高脂肪食の分子生物学

体重の増減は、摂取カロリーと消費カロリーのバランスで決まると考えられている。これは単に質量保存則の帰結なので、あまり疑うこともない。一方で、マウスやラットの動物実験では、肥満を誘導するために、高脂肪食を与えるのが常套手段となっている。人間でも、高脂肪食は、肥満の誘引となると、広く信じられていると思う。高脂肪食が、肥満を引き起こすとすると、高脂肪食が中長期的に消費カロリーの減少を招くか、過食を誘発するという2通りの可能性が考えられる(勿論両方かもしれない)


PPAR-γヘテロノックアウトマウス(ホモノックアウトマウスは致死)では、高脂肪食を与えても、肥満が改善することが知られている。
・PPAR-γは、脂肪酸をリガンドとして活性化し、脂質の蓄積や脂肪細胞の分化・増殖を促進する。
・PPAR-γは、レプチン(脂肪組織で生産され、摂食抑制・血糖値を介したエネルギー消費増大を起こす)の発現を抑制する
・日本人の多くが、PPAR-γのPro12多型(PPAR-γの活性がより高い)を持っている
というようなことは、2003年ごろには大体分かっていた。従って、レプチンの発現抑制が、過食やエネルギー消費の減少に繋がり、また、日本人は、欧米人に比べて、高脂肪食を食べた時に血糖値が下がりにくい。結果として、日本人は重度の肥満になる前に2型糖尿病になるらしく、これが日本人が糖尿病になりやすい理由の一つと考えられている

2 型糖尿病発症における PPAR-γ遺伝子の役割
http://ci.nii.ac.jp/naid/10011695394



PPAR-γの研究は、当初脂肪細胞での働きが広く調べられ、最近では、神経細胞に於ける働きが解明されつつある
Brain PPAR-γ promotes obesity and is required for the insulin-sensitizing effect of thiazolidinediones.
http://www.nature.com/nm/journal/v17/n5/full/nm.2332.html
では、ニューロン特異的にPPAR-γをノックアウトしたマウスを作成したところ、
・(高脂肪食飼育下では、コントロールと比べて)食物摂取量が少なく、エネルギー消費が多いために体重増加が軽減した
ニューロン特異的PPAR-γ欠損マウスは、コントロールと比較して、レプチンに高い反応を示した(レプチン受容体下流のSTAT3のリン酸化を調べたらしい)
とある。というわけで、PPAR-γは、脳に於いては、レプチン感受性を低下させる方向に働くらしい(PPAR-γがレプチン感受性にどうやって影響するのかは、まだ不明らしい)。こうして、PPAR-γは、神経細胞でも、過食や消費エネルギー減少を引き起こす方向に働く


一般に、肥満者は、食後の体温上昇が小さいことが知られているけど、これはPPAR-γの発現亢進によって、レプチン抑制作用が強いことも一因かもしれない。そういうわけで、これだけ見ると、その気になれば食べたいだけ食事が出来る現代社会では脂質の摂取は、必須脂肪酸の摂取などを除けば、特にメリットがないという印象を受ける。一方で最近のいくつかの実験は、高脂肪食は、むしろエネルギー消費を増大させることを示しているように見える。PPAR-γは、脂質摂取量が増えるほど、エネルギー消費を抑制する方向に働くはずなので、事情は、より複雑であるらしい


Effects of Dietary Composition on Energy Expenditure During Weight-Loss Maintenance
http://jama.jamanetwork.com/article.aspx?articleid=1199154
では、BMI27以上の肥満の成人を対象に、10~15%の体重減少後、同一摂取カロリーの低脂肪/低炭水化物/低糖質食を4週間ずつ取ったところ、低脂肪食で、エネルギー消費が最も低くなるという結果を得ている(これと類似の研究は、何度か行われているが、低脂肪食と低炭水化物高脂肪食で長期的には差がないという結果も存在するし、同様の結果を得ているものもある)。論文のデータでは、脂質20%の食事と比較して脂質40%、脂質60%の場合、それぞれ平均値で120kcal、300kcalほど一日当たりのエネルギー消費が多いらしいので、軽い運動に匹敵する程度の差はある。この実験では、タンパク質の割合は、20%,20%,30%で大きく違いがないので、高炭水化物よりは高脂質の方がエネルギー消費が増えると言えそう。



