Peter Woitという弦理論の批判で知られた人が、数年前に

Use the Moment Map, not Noether's Theorem
http://www.math.columbia.edu/~woit/wordpress/?p=7146

という記事を書いていた(私には要点がイマイチ分からなかったが)


ネーターの定理は、「保存量と対称性が対応する」という標語で知られる有名な定理で、普通、Lagrangianを使って定式化される。moment mapは、ネーターの定理のHamilton形式版というかsymplectic版といえる。数学では、Lagrangianそのものが使われない傾向にあるので、ネーターの定理を見かけることは、少ない。一方、物理学者が、moment mapを使っているのを見たことは、記憶にある限りではない。

物理学者は(数学者とは逆に)Lagrange形式を好んで使うこと、また、彼らが考えたい系の多くは可積分でなく、エネルギー、運動量、角運動量以外の"自明でない"保存量は、"some kind of charge"以外出てこないので、ネーターの定理で得られる保存量を重視する必要性が低い(そのような自明でない保存量は、Runge-Lenz vectorやKowalevski topで出てくるものがあるけど、教科書に載ってないことも多い)ことなどが理由として考えられる


moment mapを使うべき理由として、私が思いつくのは、以下のようなもの
(1)余接空間以外の相空間(≒一般のsymplectic多様体)でも適用可能(このような力学系は、特に数学では、しばしば扱われ、Lagrangianが不明である)
(2)個別の保存量や"対称性"ではなく、保存量や対称性の集合に存在する構造(つまり、Lie群やLie環)について記述する
(3)運動量写像は、"力学には依存しない"ことが定義から分かる
(4)運動量写像量子化も、数学的に厳密に定義できる


#moment mapでは、時間並進対称性に対応する物理量がエネルギーだという事実が出ないように見えるけど、これは、moment mapの問題ではなく、相空間の取り方の問題だと思う。空間並進対称性に付随する物理量が運動量であることと、時間並進対称性に付随する物理量がエネルギーであることは、明らかに同じ構造を持っているので、通常の扱いでは、相空間が時間とエネルギーに対応する座標を持ってないことがトラブルの原因と思われる。

#時間・エネルギー座標を持つ相空間として、extended phase spaceというものが使われることがある。extended phase spaceは、ガリレイ群のmoment mapを定義しようと思えば必要だし、相対論を考えても不自然ではない。時間/エネルギー変数を含む正準変換を行いたいケースもある(以下の文献などで使われている)
Stackel系の全ての保存量を保つ離散化 (可積分系研究の新展開 : 連続・離散・超離散)
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/42747


(3)について。ネーターの定理は、(少なくとも、見かけ上は)Lagrangianに依存するが、Lagrangianは、力学系ごとに異なる。一方、運動量写像は、symplectic多様体と、多様体への(symplectic形式を保つ)群作用のみで決まり、Hamiltonianには依存していない。従って、Hamiltonianを取り替えても、相空間と群作用が同じであれば、自明に同じ運動量写像を得る。


群作用が、Hamiltonianを保つなら、HamiltonianとPoisson可換な保存量を得ることができるけど、運動量写像の"型"は
\mu:M \to \mathfrak{g}^{*}
で(Mはsymplectic多様体でetc.)、保存量はM上の関数でないと困る。"型"だけから類推してもpullbackを考えればよいというのは想像に難くなく、これはcomeoment mapと呼ばれることがある。comoment mapの"型"は
\mu^{*} : S(\mathfrak{g}) \to C^{\infty}(M)
となる。S(\mathfrak{g})は、Lie環の対称代数であるけど、Poisson代数になり、また、S(\mathfrak{g}) \subset C^{\infty}(\mathfrak{g}^{*})に注意する。comoment mapは、群作用と可換で、Poisson括弧を保つ環準同型。環準同型なので、一次の元\mathfrak{g} \subset S(\mathfrak{g})の行き先が決まれば、残りも全部決まる。例えば、symplectic形式を保つ回転対称性SO(3)があれば、M上の関数L1,L2,L3で、{L1,L2}=L3,{L2,L3}=L1,{L3,L1}=L2を満たすものが得られ、これは、so(3)の基底のcomoment mapによる像である


#moment mapの定義によっては、保存量に定数を足す不定性が残ることがある。角運動量の例だと、L1,L2,L3をL1+c1,L2+c2,L3+c3に置き換えても(c1,c2,c3は異なる定数)、それぞれから定まる時間発展は変化しない。このような場合、moment mapのpullbackはPoisson括弧を保たない。moment mapの定義で、comoment mapがPoisson準同型になることを要請する場合もある。このへんは、上の(2)と関係する話


(4)について。いわゆるquantum moment mapも、comoment mapと対比すると分かりやすい。quantum moment mapの概念や名前を誰が最初に明文化したのかは分からない(概念自体は、誰でも思いつくようなものなので、多くの人が同時期に知っていたに違いない)。特に難しい概念ではないけど、日本語の教科書で見かけたことはないので、一応文献をあげておく
Lectures on Calogero-Moser systems
https://arxiv.org/abs/math/0606233
の25ページDefinition4.1を参照

