和算

思うところあって少し調べた。検索して出る情報しか見てないし、原文を読む気もないので、結構適当


[参考]
和算における開平法のルーツ : ギリシャから日本まで
http://ci.nii.ac.jp/naid/40016422910

関孝和の円周率の計算についての注意 (数学史の研究)
http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/140288

英国と日本におけるNewton法 (数学史の研究)
http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/141269

建部賢弘の極値計算について
http://ci.nii.ac.jp/naid/110000033377

円理の萌芽 : 建部賢弘の円周率計算 : (数学史の研究)
http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/61652

日本の江戸時代における対数の歴史[縮約版] : 1780年1830年頃を中心として (数学史の研究)
http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/141280

『勘者御伽雙紙』の弧背真術 (数学史の研究)
http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/141285

古法、四乗求背の術、六乗求背の元術について(数学史の研究)
http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/80772


[適当なまとめ]
・13世紀末に宋で発展した「天元術」という一変数の代数方程式を解く方法が江戸時代に何故か注目されたらしい。解の公式とかが知られていたのかは分からない


関孝和(1642~1708)は、天元術を発展させて、多変数の代数方程式を考えたらしい(天元術の発祥の地中国でも、多変数方程式を扱う二元術・三元術・四元術は開発されたらしいけど、それが全く日本に伝わっていなかったのかは知らない)。その中で、自然に、一次連立方程式も考えて、解法を知っていたよう
・このへんを結果だけまとめたのが『発微算法』という本。幾何学への応用もあるらしいけど、座標の概念はなく、辺の長さを未知数としたりする程度のレベル
関孝和は円周率の近似計算も行ったけど、円周率を計算する厳密な公式を得るには至らなかったらしい。関孝和以前に、円周率が近似的に3.16であると伝わってきたが、和算家たちによって、より正確な値とかが追求されたらしい。このへんの話は「円理」と呼ばれた
・1685年に出た『解隠題之法』という本には、ニュートン法に相当するものがあるらしい。当時既に知られていた開平法の延長上に純代数的に、こういうことを考えたっぽい。一般の三次方程式の解法は知ってたらしい


関孝和の弟子である建部賢弘は、授時暦というものを調べるうちに、多項式関数の極値点は多項式関数の導関数の零点であることを経験的に発見した模様。導関数については特に名前も付いておらず便宜的なものという程度の扱いだったっぽい
・建部賢弘も円周率の計算については色々とやってたらしい。$lim_{k->\infty} 2^k sin(2 \pi / 2^k)$を漸化式を使って数値的に計算したり、『綴術算経』(1722)で、dは円の直径,sは弧の長さ,hは弦の長さとすると$s/d= arcsin(\sqrt{h/d})$なので、$arcsin(x)^2$のテイラー展開を用いて計算する方法を考えたりしたそうな。これを出すのに、どうやったのかよく分からないけど、別に微分を利用したということではなさそう
・同時期に、『宅間流円理』(1722)でも、arcsinやsinのテイラー展開相当のものが発見されてたらしい。個々の公式の出し方は場当たり的なものだろうけど、とにかくこの頃、和算は無限級数の概念を獲得して有理式の範囲から脱却し始めた模様


・安島直円(1732~1798)という人は、円理の研究を推し進めて、定積分を使って、面積や体積を計算することが出来たらしい。不定積分は知られておらず、微分積分の関連性も分かってなかった?
・安島直円は、対数表の作成などを行っているらしい。対数関数や三角関数は、吉宗の時代に、西洋から入ってきた?
・安島直円は、"中国の宣教師から伝えられた天文理論を取り入れて、日食や月食の計算法を編み出した"らしいけど詳細は不明(Wikipedia情報)


・和田寧(1787~1840)に至って、{f(x+h/2)-f(x-h/2)}/hで、h=0とすると微分を計算できることが明確に述べられたらしい(Wikipedia情報)。西洋では、これはニュートンライプニッツより前に、Fermatが知ってたことらしい


[感想]
和算の柱として、方程式論と円周率の計算があり、前者から微分へ、後者から定積分へつながっていった。方程式論は、関孝和の時点で大体完成されたようで、それ以降めぼしい発展はない
・当時の西洋数学と比較して、和算は、方程式を(数値的にであれ厳密にであれ)解くとか円周率を求めるとか、計算やアルゴリズム的なもの中心の学問で、論証の多い初等数論や、公理的なユークリッド幾何学(これは既に輸入されていたらしい)、論理学などはほぼ関心を持たれなかった模様(注:天元術の頃から幾何学の問題を代数方程式に帰着して解くということはされていた)。当然、和算では厳密な証明のようなものも考慮されてない(ある程度の"説明"はあったろうけど)。和算は、物理学者がやる数学に近いものがあると思う
・「関孝和は、ニュートンライプニッツと同時期に微積分に到達していた」という都市伝説を聞いたことがあるけど、関孝和に限らず和算が到達した微積分の理解は、ニュートンetc.の到達していたレベルには大分及んでいない。ニュートン以前に現在微積分学の基本定理と呼ばれているものは知られており、ニュートンらは、高階微分や合成関数の微分なども扱うことができたが、和算には、これらの理解は見られない
関孝和ニュートンを対比する見方は、戦争中に存在していたという噂もあるので、"ニュートンと並ぶ(あるいは越える)数学者"というのは、日本は凄い国というプロパガンダのために作られたイメージなのかもしれない(江戸時代に既に神格化する風潮はあって、それに便乗したものではあるだろうけど)



[その他の地域の数学]
イスラム数学
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%B0%E5%AD%A6%E5%8F%B2#.E3.82.A4.E3.82.B9.E3.83.A9.E3.83.A0.E6.95.B0.E5.AD.A6.EF.BC.88.E8.A5.BF.E6.9A.A6800.E3.80.9C1500.E5.B9.B4.E9.A0.83.EF.BC.89

西暦1000年ごろには、微積分に到達していたという話があるらしい。具体的に何をどの程度理解してたかは不明


・14~16世紀のインド数学
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%B0%E5%AD%A6%E5%8F%B2#.E4.B8.AD.E4.B8.96.E3.82.A4.E3.83.B3.E3.83.89.E6.95.B0.E5.AD.A6.EF.BC.88.E8.A5.BF.E6.9A.A6400.E3.80.9C1600.E5.B9.B4.E9.A0.83.EF.BC.89

http://en.wikipedia.org/wiki/Madhava_of_Sangamagrama

平均値の定理、限界点の積分、曲線の下の領域とその不定積分または積分、収束判定、無限級数、冪級数、テイラー級数、三角級数』などを開発して、円周率のライプニッツの公式なども発見していたらしい。概念的な理解に於いて、和算よりも進んでいたと思われる