もう一つマウスの実験であるけれども、
Time-restricted feeding without reducing caloric intake prevents metabolic diseases in mice fed a high-fat diet
http://www.cell.com/cell-metabolism/abstract/S1550-4131%2812%2900189-1

食事の時間を制限したマウスは高脂肪食を摂取しても肥満やメタボリックシンドロームにならない
http://first.lifesciencedb.jp/archives/4981

によると
・夜行性であるマウスに通常食をあたえるとおもに夜間に摂取するが,高脂肪食をあたえると昼夜の差なく食べつづける
・(夜の時間帯の8時間にかぎり高脂肪食を摂取できるような環境にマウスをおいてみたところ、このマウスは高脂肪食を一日じゅう自由に摂取できるマウスと同じ程度の食事およびカロリーを摂取していたにもかかわらず)肥満,高インスリン血症,肝脂肪の変性,炎症などについて,通常食をあたえたマウスと同じ程度にまで緩和していただけでなく、運動能力が向上していた

前者の結果は、高脂肪食では、食欲を抑制するのが困難になることを示していて、既に知られていたこと。一方、後者の結果は、高脂肪食の主要な問題点は、食事量の増加でも食事の質でもなく、不規則な食事時間が最大のリスク要因であることを示唆している。この論文では、概日リズムの乱れについて触れているけども、明確な因果関係は調べられていない。最近の研究では、Sirt1など、代謝と概日リズムをつなぐ働きをする遺伝子が分かり始めていて、不規則な食事は、概日リズムの乱れを引き起こすとか、食餌に応答して、概日リズムを調節する組織もあるみたいな話もある。概日リズムの乱れはエネルギー消費の低下を引き起こすということは以前から言われていて、概日リズム調節に関わる遺伝子CLOCKのドミナントネガティブな変異がマウスで過食や肥満の病態を示すことも観察されている。



で、何が起きているのか?(以下は、単なるわたしの推測)


核内受容体型転写因子であるPPARファミリーには、PPAR-αというものがあり。こちらは肝臓・骨格筋・褐色脂肪組織などで高発現していて、脂肪酸などをリガンドとして、細胞増殖や脂肪酸の燃焼を促進する方向に関わっている。脂肪酸依存的にエネルギーバランスを制御する機構は、他にもあるかもしれないけど、結局は、エネルギー消費を増大させる機構と抑制する機構と、どちらが優勢に働くのかという問題じゃないかと思う。褐色脂肪組織は、体温維持に関わっているので、PPAR-αの活性化を通じて、基礎体温上昇を起こすのかもしれない。とはいえ、健常人でも、レプチンの働きが抑制されないわけではなく、油断していると過食に陥るリスクはあるし、食べ過ぎた分は、脂質として脂肪細胞に蓄積される。


また、PPAR-αの発現は概日調節に関わる遺伝子CLOCKやBMAL1で制御されるという話もあるので(要出典)、その量は概日的に変動する可能性があり、その場合食べる時間帯によって、脂肪酸によって誘導されるエネルギー消費が異なる可能性もある。夜中は体温が低いことが知られているけども、これは褐色脂肪組織の活動が低下していることを示していると思う。つまり、深夜の食事は、短期的にはPPAR-αの量が少ないためエネルギー消費が小さく、更に中長期的には、概日リズムの乱れによるエネルギー消費の減少を起こすかもしれない。


#PPAR-αノックアウトマウスは、加齢に伴い、徐々に肥満症状を示すようになるらしい(要出典)。もし、ここで書いたようなことが正しいなら、PPAR-αノックアウトマウスでは、摂食時間を夜間に制限しても、高脂肪食でエネルギー消費の増大が起きず、肥満をきたすと予想される

#飽和脂肪酸不飽和脂肪酸も共に、PPAR-α/γのリガンドとなりえるらしいけど、そのリガンド活性は異なるらしい(が、詳細は不明)