#私は、昔誰かが"量子化運動量写像"と訳していたのを見て、その呼称を使っていたけど、今検索したら、このサイトしか出なかった。そもそも、普通に訳すと、"量子運動量写像"の気がする(これは、一件あった)。

quantum moment mapの"型"は、comoment mapの型に於いて、対称代数を普遍展開環に変え、関数環を非可換環に変えたものとなる(quantum comoment mapと呼んだほうが適切でないかとも思うが、非可換の場合の空間概念がないので、量子の場合、comomentの方しか存在しない)
\kappa : U(\mathfrak{g}) \to A
これは環準同型で、群作用と可換になるという条件が付く。この場合も、一次の元(つまり、Lie環の元)の行き先だけ決まれば、残りは全部決まる。上のEtingofによるLecture Noteでは、大域的な変換ではなく、無限小変換を考えている。この定義だと、ネーターの定理は、ほぼ自明である。

#P,XをAの元として、ad(P)(x) = [P,x]と置くと、ad(P)は線形かつ非可換ライプニッツ則を満たす(ad(P)(QR) = Q(ad(P)(R)) + (ad(P)(Q))Rとなる)。 この条件を満たす元XをDer(A)としているが、X=ad(P)となるPがいつでも存在するとは限らないけど、存在すれば、正に保存量となる(逆に、保存量Pを与えれば、ad(P)によって、Der(A)の元が決まるので、非可換環Aへの無限小変換も自動的に定まることになる。従って、普遍展開環からの環準同型は、いつでも何らかの無限小変換に付随するquantum moment mapとなっている)。一方、群作用を微分して直接得られるのはDer(A)の元である


ここでの量子化の意味は、"filtered quantization"と呼ばれるものを考えるのがいい。一般に、フィルター環A(filtered quntizationではincreasing filterを考える)に対して、associated graded algebra(日本語訳は次数化環?)gr(A)を定義することができて、gr(A)は可換とは限らないけど、可換代数である時には、自然なPoisson構造が入る。このような時、Aはgr(A)のfiltered quantizationと呼ばれる(gr(A)のPoisson構造まで込みで一致する必要がある)。filtered quantizationは、多分、最近使われるようになった用語で、あまり浸透していないっぽい(検索すると、arXiv:1212.0914やarXiv:1704.05144で見つかる)。


名前が付いてなかったものの、かなり昔から、界隈の数学者は、この意味で(暗黙のうちに?漠然と?)量子化を捉えていたっぽい(上記EtingofのLecture Noteでも、filtered quantizationという用語は使われていないが、正にこの意味での量子化になっていることが分かる)。この用語に従えば、Lie環の普遍展開環は対称代数のfiltered quantizationであり、Weyl代数は、T^{*}\mathbf{C}^n上の多項式関数環のfiltered quantizationである

filtered quantizationで得たフィルター環から完備なRees代数を構成すれば、変形量子化になる。1990年以降に見つかってきた新しい例も多く、例えば「有限W代数はSlodowy sliceの量子化である」という時も、filtered quantizationの意味での量子化と理解できる(arXiv:math/0105225)。また別の例としては、(ある種の?)3-Calabi-Yau代数などがあるらしい(よく知らない)
Noncommutative del Pezzo surfaces and Calabi-Yau algebras
https://arxiv.org/abs/0709.3593

Calabi-Yau algebras viewed as deformations of Poisson algebras
https://arxiv.org/abs/1107.4472

associated graded algebraは、可換にならない場合でも、例えばClifford代数からは外積代数が得られる。外積代数には、Poisson superalgebraの構造が入り、『Clifford代数は外積代数の量子化である』と言われるのも、filtered quantizationの一種として理解できる。


#量子化すると、非自明な中心拡大が生じることがある(ガリレイ代数の質量項や、Virasoro代数のcentral chargeなど)。これらは、filtered quantizationとは別の枠組みで理解されるべきようにも見えるけど、よく分からない


(3)に戻ると、運動量写像にHamiltonianは必要ないので、例えば、相空間がsymplectic等質空間であれば、変換がHamiltonianを不変に保つか否かに限らず、運動量写像を考えることができる。そして、量子論では、このような運動量写像量子化によって、spectrum generating algebraが作られ、波動関数に作用する。このような観察から得るべき教訓は、Hamiltonianを不変にするような"力学的対称性"だけでなく、相空間の幾何構造を不変にする幾何学的対称性に付随する物理量にも目を向けたほうがいいということだと思う


私は、普通のmoment mapで考えると混乱するので、comoment mapしか使わない(computer algebraを利用しやすいように、物事を代数的に考えておきたいというのもある)けど、comoment mapは、保存量が直接得られる点とquantum moment mapとの自明な類似性の二点に於いて、moment mapより優れていると思う。なので、「ネーターの定理より、moment mapより、comoment mapを使おう」といえる(数学では、moment mapの像を見たいこともあるけど)