コレステロールと中性脂肪

長寿のための"コレステロール ガイドライン 2010年版"
http://www.amazon.co.jp/dp/4885193583
を読んだ。一般的な読み物というわけではないけど、日本脂質栄養学会という団体がまとめたもので、表紙には「LDLが高いと総死亡率は低い」「LDLは高い方が良い」とか書いてある


現在、健康診断などで用いられる、総コレステロール・LDLコレステロール中性脂肪などの基準値を決めたのは、日本動脈硬化学会という団体で、
動脈硬化性疾患予防ガイドライン(2007年版)
http://www.j-athero.org/publications/pdf/guideline_summary.pdf
がネットでみれる最新っぽい(?)。まぁ、ファイル名にsummaryとあるけど。最新のとしては、動脈硬化性疾患予防ガイドライン2012年版というのが、あるらしい。『動脈硬化性疾患予防ガイドライン』冒頭によると、現在の基準が出来た流れは、以下の通りらしい
・(上には書いてないけど)1980年代中盤までは、95%以上の人が、総コレステロール値240~250mg/dL以下で健康だったという理由で、これを基準値としていた(Wikipediaコレステロール』の項)
・1987年日本動脈硬化学会冬季大会でのコンセンサスカンファレンスにより、総コレステロール値220mg/dL、トリグリセライド値150mg/dL、HDLコレステロール値40mg/dLという基準値が提唱された
・1997年に日本動脈硬化学会より、LDLコレステロール値が重要であることも強調され、総コレステロール値220mg/dLに相当するLDLコレステロール値として、140mg/dLが提示された(2002年に追認)
・2007年、「高脂血症の診断基準」を「脂質異常の診断基準」とし、動脈硬化性疾患リスクの高い集団のスクリーニングの診断基準としてLDLコレステロール値140mg/dLを採用し、総コレステロール値については、むしろ診断基準から除去した


日本脂質栄養学会の主張は、額面通り受け取ると、総コレステロール・LDLコレステロール中性脂肪の値に上限を設ける必要はないということになる。これに対して、日本動脈硬化学会の反論は、以下で見れる
「長寿のためのコレステロール ガイドライン2010年版」に対する声明
http://dl.med.or.jp/dl-med/teireikaiken/20101020_1.pdf



["LDL-C/総コレステロールが高くても問題ない"という主張]
『長寿のための"コレステロール ガイドライン 2010年版"』を実際に読んで見ると、多くのデータで、即座に薬物療法開始となる基準(動脈硬化性疾患予防ガイドラインに明記されているわけではないけど、総コレステロールなら300mg/dL程度、LDLコレステロールなら200mg/dL程度?)以下のケースに焦点が当たっている(まぁ、それより高い値を見るとなると、サンプル数がかなり減るために、一括りにされていることが多いという事情からだろうけど)。コレステロールに限らず、基準値を大きく外れているのは、何らかの異常の徴候と考えるのが自然だし、日本脂質栄養学会も、少なくとも、家族性高コレステロール血症のリスクは認めているので、「LDLは高い方が良い」というのは、誤解を招く表現だし、『「長寿のためのコレステロール ガイドライン2010年版」に対する声明』には、家族性高コレステロール血症の患者が、真に受けて、治療をやめようとしたケースがあると書いてある。家族性高コレステロール血症でないけど、コレステロール値が高い場合、どうすべきかも明確でない。例えば、48ページには「男性では、LDL-C値>180mg/dLで虚血性心疾患による死亡率が上昇するが、全死亡数の0.4%であり家族性高コレステロール血症(FH)などの影響が大きくあらわれていると理解できる」と書いてあるけど、家族性高コレステロール血症でない人が、LDL-C値200mg/dLであった場合、気にする必要があるともないとも読みとれない。


