人類は如何にして楕円曲線の群構造に到達したか

という疑問を最近みたので(どこで見たんだろう)。数学も数学史も詳しくないので間違ってるかもしれんが。

多分、最初の出発点は、Fermatが発見した、ある種のDiophantus方程式(楕円曲線)の一つの解から別の解を次々に構成していく手法にあるんだと思う。つまり、適当な楕円曲線の有理点Pがあると、Pのn個の和P+・・・+Pも有理点になるという感じで。Fermat自身は、自然数解のみ考えてた一方、この方法で得られる解は、一般の有理数解なのだけど、気にせず形式的に処理を繰り返すと、別の自然数解が得られることがあるよね、というノリだったんでしょう(Fermatの時代って負の数とか有理数とかの概念あったっけ?)。Fermat自身は、群構造を意識してるはずもなければ、群の階数とか知るはずもなく、2つの異なる有理点の和すら考えなかったかもしれない。

その後、EulerとかJacobiとかAbelとかGaussとか、あのへんの人々が、楕円積分や楕円関数の加法公式を発見したりして、複素数体上の楕円曲線の群構造については、少なくとも、Jacobiなんかには、よく意識されてたことと思う。有理数体や代数体上でも楕円曲線に群構造が入ると気付いたのは誰なんだろう。Mordellが有理数体上の楕円曲線が有限生成群であることを証明したのが、1920年くらいなので、その頃には割と知られてたことなんだと思う。恐らくは、Weierstrassのペー関数の加法定理が、楕円曲線の群構造を定義する式そのものなので、見る人が見れば、別に係数体を複素数体に限る必要ないな〜とか気付いたはず。加法定理なので、可換性や結合律は、明らか。


あれ?Fermat関係ないな・・・多分、EulerとかはFermatの仕事から色々影響を受けてたかもしれない