ちなみに、"Effects of Dietary Composition on Energy Expenditure During Weight-Loss Maintenance"で、脂質60&の食事では、コルチゾールCRPの値が高い傾向が見られたとあり、体内で炎症が起きていることを示唆している。また、マウスで高脂肪食を与えた場合、食事直後既に視床下部で炎症が起きていることが確認できるという報告もある(要出典)。マクロファージは遊離脂肪酸によって活性化され、これが、肥満者で観察される慢性炎症に関わっていると考えられているけども、食事由来の脂肪酸でも、量が多い場合マクロファージを活性化し炎症を誘発しうるのかもしれない。原因が何であれ、一過性のものであれば殆んど問題ないだろうけど、長期的に持続すれば視床下部や下垂体の機能障害と同様の症状を示す可能性は考えられる。この論文の低炭水化物高脂肪食は、アトキンスダイエットというものに由来するらしいけど、Wikipediaによれば、半年とか一年続けていると、頭痛や下痢を引き起こすという報告もあるらしい(視床下部の機能低下は、頭痛や下痢を引き起こすことがある)


恒常性維持という観点から見ると、脂質を多めに取れば脂質を多目に使い、アミノ酸を多めに取ればアミノ酸をより積極的に消費する。血中脂肪酸が増えると、脂肪酸のβ酸化が亢進するだろうと予測して、(レプチンを抑制して)グルコース消費を抑えて、トータルのATP合成量が増えすぎないようにするという感じだろうか。けれども、体内の総脂質量を監視して一定水準に保つような機構は進化の過程で生まれなかったらしい。肥満や生活習慣病のようなものは、人類が、食料が容易に入手できる現代社会に適応できてないだけだと思えば、(お手軽にはPPAR-γの働きを抑制するとかして)人工的に適応させるのが正しい道かもしれない。けど、主要な問題は、栄養バランスなんかではなく、夜更かしやら深夜食に起因する概日リズムの乱れである可能性も高く、これは先進諸国に共通の問題ということになる


(追記)「体内の総脂質量を監視して一定水準に保つような機構は進化の過程で生まれなかったらしい」というのは、よく考えると、別にそんなことはない。要するに、PPAR-γは、(一番基本的なエネルギー源である)グルコースの消費を抑え脂質を優先的に消費する機構の一部だと思えば、肥満では体内の脂質量が増えているので、PPAR-γの発現を亢進して、エネルギー消費の内訳を脂質優先に傾け、更に肥満が進んで糖尿病になれば、体内の燃料が余剰過ぎるので、グルコースを消費せず、外に排出するようになった状態と解釈できる。グルコース排出で問題になりそうなのは、脳のエネルギー源であるけども、最近は飢餓時などには、脳もケトン体をエネルギー源として利用できると言われている。ケトン体は脂肪酸から合成できるエネルギー源なので、グルコース排出は脂肪酸の消費優先度を極限まで追求した結果といえる(必要なグルコースの量を0には出来ないらしいけど、極限状況下では、糖新生によるグルコース合成で何とか賄おうとする。アミノ酸グルコースも枯渇すると、流石に脂質だけあっても死亡するんじゃないかと思う)。人体は、大方の人間が考えるより、ずっと合理的にできている


#以下の論文によると、タンパク質も炭水化物と比較すると、エネルギー消費を増大させる。実験期間が短いので、単純に比較は出来ないけど、脂質30%固定かつタンパク質10%/30%で比較すると、後者の方が、DIT(食事誘発性体熱産生)や睡眠時の代謝率が高く、トータルで76kcal/day程度のエネルギー消費増大が見られたとのこと
Ghrelin and glucagon-like peptide 1 concentrations, 24-h satiety, and energy and substrate metabolism during a high-protein diet and measured in a respiration chamber
http://ajcn.nutrition.org/content/83/1/89.long