そこまで極端でないケース、例えば、"総コレステロール256、HDL-C51、LDL-C162の54歳男性で、心疾患・脳血管疾患罹患歴なし、他に特筆すべき危険因子もない"みたいな事例で、果たして、コレステロールレベルを下げるために、薬物治療を行うべきかという問題は、完全なコンセンサスがないのが実態だと思う(わたしは医者ではないので、実際に現場の医療従事者がどういう判断をするか知らないけど、この事例は"Statins for Primary Cardiovascular Prevention"という論文に載ってた例で、2011年に、こういう論文が出るような話ではある)。日本脂質栄養学会の主張では、これは、むしろ健康に属する部類ということになるのかもしれない。『動脈硬化性疾患予防ガイドライン』だと、まず生活習慣の改善を試みて様子を見ましょうと言われるケースだけど、最近のいくつかの論文を信じるなら、こういうケースでもスタチンを投与することによって、心疾患・脳血管疾患の予防につながる(からスタチンを投与すべき)という結論になるかもしれない。


どちらの陣営も引用して(おそらく、信用に足ると思って)いる、最近の調査結果として、NIPPON DATA80という、日本人を対象にした19年間に渡る大規模なコホート研究がある
The relationship between serum total cholesterol and all-cause or cause-specific mortality in a 17.3-year study of a Japanese cohort.
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/16529754
http://www.minds4.jcqhc.or.jp/cohort/0011.html
・男性では総コレステロールの区分が高くなるに従い段階的に冠動脈性心疾患死亡リスクが上昇しており、有意差はないが(160-179mg/dLを基準として)200mg/dL以上でハザード比は2倍を超え、240〜259mg/dL、260mg/dL以上の両群で有意な上昇を認めた(ハザード比はそれぞれ3.74[95%信頼区間1.44-9.76]と3.77[1.02-13.9])
・女性では260mg/dLまではほぼフラットでリスクの上昇を認めず、260mg/dL以上の群のみ有意なリスク上昇を示した(ハザード比3.33[1.35-8.18])
・総コレステロール脳卒中の間に一定の傾向は認められなかった。病型別の解析でむしろ低コレステロール血症(<160mg/dL)が脳出血のリスクであった(ハザード比3.77[1.02-13.90])
などと書いてある。現行の基準値指示派は、ハザード比が2倍とか、3.x倍とかいう方を強調したり、一方、否定派は、男性では、240mg/dLまで、女性では260mg/dLまで有意でない(から、現行の基準は厳しすぎる)という方を強調してたりする。LDL-Cについてはデータがないようだけども、総コレステロールに関して、有意なリスク差が見られるのが、男性で240mg/dL、女性で260mg/dLというのは、従来採用されてきた基準値が厳しすぎる可能性を示唆している(とはいえ、現在では、総コレステロール値は参考で、LDL-C値が重要と言ってるけども)とはいえるけど、値が高いほど良いなんてことも全く言えない



["LDLが高いと総死亡率は低い"という主張]
『長寿のための"コレステロール ガイドライン 2010年版"』は、また、総コレステロール値やLDLコレステロール値が低いことは、却って健康リスクに繋がるとしている。そのために、総死亡率と総コレステロール値やLDLコレステロール値の関係を見ている(34ページや48ページ、49ページなど)。心疾患・脳血管疾患以外の病気へのリスクも勘案するべきという日本脂質栄養学会の言い分は一理あるとは思うけど、一般に、ある要因と総死亡率の関係は、極めて複合的なので、コレステロール値と総死亡率なんてデータにどこまで意味があるのか、微妙だと思う。仮に、コレステロール値が、癌、心疾患・脳血管疾患、etc.の各種疾患に、直接的な影響を与えることがあったとしてさえ、その影響の仕方は、それぞれ異なるものであるのが普通だから、データを混ぜると、何を見ているのか判然としないものになる。極端な話、90%の人が癌で死ぬ地域で統計を取れば、コレステロールと総死亡率の関係は、コレステロール値と癌による死亡率の関係に大きく影響されることになる。また、実際にデータを見ると、顕著な差があるように見えるのは、現行の基準値の下限ギリギリか、それを下回る場合で、基準範囲にあれば、大きな問題はないように見える


