euclid空間を配位空間としている(原点では、ポテンシャルが発散するので、原点を除きたければ除く)。相空間は、素朴には、これの余接空間。$SO(4,2)$をこの相空間に作用させた場合、行き先がwell-definedでないことは起こりうる(実際、どうなってるのか知らないけど)。似たような状況として、共形変換群のEuclid空間やMinkowski空間への作用で、特殊共形変換の行き先は"無限遠点"の場合がある。共形変換群は、数学的に厳密にはEuclid空間やMinkowski空間に推移的に作用しない。が、原点を動かさない部分群全体は分かるので、共形変換群を、そのような部分群で割ってやると、等質空間が得られる。こうした操作は、共形コンパクト化と呼ばれ、4次元Euclid空間の共形コンパクト化はS^4となる。Kepler問題の相空間の場合も、事情は同じようなことと思う。可積分系界隈では、物理とかで扱う素朴な相空間と、数学的に自然な相空間が、若干異なるということは、時々ある(けど、明示的に事情を説明してくれていることは少ない)


# ところで、水素原子の場合、包合的な第一積分は、丁度3つある($so(4)$のCartan部分環から2つとHamiltonian自身)。これらは独立なので、Kepler系はLiouvilleの意味で可積分。ところが、水素原子が3自由度という結論は古典的な場合からの推測であって、$so(4,2)$の極小表現とか一般の既約ユニタリー表現を、ぽっと与えても、その自由度は定義から明らかなものではない。妄想の一つとして、Gelfand-Kirillov次元で自由度を定義するということが考えられる。定義するのは自由で、Liouville-Arnoldの定理の量子力学版を示すというようなことをやらないと意味がないけど


などと考えると、以前書いた
http://d.hatena.ne.jp/m-a-o/20140130#p1
『主量子数n+1の電子殻のヒルベルト空間は、so(4)の最高ウェイト(n,0)を持ついくつかの既約表現の直和で書けることが分かったけど、各既約表現が何個出てくるかということは、表現論的に知る方法はなくて、Schrodinger方程式を解く(あるいは、Pauliの時は、まだSchrodinger方程式がなかったのでHeisenberg方程式でやっていたようだけど)しかないように思う(状態のHilbert空間を、どう取るかは物理的な理由によって決まるべきもので、表現論の立場から決める原理はないから)』
については、水素原子の状態空間は、かなり表現論的な理由のみによって決められるのかもしれない。とはいえ、一方で、状態が束縛状態か散乱状態かは、少なくとも一見ではHamiltonianに依存する概念なので、そのへん、どう理解すればいいのか分からない



おまけ。Josephイデアルは、大雑把に言って、極小冪零軌道の定義方程式の非可換版。極小冪零軌道の定義方程式の計算は、グレブナー基底でできたので、Josephイデアルの生成元を決めるのは、非可換グレブナー基底を使えばできるだろうと考える。残念ながら、この計算は、$sl(3)$の場合ですら、3日くらい待っても終わらなかったので、断念した。

非可換グレブナー基底の実装は
[1] Bergman
http://servus.math.su.se/bergman/

[2] GAPのGBNP
http://www.gap-system.org/Packages/gbnp.html

[3] Singular
A.6.1 Left and two-sided Groebner bases
https://www.singular.uni-kl.de/Manual/4-0-3/sing_883.htm

などがある。Singularは定番。GAPは有限群メインと思ってたら、最近は半単純Lie代数計算用のパッケージとかあって、冪零軌道を扱うための諸々が入ってたりする。Bergmanは、未だに使い方が謎でよく分からないのだけど、以前どこかで見たベンチマークでは結構早かった気がする(他と違うアルゴリズムが使われていたはず)。Bergmanで計算する場合、以下のような感じ(終わらないけど)

[1]> (purelexify)
NIL
[2]> (noncommify)
NIL
[3]> (algforminput)
algebraic form input> vars q1,q2,p1,p2,h1,h2,e1,e2,e3,f1,f2,f3;
e1-q1,
e2-q2*p1,
e3-q2,
h1+2*q1*p1+q2*p2,
h2-q1*p1+q2*p2,
f1+q1*p1*p1+q2*p1*p2,
f2-q1*p2,
f3+q1*p1*p2+q2*p2*p2,
p1*q1-q1*p1-1,
p2*q2-q2*p2-1;
T
[4]> (homogeniseinput)
NIL
[5]> (groebnerinit)
NIL
[6]> (groebnerkernel)


余談と妄想。

$SU(2,2)$に付随する力学系
http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/83876

では、4自由度の力学系の$U(1)$作用による、Hamiltonian reductionとして、Kepler系を得ている。簡約前の相空間は、"4次元Euclid空間から原点を除いた空間の余接空間で、従って、symplectic群Sp(8,R)が自然に作用している。一方、$su(2,2)$の極小表現は、Metaplectic群$Mp(8,R)$のSegal-Shale-Weil表現の部分空間上に実現されるのだった。この部分空間を定める拘束条件が、上記$U(1)$作用から定まるmoment mapが0となる条件の量子化と思える形になっている(Sp(8,R)の自然な作用に対応する運動量写像正準量子化することによって、Segal-Shale-Weil表現は得られる)。きちんと確認したわけではないけれど、古典的には、極小冪零軌道と$U(1)$-Hamiltonian reductionの2通りの方法で、Kepler問題の相空間が得られ、表現論では、後者の構成が極小表現のladder representationによる実現と対応している形になると推測するのは自然


このHamiltonian reductionによる構成は、もうちょっと一般化できそうな気がする。多分、きちんと読んでないけど
The U(1)-Kepler Problems
https://arxiv.org/abs/0805.0833

The Sp(1)-Kepler Problems
https://arxiv.org/abs/0805.0840
あたりが、そういうことを考えているらしい。可積分系としては(初等的な表現論のみで解けてしまうので)それほど面白いわけでもないが。論文では相空間は明示的に出てこないが、(群$G$が空間$X$に自由に作用する場合)簡約相空間$T^{*}X // G$は$T^{*}(X/G)$に同型なので同じことをやっていると言える。もっと一般のdual pairに、このような構成がないかは分からない