#高タンパク食でのDITの上昇は、以前から言われていることで、血中アミノ酸濃度の上昇によって糖新生が起きてエネルギーが消費されるから、と考えられているよう。上の論文の条件下では、総摂取カロリー2000kcal程度のうち、400kcalが炭水化物由来からタンパク由来に変わると、同量のATP合成に、76kcal/day程度の余分なエネルギー消費を必要とするといえる。糖新生で、6ATPが消費され、グルコース1分子から30ATP程度が合成されることを考えると、大雑把な見積もりとしては、このエネルギー消費増大は妥当な気がする。実際には、余剰窒素排出のため、尿素回路も動くらしいけど、呼吸商(や尿中窒素量)の変化を計測すれば、タンパク由来のエネルギー消費がどの程度増えたか、もうちょっと精密に見積もれるはず。こういうのは、古典的な生化学の話なので、多分大昔に、そういう測定をやった人がいて、糖新生尿素回路でほぼ説明できるという結論に至り、現代にまで結論が受け継がれてるのじゃないかと思う(そもそも、現在の消費エネルギー測定は、こうした結果を踏まえて、呼吸商などから算出するようになっているらしい)


#このへんは、4日とか4週間とか比較的短期間の話であるけれども、こうした食事を半年とか一年といった長期間続ければ、それに適応した変化が起きて、状況は変わるんじゃないかと思う。例えば、以下の論文では、食事の炭水化物・脂質比に応じて2群に分けて、18ヶ月に及ぶ長期的な効果を見ている。例えば体重については、Figure3にあって、最初は、やや低炭水化物高脂肪食群の方が体重減少幅が大きい傾向が見える(但し、有意な差とはいえないようだけども)けど、半年〜一年も経つと、差は殆んどない

Effects of a Low–Glycemic Load vs Low-Fat Diet in Obese Young Adults
http://jama.jamanetwork.com/article.aspx?articleid=207088


余談)
http://d.hatena.ne.jp/m-a-o/20120908#p3
で、カゼインが肝細胞の働きを亢進するのかもしれない、と書いたけど、これはPPAR-αを介した効果であるかもしれない


脂肪肝/肝炎に於いて、PPAR-α/PPAR-γが何らかの役割を果たしているという報告がされている
α型ペルオキシソーム増殖剤活性化受容体(PPARα): 脂肪肝疾患との関連
http://ci.nii.ac.jp/naid/120001657958


一口に脂肪肝と言っても、病気の進行度にも色々あるが、大雑把には、以下の特徴があるらしい
非アルコール性脂肪肝:脂肪組織に於いてPPAR-γの発現が亢進
アルコール性脂肪肝:肝臓組織に於いてPPAR-αの発現が抑制


食事の影響については、研究が殆んど見当たらないけど、以下の前者の論文と後者の対照実験の結果を見ると(生物種もラットとマウスで、状況もアルコール摂取/高脂肪食と異なるので、安易には言えないけども)、カゼインの摂取が、PPAR-αの発現を誘導し、PPAR-γの発現に関しては、大きく影響しないという可能性が考えられる
カゼイン摂取によるラットのアルコール性肝障害抑制作用に関する研究
https://j-milk.jp/tool/gakujutsu/berohe0000000kth-att/9fgd1p000001mo0c.pdf

大豆たん白質β-コングリシニンの非アルコール性脂肪肝発症予防および治療効果と作用機序の解明
http://www.fujioil.co.jp/daizu/report/pdf/031/31_23.pdf


こうした結果を踏まえて、中長期的なカゼインの摂取がPPAR-αの発現を誘導し、肝細胞の増殖を亢進するという可能性が考えられる。カゼインが、どのようにしてPPAR-αの発現誘導に関わるのかは謎だし、またPPAR-αがIGF-1の発現を制御しているという報告は特に見当たらない(単純に、肝臓が活性化することで、IGF-1の合成も促進されるのかもしれないけど、IGF-1の発現調節は謎が多いので、何ともいえない)


牛乳には脂質も含まれているので、それによるPPAR-α活性化もあると思われる。牛乳が二日酔いにいいというのは、この効果に由来するのかもしれない


#PPAR-αやPPAR-γはいずれも細胞の増殖を誘導するので、がん細胞で発現してれば、脂質ががん細胞の増殖を亢進する可能性がある。低脂肪食が、各種癌の発症を抑制するかは、調査によって結果が割れることも多く、有効性は分からない。乳がんについては、再発を予防するという報告と、効果がないという両方の報告がある。前立腺癌は、発症を抑えるという複数の報告がある。まぁ、この手の実験は、(人工的な環境に置いて癌を誘導するわけにもいかないので)多くの条件が不確定なまま残され、結果の解釈は難しくなる