現在、高齢者の死亡原因第一位は癌であるけども、『長寿のための"コレステロール ガイドライン 2010年版"』43ページでは、総コレステロール値と癌発生リスクの関係性を調べた研究に言及している。ここの図18は、国立がん研究センターなどの機関による
コレステロール値とがん発生リスクとの関連
http://epi.ncc.go.jp/jphc/outcome/357.html
の結果を引っ張ってきて作ったものらしい。国立がん研究センターの記述では、「総コレステロール値と全がんの発生リスクとの関係は全搬的に弱い」「総コレステロール低値は男女の肝がん、男性の胃がんリスクと関係する」「男女の肝がんと男性の胃がんを除いて、血中の総コレステロール値とがんの発生との間に関連は見られませんでした」となっているのに、『長寿のための"コレステロール ガイドライン』では、「TC値と全癌発症率の間に負の相関が認められる」と書いてる。統計処理に恣意性はあるし、採用した統計処理によって、結果の解釈がぶれることもあるけど、国立がん研究センターの解析結果を取り上げない理由は謎。負の相関があるとしても、全癌では、その相関は、かなり小さいもののように見える。肝臓がんと総コレステロール値には、確かに顕著な関係がみられるけども、コレステロールの80%は肝臓で合成されると言われているので、コレステロール低値が、肝臓がんに影響を与えているとは、これだけでは言えない。国立がん研究センターでも「肝がんに先行して起こる肝硬変や、それ以前の長期にわたる慢性C型肝炎の影響が残ってる可能性」について言及している。


というわけで、総コレステロール値やLDL-C値が、現行の基準を多少超えていても問題ないという可能性はあるけども、その方が健康であるとか、長生きであるとかいう結論を出すのは、現在ある結果だけでは無理があると思う。




[日本動脈硬化学会は正しいのか]
で、動脈硬化学会が正しいかというと、これも、あんまりそんなことなさそうではある。


問題としては、
(1)総コレステロール値やLDL-C値の基準値は、現在のものでよいのか
(2)そもそも、総コレステロール値やLDL-C値を測ることに、そこまで意義があるのか
という2点があるけど、疫学的側面から見た批判としては
・NIPPON DATA80のデータに従えば、現在の総コレステロール値の基準は厳しすぎると言える。LDL-C値については、NIPPON DATA80に匹敵する規模の調査はないっぽい
心筋梗塞を起こした患者の半数近くは、総コレステロール値とLDLコレステロール値共に(現行の基準に従って)問題ない水準だったという話もある(ちゃんとしたデータがまとまった文献は見当たらなかった)
・特に、女性では、総コレステロール値が260mg/dL以下では、顕著な心疾患・脳血管疾患リスクの増加が見られなかったのと同様、LDL-C値も120mg/dL~180mg/dL程度の範囲では、罹患率に大きな差はないという話もある(ついでに、女性は男性より平均的にコレステロール値が高く、男女で基準を別にすべきとは日本動脈硬化学会も認めている)


『「長寿のためのコレステロール ガイドライン2010年版」に対する声明』では、「コレステロールもしくはLDLコレステロール動脈硬化の関係については、病理学的研究、細胞生物学的な基礎研究でも証明されたことである」などと書いてあるけど、分子生物学的に見ると、動脈硬化に直接関連するのは、LDLそのものより、酸化LDLだという多くの証拠が集まってきている。更に、これも、酸化LDLが、動脈硬化発症の原因かどうかは不明で、酸化LDLを減らせば動脈硬化の進行を大きく遅らすことができそう(少なくとも、動物実験では、それを支持する結果が増えつつある)というだけ。


こうした研究の歴史は意外と新しくて、1989年に、Steinberg
Beyond cholesterol. Modifications of low-density lipoprotein that increase its atherogenicity
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/2648148
で、LDLそのものより、LDLの修飾(特に酸化修飾)が動脈硬化を促進するという仮説を述べた。現在では、マクロファージが(LDLとは結合しないけど、酸化LDLと結合する)受容体LOX-1などで酸化LDLを大量に取り込んだ後に泡沫化し、この泡沫細胞が蓄積してアテロームプラークの形成・血管壁の肥厚が起こるのが、動脈硬化のメカニズム(の一つ)と考えられている。また、20世紀終わりごろ、動脈硬化は、炎症性疾患の一種だという仮説が提案され、現在では受け入れられつつある(例えば、動脈硬化性疾患では、炎症の指標として使われるCRPの値が高いことが根拠の一つ)。


酸化LDLが、動脈硬化の進展に関わっている証拠としては
動脈硬化巣には、酸化LDLが大量に存在することが確認されている
・酸化LDLの発生には、リポキシゲナーゼという酵素が関わっていることが知られているけど、特に、動脈硬化と関連して、5-リポキシゲナーゼ、12-リポキシゲナーゼと15-リポキシゲナーゼが注目されていて、これらの阻害によって、動脈硬化の誘導・進行が抑制されることが動物実験で示されている(要出典)
・次の論文は、マウスで血中の酸化LDLを除去(肝臓でLOX-1を過剰発現することによって)したところ、動脈硬化の進行を殆ど完全に止めることができたと主張している
Impact of plasma oxidized low-density lipoprotein removal on atherosclerosis
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/18559699
などがある。現在明らかになっている範囲では、総コレステロールや、LDLがいくら多かろうと、酸化LDLが少ないなら、問題なさそうということになる。更に、酸化LDLが少なければ、動脈硬化は進行しないと言っても、炎症によって酸化LDLが増加するという報告もあるので、酸化LDLの増加は、動脈硬化の原因というより、結果である可能性もある(動脈硬化の進展に伴って、酸化LDLが増加するという報告もあるし、喫煙や糖尿病では、酸化LDLが高値を示すという報告もある)。


一応、LDL-C値と酸化LDLの量は、強く相関する(調査にもよるけど、相関係数0.6程度)こと、LDL-C値と酸化LDL/LDL-C値は強く負に相関する(相関係数-0.4程度)ことが知られているので、動脈硬化の進行を抑制するのに、LDL-C値を下げることは、一定の効果はあるのかもしれない。最近は、LDL-C/HDL-C比が重要であるという話も出てきているけど、この指標も十分な証拠があるのかというと、よく分からない。


HDLについては、末梢組織から肝臓へのコレステロールの輸送を担う(逆輸送)ので、動脈硬化を抑制すると言われる。のだけど、最近は、それほど単純でないということが主張されるようになってきている(『長寿のための"コレステロール ガイドライン 2010年版"』VI章の内容でもあるけど)
The not-so-simple HDL story: Is it time to revise the HDL cholesterol hypothesis?
http://www.nature.com/nm/journal/v18/n9/abs/nm.2937.html

Mechanisms underlying adverse effects of HDL on eNOS-activating pathways in patients with coronary artery disease
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/21701070
では、修飾HDLがLox-1と結合し、酸化LDLと類似の作用を及ぼすということが書いてある。


まぁ、総コレステロールやLDLコレステロールを測ろうという話は、分子生物学的な機構がよく分かってない時代に、疫学的知見だけ(まぁ、他にも色々な実験はあったようだけど)を頼りに病気の原因を推し量ってみたものの、分子生物学的研究が進んでみたら、間違ってたというお話だと思う。分子生物学も、一部の因子を取り出して、その影響を拡大して見ているだけだから、薬の効果を定量的に評価できないし、しばしば副作用も予測できないので、全然完璧というわけではないけど